第10話
「ああぁ、いいわねぇ、この湯加減」
「アザミの温泉って地味に熱いんですよね……」
しばらく湯につかり、二人はじんわりと染み渡る湯を味わっていた。
程よい湯加減のお湯に全身がとろけるようだ。思わず二人で息をつく。
ちなみに、アザミではルカが入る前に井戸水を入れて温度を調整している。ルカは長い髪の毛を梳きながら、ちらりと流し目をくれる。
「毎回、ステラがあれ、温度調整してくれているのよね?」
「はい。湯加減はどうですか? こちらの方がいいですか?」
「ううん、あれくらいがいいわ。疲れているときは、これくらいの温度でゆっくりしたいけどね……ん、っと」
ふと、ルカが湯船に手を入れた瞬間、痛そうに眉を寄せた。その手を持ち上げると、その手の甲に切り傷が走っている。
「うっかりしていたわね、怪我していたわ」
「ああ、ダメですよ、傷口を温泉につけたら」
ステラは慌ててその手を取る。軽く水気を払い、傷口に大きさを見て、うん、と一つ頷く。そして、その手の甲を持ち上げた。
「ごめんなさい、少しだけ我慢してくださいね」
そう断ってから、ステラが手の甲に唇を押しつけると、ルカはびくりと肩を跳ねさせた。
「え、ちょ、ステラ……」
「大丈夫です。動かないで」
ステラが真剣な声で言うと、ルカは大人しくなる。そのまま、舌先でしょっぱい温泉の成分を舐めとっていく。丁寧に、傷口周りを舐めとった後、ステラはその手の甲を湯につけないようにして視線を上げる。
「温泉の成分次第だと、傷が化膿することもあるんです――綺麗な手をしているんですから、もう少し丁寧に扱ってください」
「そ、そうね……気をつけるわ」
わずかに視線を彷徨わせ、頬を染めているルカはその手の甲を持ち上げながら頷く。はて、とステラは首を傾げた。
(のぼせたのかな……いまさら、照れるようなことでもない気がするけど)
何なら、ルカから抱きついてきたり、食べさせてきたりと、もっと恥ずかしいことをされているのだ。今さら、恥じらうこともないだろう。
「のぼせたのなら、無理はしないでくださいね。ルカ様」
「い、いえ、大丈夫よ……貴方は、平気なのね。舐めたりしても」
「え? ルカ様の身体に、汚いところがあるわけないじゃないですか」
ステラは笑って気にしていないと伝えると、ルカは何故か頬を膨らませ、拗ねたように視線を逸らす。
「そういう意味じゃないのに……全くもう」
「あれ、違いましたか?」
「ううん、いいの。それに、そう言ってくれるのは嬉しいわ」
ルカは湯から手の甲を上げ、湯船の外に投げ出しながら、そのまま枠に背を預ける。ステラはその横に動いていきながら訊ねる。
「髪を結いましょうか? 温泉の中だと、痛んでしまいますよ」
「ん、少し入ったら出るから大丈夫よ――」
そのまま、どこかぼんやりとした目でルカは天井を眺めていたが、ふと、視線がステラの方に向く。何かに気づいたように、目が細められた。
「貴方……唇、怪我していない?」
「ん、ああ……そういえば」
無茶な動きも多かった。その拍子に、何かが唇に掠めたのだろう。
手で押さえると、その唇の部分がひり、とわずかに痛んだ。もう、とルカは仕方なさそうに笑い、そっと近寄ってくる。
「貴方の顔も、かわいい顔をしているのだから、大事にしなさいよ」
「はは、ルカ様ほどではありませんけど」
ステラは軽く笑い飛ばすようにルカを見つめる。ルカは小さく微笑んで目を細める――その瞳が何故か不気味に輝いた気がした。
微笑みに妖艶さが込められ、ふわり、と甘い吐息が鼻先にぶつかる。
「本当に……かわいいのに」
「――ルカ、様?」
気がつけば、目と鼻の先にルカの顔がある。揺れる睫毛が長い。つややかな唇が動き、真っ赤な舌が合間からうごめいた。
「動かないで……消毒、してあげる」
瞬間、ふわり、と顔が近づき、柔らかく湿った感触に包まれる。
吐息がぶつかり合い、触れたところが熱くとろけるみたいに心地いい――。
やがて、二人は顔を離す――ルカは小さくはにかみ、頬を染めながら言う。
「ちゃんと、貴方も自分の身体を大事にしなさい――」
そう言いながら、ルカは湯から立ち上がる。そのまま、長い髪を揺らしながら、湯殿から出て行く――その後ろ姿を見ながら、ステラは呆然としていた。
触れ合った唇は、いつまでも熱く――温もりが、残っているようだった。
(な――にをやっているのよ、私は……)
湯殿の脱衣所。そこで、ルカはぶんぶんと頭を振った。
顔が燃えているみたいに熱い。今さらながらに、恥ずかしさが込み上げてきた。
思わず、唇に触れる――そこは、ついさっき、ステラと触れ合ったところ。
そこが熱を持っているみたいに火照っている。目を閉じ、深呼吸をする。
それでも、鼓動が鳴りやまない。
「……ステラが、悪いのよ……」
言ってしまえば、魔が差したのだ。
手の甲を不意に舌先で舐められ、どきどきしてしまった。信じられないくらい、胸が高鳴ってしまって――だけど、ステラは平然として笑っている。
そのことに少しだけ腹が立って、狼狽えさせたいと思って、愛おしく思って――。
いろんな感情が、暴走してしまったのだ。
「はぁ……ふぅ……はぁ……」
三度続いてため息をつくと、頭が落ち着いてくる――少し寒気が走り、慌ててルカはタオルを取り出した。身体を拭きながら、深呼吸をし――ふと思うのは、やはりステラのことだ。
(ステラ……)
その笑顔を思い出す。今日の窮地に駆けつけてくれたステラ。
返り血や土煙でべったりと汚れながらも、変わらない笑顔で傍に駆けつけてくれた彼女。その笑顔を思い出すだけで、胸がきゅっと締め付けられる。
安心したのに、同時に切ないような気持に駆られていた。
そっと胸に手を当てる――その高鳴る鼓動を感じながら、ふと思う。
(だんだん……ステラのことが……気になっているのかな……)
同じ女の子なのに――彼女の笑顔から目を逸らせない。
同じ女の子なのに――彼女が傍にいてくれて、胸が高鳴る。
同じ女の子なのに――恋を、しているのかもしれない。
(女の子同士なのに……なんでよ、ばか……)
タオルを肩に掛けたまま、空を仰ぐ――。
忘れようとしても、忘れられない。
彼女の笑顔も、彼女の声も――彼女の、唇の感触も……。
思い出した瞬間、また頬がかっと熱くなった。何度も深呼吸を繰り返し、気分を落ち着ける。
(もうすぐ、ステラも出てくる――あくまで、いつも通りに接しないと)
自分の気持ちに蓋をする。不自然にならないように、気持ちを律して。
慌てて風呂から上がってくるステラの気配を感じ取り、努めて、いつものような表情を浮かべて――。
「る、ルカ様――髪の毛、乾かしますよ?」
「ええ、お願いするわね。ステラ」
それでも、頬を赤らめたステラの顔を見て――胸がどきっと高鳴るのだった。
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