憔悴の領主

「――グレンさん」


 チャンスだと思った柊吾は、グレンの前まで歩み寄った。

 柊吾の姿を見たグレンは、少しだけ表情を和らげる。


「柊吾、君もいたのか」


「ニアがっ、ニアが感染しました……」


「なに!?」


 グレンは目を見開いた。

 知っている者が疫病にかかったと知って少なからずショックを受けているのだろう。

 「ならなぜ」と柊吾はグレンへ詰め寄る。


「グレンさん、なんでクエストに行かせてくれないんですか? このままじゃニアだって」


 柊吾が必死に訴えるも、グレンは眉尻を下げ目を逸らすだけだ。


「すまないが、私にできることはない」


「そんな!? せめて討伐隊は薬草や食糧の調達には行くんですよね?」


 グレンは顔に影を落とし首を横へ振った。

 柊吾には理解できない。

 絶望と怒りがじわじわとこみ上げてきた。


「な、なんで……わけが分かりませんよ!」


 柊吾が声を荒げ、険しい表情でグレンを睨みつける。

 余裕がないことが見て取れた。

 グレンはため息を吐き、冷静さを欠いた柊吾をいさめようとする。


「少し落ち着け。いつもの君らしくないぞ」


「これが落ち着いていられますか! こうしている間にもみんな疫病に苦しんでるんだ! 一刻も早く――」


「――柊吾っ!!」


「っ!?」


 グレンが短く叫んだ後、鈍い音がした。

 その直後、柊吾が勢いよく地面を転がる。

 グレンの拳に殴り飛ばされたのだ。

 突然の一撃に柊吾は目を白黒させるが、すぐに起き上がりグレンを見上げた。

 さすがは大隊長。拳の威力は十分だ。


「なにをするんですか」


 恨めしげに低い声で呟き片膝を立てるが、立ち上がりはしなかった。

 グレンは柊吾へ背を向けると、聞き捨てならないことを呟く。


「今、むやみに外へ出ては、疫病を加速させるだけだというのに……」


「え?」


「グ、グレンさん!?」


 横にいた騎士が慌てたように声を掛けた。

 グレンはハッとしたように顔を上げ、背中越しに言い放つ。


「すまない。今のは忘れてくれ」


「待ってください! どういうことですか? 疫病が広まってるのは、感染力のせいだからじゃないんですか!?」


 もちろん、柊吾とて引くわけにはいかない。すぐに立ち上がると、ずかずかとグレンへ近づく。左右の騎士たちに体を入れられ行く手を遮られるが、逃がすまいとグレンの名を叫ぶ。

 グレンは立ち止まり背を向けたまましばらく思案すると、重苦しく呟いた。


「君になら、どうにかできるのかもな――」



 ――柊吾はグレンに導かれ、ヴィンゴールの前で片膝をついていた。


「グレン殿、なぜ部外者を連れ込んだのだ!?」


 キジダルが険しい表情でグレンを批難する。

 グレンが答える前に、討伐隊広報長官を務める初老の痩せ男が口を挟んだ。


「これは異なことを。彼を今ここに連れてくる理由など一つしかありますまい」


「なんですと?」


「なるほど考えたな」


 技術長が感心したように口の端を緩ませた。

 彼らがなんの話をしているのか、柊吾にはまったく分からない。

 グレンからはなんの説明も受けておらず、ただこの場へ連れてこられただけなのだ。

 しばらく柊吾の様子を見守っていたヴィンゴールがようやく重い口を開く。彼は明らかに顔色が悪く、憔悴していることが一目で分かった。相当な心労が溜まっているのだろう。


「疫病への対応がことごとく失敗していることで、民の領主への信頼は落ち、クエストの休止でバラムの権威も保てない。そこに英雄が登場してカムラの危機を救う。そういう筋書か? 悪くはないな」


「領主様!?」


 キジダルが驚きの声を上げヴィンゴールへ顔を向ける。

 左右に並んだ幹部たちもざわつき始めた。

 賛否両論のようだ。

 ヴィンゴールは固く目を閉じ深くため息を吐くと、柊吾へ問うた。


「あまりにも困難な道。柊吾よ、そなたにはできるのか?」


 こみ上げてくる嫌な予感をひしひしと感じながらも、柊吾は粛々と頭を下げた。


「……恐れながら、私にはなんのことか分かりかねます」


「それは失礼した。グレンよ、説明してやれ」


「よろしいのでしょうか?」


 グレンは聞き返した。これから話すことは、それほど重要な情報なのだろう。だからここに来るまで決して口を割らなかったのだ。

 キジダルが止めるかとも思われたが、彼は眉を寄せ何事か思案していた。

 ヴィンゴールがグレンへ頷く。


「構わん。どうせ近いうちに相談することは決まっていたのだからな」


「はっ!」


 グレンは気を付けの姿勢で短く返事をすると、背後の柊吾へ向き直り説明を始めた。

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