第十章 侵された聖域

孤独な王

 そこは大陸の中心、汚染された都市の北にある密林。

 かつては木々が猛々しく生い茂り、これでもかというほど豊かで他にはないほど植物が生き生きとしていた。

 どこを見渡しても濃い新緑が広がっていたはずの景色が今は、色を失い木々や生物は枯れ果て腐敗してすらいる。代わりに怪樹などという大木の魔物が腐臭を蔓延させたり、巨大なバラの魔物が罠を張り巡らせたりして、とても人が足を踏み入れられる場所ではない。

 数十年前の凶霧発生時、毒々しい紫の雨『凶雨』が降り始め、生きとし生ける全ての者を蝕んだのだ。そしてその雨は数十年経って一度も降り止んだことはない。

 そんな密林で今もなお戦い続ける一人の『王』がいた。


 ――キェェェイッ!


 甲高い奇声と共に風切音が響く。

 しかしそれは宙を裂くだけで獲物を捉えることはできなかった。

 その正体はイバラのムチ。緑の細長いムチには鋭いトゲが突き出て、触れでもしたらただでは済まない。

 その持ち主は上を向いた巨大なバラを下半身に持ち、上半身は緑の肌を持つ女性の魔物『アルラウネ』だ。上半身は剥き出しだが、太いつたが申し訳程度に巻かれており、顔には陰険な笑みが張り付いている。

 アルラウネが今一度ムチを振るおうと腕を挙げた次の瞬間――


「――っ!?」


 その胸に穴が開いた。体の内側から、まるで血のように黄土色の液体がドクドクと溢れ出す。突然の反撃に、アルラウネは悲鳴すら上げることなく上半身を仰向けにしてぐったりと絶命した。バラも力を失ったように枯れ、変色していく。


「――ごめんなさい」


 悲痛に満ちた声で謝ったのは、小さな白銀のティアラを被った美しい女だった。

 艶やかな金髪に深い慈愛を携えた優しい面持ち、豊満な体は抜群のプロポーションで芸術とさえ言えた。

 ドレスのような上質の絹の衣を身に纏い、全身からは聖なる輝きを放っている。

 この腐敗の密林にあっても、その輝きは穢せてなどいない。

 彼女は手に形作っていた黄金の弓を下げると、深いため息を吐く。

 魔物を殺したことを悔いているようだ。

 しかし次の瞬間、周囲の繁みからガサゴソと草木をかき分ける音と荒々しい足音が聞こえてきた。


「誰っ!?」


 女はハッとしたように周囲を見回す。

 周囲から複数の足音が響き、こちらに気付いていないのか音を隠そうともしていない。

 女が緊張の面持ちで前方を見据えていると、複数の人影が草むらから飛び出し、一斉に走りだしてきた。

 女は冷静に弓を構え右手を引く。すると、急速に光が集まり黄金の矢が弓へつがえられていた。

 しかし――


「――っ!!」

 

 敵の姿がはっきりと見えた瞬間、女は悲しげに顔を歪め弓矢を霧散させた。

 そのまま放っていれば、先ほどのアルラウネと同様一撃で仕留めることも可能だった。できない理由があったのだ。

 女の周囲に現れた六体。それらは人の形をしていて、禍々しい模様の入った、やや露出度の高い革製の武具を身に着けていた。

 褐色の肌で筋肉は不自然に隆起し、まるでドーピングをしているかのよう。手にはそれぞれ斧や槍を持ち、なにより特徴的だったのは、顔にトーテムのような禍々しい仮面を付けていることだ。それから暗黒のオーラが溢れ出て全身を覆っている。


「くっ!」


 女は右手を前方へ突き出し、瞬間的に眩い光を拡散させるとその場から逃げ出した。

 

 速かった。

 女は浮遊できる力を持っているが故に地形の影響を受けることなく、瞬く間に飛び去ったのだ。

 次々と迫る木々や岩などの障害物を軽々と避け、森を悠々と低空飛行する。

 この森のことは誰よりもよく知っていた。

 数十年のもの間戦い続け、そして逃げ続けたせいで、もはや安全な場所などこの森のどこにもない。それでも時間を稼げる隠れ場所は心得ていた。


 やがて、倒れた大木が幾重にも重なり、大きな影のできた場所へ辿りつく。

 女は影の内側に入り灰色に変色した大木に背を預けると、苦しげにため息を吐いた。


「みんなごめん……でも、いつか必ず……」


 呟いた女の目の端に涙が溢れていく。

 そのとき―― 


 ――ギャオォォォン


 低く力強い獣の雄叫びが周囲へ響き渡った。

 そしてそれはすぐに現れた。

 密林の奥から地を這いずる音と共に姿を現したのは、首の長い巨大な竜の頭。

 それは強靭な漆黒の鱗に覆われ、首から下は蛇のように地を這い、その本体は見えるような距離にはない。

 この数十年間、何度も何度も倒し続けてきた天敵だ。


「もう見つかるなんて、この場所ももうダメね……」


 女は憤怒とも呼べる力強い眼差しで竜を見据えると、眩い光を両手に集め左手に弓を右手に矢を作り出す。

 そして矢を構え竜へ狙いを定めた。


「私は、絶対に諦めない!」

 

 王は今日も孤独に戦い続けるのだった――

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