第7話 出会い

 芦谷君は知らないだろうが、私、冬知屋紗希が君を認識したのは五月初旬の頃。


 新しいクラスができて、それなりに時間が経ち、仲の良いグループが数個でき始めた。


 かくいう私も表向きには人柄の良さそうな態度を取っていたので、数人は話す間柄の子はいた。


 あまり自画自賛はしたくないのだが、どうやらぱっと見、私はモテるらしく、すでに何人かの男の子には言い寄られていた。


 でも、私には私をずっと縛り続けるがあったので、異性と親密に付き合うということに積極的になれなかった。


 そんなある日の休み時間、事件は起こった。


 同じクラスの大人しめの女の子、千花羽衣ちはなういが少し茶色がかったツインテールをシュンとさせながら、クラスの晒し物にされていた。


 肩はブルブルと震えている。早くこの仕打ちが終わらないかと祈っているのが、彼女の眼鏡越しから覗く眼差しを見れば一目瞭然だった。


「やっばいなぁ。女の子がこんなエロい表紙の本読んでちゃだめだろ~」


 あからさまに相手を見下す態度で、一方的に馬鹿にするような目でヘラヘラとにやけながら、つっかかっているのが、今村麻人いまむらあさと


 どうやらサッカー部のエースらしく、一年生なのに、もうレギュラーに混じって練習しているらしい。喧嘩も強いようで、噂では、二年の先輩を無傷で屈服させたという話も聞く。


 要は、性格が凶暴だが高いスペックのため手をつけられないのだ。


 その怖さゆえか、今も何人か同じクラスに下っ端を従えさせており、疑似封建制度ができあがっている。


「こ……これライトノベルだか……」


「あぁ!?聞こえねえよ!もっとはっきり言ってくれよ。あーそうか。エロいやつだから大きな声で言いたくないかぁ。そーかそーか。ごめんなぁ」


 千花さんの言い分を遮って、嫌みのように仰々しく好き放題言っている。取り巻きの人間も後ろでヘラヘラと小バカしたような、いえ、小バカにして笑っている。


「あ……あの……もう許してくだ……さぃ……」


「許してってなんだよ?俺はこんなの読んでる子がいるよってみんなに教えてあげてるだけだってぇ。お前のお友達作りのお手伝いをしてやってるだけだからさぁ。そんな怒らないでよぉ。なあ、お前ら?」


 そんな小汚い顔でクラスを見渡し、同意を求める。みんな今村に目を付けられたくないのか、「あ、あぁ」と小さく同意する者や、目線を合わせず無視を決め込む者。色々いたが、この場において、千花さんを助けようとする動きは少しも見受けられなかった。


 私も今行っても、火に油を注ぐだけだと思い、行動に移せなかった。いや、ただ動かなくていい理由を無理やり作っていただけだろう。情けないことに。


「この本お前にとってそんなに大事かぁ?」


 そう言って、片手で持ったラノベを乱雑に千花さんの眼前に突き出す。


「は……ぃ……」


 小さく、でもはっきりとした意思を持って、千花さんは首を縦に振った。


 「あぁそうかぁ」と今村が呟き、パラパラとラノベのページをめくりだした。


 その間、誰一人として口を開かなかったので、教室はページをめくる音だけが響いていた。そしてあるページでパタッとめくる音が止まると、今村は衝撃の行動に出た。


 ビリリリリリッッッ!!!


 一瞬何が起きたのか理解できなくて、私は開いた口が塞がらなかった。教室全体は見えていないが、おそらくほとんど全員が私と同じように間抜けに口をぽかんと開けていたのだろう。今村以外は。


 千花さんの机の上にヒラリヒラリと一ページだけが落ちていったことで、今村がページを破ったということを認識できた。遠目で見えづらいが、そのページには扇情的な姿の女の子が描かれていたように見えた。


 千花さんは目を信じられないと訴えるように大きく見開いたかと思えば、次の瞬間、目尻に大粒の涙を浮かべた。


 私には二種類の怒りが込み上げていた。一つは単純に今村の残忍な行動に対するもの。


 そして、もう一つはここまでひどい現場を目撃しても、助ける行動に出られないでいる私の弱さ、醜さへのものだ。


 ムクムクと胸の内から育っていく憤怒の感情はどこにもやり場はなく、ただ、拳を強く握ることしかできなかった。


「あんまり意地悪するのも可哀そうだからこのページだけは返してやるよ。せいぜい家に帰ってから夜な夜なその女の子の裸見て楽しめよぉ」


 今村が下卑た態度で、嘲笑う。


「そ、そんなんじゃ……ないもん……」


 涙で上擦った声も今村には届かず、いや、むしろ助長したのか。今村が高笑いしだした。


「お?泣きながら反抗なんてそそるじゃねえかよ。なぁ!」


「ひっ!」


 千花さんはいきなり大きな声で迫られたので、携帯のバイブレーションみたくブルブルと震え続けている。


「そんなに溜まってるならよぉ。俺が相手してやってもいいぜぇ。部活終わった後ならたっぷり時間とれるからさぁ。ま、そん時は泣いて懇願しても容赦しねえけどなぁ!」


 その発言を聞いた刹那、私の中の何かがプツっと切れる音がした。頭に血が上り、理性の歯止めが利かない心地だ。


 体を縮こまらせて怯えている千花さんを助けようとかそんなんじゃなくて、ただ、純粋に怒りが原動力になったのだ。


 バッと机を叩き、「やめなさい」と声を荒げて私が切実に訴えようとしたその瞬間だ。


 彼の声が教室のドアが開く音と同時に耳に入ってきたのだ。


「おはよーございまーす」


 小声で言ってるつもりなのだろうが、教室の状況が状況なので、割とみんなに聞こえたと思う。遅刻した彼は午前の休み時間に重役出勤のようだった。


 私は呆気に取られて、頭に集まった血がサッと引いていくのを感じた。


「あ?なんだお前?文句あんのか?」


「え?何?ドッキリ?」


 ライトノベルを机に置いた今村に威圧的に絡まれているが、未だ状況を把握していないらしく、目をきょろきょろさせて様子を窺っていた。


 すると、彼が泣いている千花さんと目が合ったとき、おそらく大体の事情は察して、こう言い放った。


「だっせ」


「あ?もういっぺん言ってみろ!」


 彼の毒のある発言に今村は胸倉を勢いよく掴んでプレッシャーを与えた。


「なんでお前ごときに同じことを繰り返す労力を割かないといけないんだよ。この距離で聞き取れないって、その耳みたいなのは飾りか?」


 彼は今村を睨み返して、舌鋒鋭く、毒づいた。


「決定だ。お前殺してやる」


「死ぬのは嫌だなぁ。ここらで手打ちにしません?」


「舐めてると本当にやるぞ?」


 一触即発の空気で教室がピリピリとしていると、キーンコーンカーンコーンと授業の始まりを知らせるチャイムが鳴り響いた。


 すると、今村は掴んでいた胸倉を離して、「チっ」と舌打ちをして、自分の席へ戻って行った。サッカーのレギュラー候補に関わることなので、先生には悪事を見られたくないらしい。


 その後、何事もなかったかのように着席した彼の名前は芦谷凌太だということを私は知った。


*******


 それからというものの、クラスのみんなは彼、芦谷君のことを触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに、煙たがって、話しかけようとしなくなった。


 ただ、一人。黒野君を除いては。


 そして、芦谷君と今村の確執はどうなったかというと。まあ、たぶん休戦協定みたいなものだろう。


 今村が芦谷君に絡もうとするときにはすでに姿を晦ましており、芦谷君が話しかけられれば、上手いこと用事や言い訳を作って、走って喧嘩を回避している。いわゆる、逃げ足が速いということだ。


 でも私は知ってるよ。そうやって今村の怒りの矛先を芦谷君に引き付けて、間接的に千花さんを守ってあげているのは。


 それがしばらく続き、今村があほらしくなったのか、芦谷君に絡むのをパッタリ止めた。


 そしてもう一つの事件が自宅の自室にいるときに唐突に起こった。というか、出来事かな。


 私が夏祭りに芦谷君と付き合うことになる未来を見たのだ。


 昔から未来が急に見えることはそれなりにあった。


 三秒先とかそういう目の前の未来は私の意志で見る見ないを選択できるけど、長期的な未来は急に脳裏に現れるのだ。


 見えた未来で私は、紺をベースに白い朝顔が花を咲かせている綺麗な浴衣を着ていた。そんな私に芦谷君が告白してくれる場面だった。


 その未来が見えたことに最初はもちろん戸惑ったけど、教室での一件を間近で見た私は、芦谷君なら嫌じゃないかもと思えたのだ。


 あと、私を縛るも、芦谷君とならその先にある答えに辿り着けそうな気がしたの。


 そう思って、いつか来る芦谷君とお付き合いするイベントに思いを馳せながら学校生活を無難に過ごしていたのだが。


 七月に入っても進展どころか、話すらしたことがなかった。スタートすらしていないのだ。


 私は柄にもなく焦った。本当に見えた未来が実現するのだろうかと。


 そして、私は決意しました。芦谷君が教室にいるときに一世一代の告白をすることを……

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