サブヒロインに昇格したモブお嬢様は、問題≪フラグ≫を放っておけませんでした。

@eru_frbw8

第1話 モブお嬢様は初恋を拗らせました。

 私の好きな人は学校一の人気者で一つ年上の先輩、羽馬拓翔はば たくと先輩。


 恋なぞ知らなかった私は、最初は先輩が嫌いだった。

 いかにもチャラそうで、見た目もカラコンやピアスをしていて、第一印象から近寄りたくないタイプの人だった。


 そんな先輩の事を忘れて生活していた私は、実家での騒動が原因で心がすり減っていて、気を抜くと学校のあちこちで怪我をするちょっとした問題児になっていた。


 怪我をすれば保健室にお世話になるわけで、保険医には完全に顔と名前を覚えられた。


 昼休み中に足を挫いたその日は、初めて授業をサボった。

 のろのろと遅い足で保健室に辿り着くと、先生は不在。勝手知ったる感じで救急箱を引っ張り出して、近くの椅子に腰を下ろしてはさっきより赤みが増した足首に気を付けて靴下を脱いだ。


 消毒をする傍ら、病院に行った方がいいんだろうと思ったが、家に連絡するのが躊躇われた。

 父を亡くして再婚した母は再婚相手と海外旅行中で、家には昼間だけお手伝いさんがついている。それも、日中だから電話も繋がる。…私が気にしているのは、仲良くもない義父の連れ子だ。


 父を愛してた母が新しい相手を作るのは別に良かった。相思相愛で幸せそうだから祝福しない訳がない。

 でも、環境が変わりすぎて、私が壊れそうになった。


 母はいわゆる由緒ある家のお嬢様で、私もそれに倣って跡継ぎとして教育を受けていた。

 父の葬儀の後、家出同然に飛び出した母に捨てられたと思った私は、それまで以上に稽古事に打ち込んだ。

 唯一の支えもなくして心を殺す生活をしていたある日、失踪してた母が突然現れ、再婚したからこの家と縁を切りなさいと言い出し、祖母と母の言い合いで板挟みになった。


 祖父の助言で、言い合いは収束したが、母と共に実家を出る事となった。

 私の場合は外の世界を見て人生経験してこいと言う意味合いだったが、母は完全に実家と縁を切ったため状況は全然違った。母に付いて行くしかなかった私は母と微妙な関係になり、その母が海外に行くと知って正直ホッとした。


 でも、義父の家で義弟になる人と暮らすのは想像以上に辛かった。


 育ちの違う他人と生活するってだけでも辛いのに、した事もない家事全般を押し付けられて、今までと同じ中学で上位の成績を保ち続けるのも至難の業だった。


 

「…はぁ、家帰りたくないな。」


 テーピングを終えてからも立ち上がる気力がなかった私は、ポロッと弱音を吐いていた。


 こんなんじゃ駄目だ。

 全部自分でやるしかないんだから、弱気になっちゃダメだ。


 己を律しようと両手で頬をペチンと叩いた、その時だった。


「――何、してんの?」


 声は後方、保健室の入り口からで、振り向くと大きな手に右頬を包まれた。


 手はそのままに、保健室を見渡して「井嶋ちゃん居ないのか」と呟いてみせた。恐らく保険医をちゃん付けするのは彼だけだろう。


 今度は私が座っていた椅子を180度回して、私の全身を見ると足元で止まった視線がこちらに向けられた。


「自分で手当てしたの?」


「はい。先生がいなかったので…」


「…そか。申し訳ないけどこれ一回外すよ?こんなに巻いちゃったら冷やせないでしょ。」


 驚きでフリーズした頭がようやく動き出して、目の前の男子生徒の顔をじっと観察した。


「あ。」


 そうか。ごく自然に声を掛けられたから気付けなかったけど、この人有名人だ。確か、2年の羽馬拓翔先輩。ハニーブラウンの髪に赤茶のカラコンは変わっていない筈…だけど、ピアスの数が異様に多い。


 私なら絶対にお近づきにならない人種。

 でも、思ったより取っつきにくさはなくて、人気の理由はこの内面かななんて考えていたら、目がバッチリ合った。

 しゃがみ込んでる先輩にじっくり顔を眺められているのは気のせいかな。


「…さっき聞いちゃったんだけど、家帰りたくないって。」


 何故それを問われたのか分からず困惑顔で見返すと、羽馬先輩は頬を掻きながら答えてくれた。


「もしよければなんだけど、勉強教えようか。」


 あまりにも唐突な提案に吃驚していたのに、是と答えていた。



 羽馬先輩との勉強は思っていた以上に捗り、下校時刻のチャイムが鳴るまで気が付かなかったほどだ。


「ほんとに、今日だけでよかったの?」


「はい。とても助かりました。」


 現状は何も変わらないし、頼れるのは自分自身。それなのに、どうしてだか心が軽くなっていた。

 これなら、足が治るまで勉強に付き合ってもらう事もないだろう。

 ふわっと掴めない疑問が増えたのに、全然苦にならない。


「うん。役に立てたなら何より。俺としては保健室にいる口実がなくなって残念だけどね。…じゃ、お疲れ。」


 おどけた口調で言い切る先輩の横顔に少し影が差した気がした。


 気のせいだったのかもと思うくらいに一瞬の事で、私は素知らぬふりをして別れを告げた。


 この時は、先輩に惹かれ始めてる事にも気付かなくて、先輩とはこれからは何の関わりもなく過ごしていくのだと、そう思っていた。



 気の持ちようとは、よく言ったものだ。


 私自身の頑張りで一杯一杯だった生活にも大分慣れ、一つ下の義弟との距離も相変わらず。だけど、前より断然息がしやすくなっていた私は、気が付けばある人物を無意識に目で追うようになっていた。


 言わずもがな、羽馬先輩だ。


 いくら鈍い私でも、先輩に淡い恋心を抱いてるのだと分かった。


 別に気持ちを知ってほしいだとか、付き合いたいだとか、先輩との恋愛は考えない。ただ危うい自分の心の安定剤。それで満足できた。


 一年間。遠目で見て、すり減っていた心が落ち着いていき、一つ決心した。


 感謝の意味も込めて、大事な思い出にするためにも、気持ちを伝えよう。そして先輩を笑顔で送り出そう。――そうしたいと思って、告白するのを後悔する日が来るとは思いもしなかった。





「ごめん。巨乳は…無理なんだ。」


 風にかき消される事もなく、先輩の声はダイレクトに耳に届いた。


 あの保健室での思い出は私の中で美化されていたというのか。

 

 ――違う。そうじゃない。


 あれは幻なんかじゃない。ショックを受けているのは、先輩に歩み寄っていればよかったと後悔する自分が居るからだ。


 ああ、告白なんてするんじゃなかった。こんな自分を知らずにいられたのに。


 一瞬、憎悪の目を向けられたのは、勿論私のデカすぎる胸。

 そこで、一つ疑問が浮上してくる。


 …先輩はこんなに外見を気にする人だったろうか、と。


「そう、ですか。…先輩、一つ聞かせてください。先輩は今、誰かを好きになりたいと思えますか。」


 背を向けかけた先輩は踏み出した足を止めて、困惑顔でこちらを振り返った。


「変な事、聞くんだな。…答えはノー。思えない。」


 真正面に向き直った先輩は傷ついた表情をしていて、私は立ち入りすぎたのだと分かった。

 二人の間に沈黙が流れるけど、立ち去る気配はなくて、その先を…待った。


「誰かを、振り向いてくれない人を好きになりたくないんだ。いい感情ばかりじゃなかった。もう恋はしたくないんだ。…自分が壊れてしまいそうなんだよ。」


 そこまで言い切ると、一度目を向けられて…もう振り返らなかった。


 ゆっくりと離れていく背中をぼんやりと眺めて、ため息と同時にその場にしゃがみ込んだ。


「本気の恋か。そっか。…そ、かッ…――」


 涙が止まらなかった。


 自分が告白して振られた事なんてどうでもいいくらい、先輩の気持ちを知って心が痛くなった。


 あんなに先輩の事を見てきたのに、先輩の心が悲鳴を上げていただなんて知らなかった。気付いてあげられなかった。自分が壊れかけた時は、助けてもらったのに。


「ごめ、なさい…ごめん、なさ…い」


 淡い恋心だったけど、大事にし過ぎた想いが、こんなに大きくなっているって、今になって気付くなんて私馬鹿だな。


 先輩が大好き。大切。恩なんて返しきれない。好き、好き…。



 羽馬先輩に告白したあの日、先輩は卒業して会う事はなくなった。


 消える筈だった想いは胸を苦しめるほど大きくなり、今となっては対処のしようもない。


 着々と受験に向けて準備していたのも少し前の事。私は進路を大幅に変えて、ハードルを上げた。内申点も部活動や課外活動の実績も水準を達していた私は、中学三年の夏に推薦を勝ち取った。


 行き先は、幸城ゆきしろ学園。羽馬先輩が通う、セレブ校。


 実家と縁が切れていない私は特待生制度でなくても入れたけど、迷惑をかけたくなかったから特待生向けの試験を受けた。


 大体の人は車での送迎か最寄駅から徒歩なのだけど、意外にも今住んでいる家から歩いていける距離だったのは有難かった。


――全て、準備は整った。


「先輩。今の私がいるのはアナタのお陰なの。観念して傍で見守らせて下さいね。」


 こうして、どこまでも無謀な賭けをするため、先輩のいる舞台へと立ち向かったのだ。

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