汚染された海

 柊吾はそのまま家に帰らず南下し、港に立ち寄った。


「静か、ですね……」


 メイが呟く。二人は、街と浜辺とを遮る柵の前で衰退した港を眺めていた。

 浜辺には削られて歪な形になった石や枯れ果てた流木、そして生物のものらしき骨が散乱していた。押し寄せる波は黒く濁った群青色の海水。それを体内に取り入れてしまえばなんらかの異常をきたし、最悪の場合死に至る。故に、海には誰も近づかない。

 汚染された潮風で風化した桟橋の先には船一隻なく、横に建っている寂れた灯台は誰も管理していない。それよりも重要なのは、大陸側からの外敵襲来を察知するための高台だ。

 メイは物悲しそうに眉尻を下げ、小さな声で柊吾に問いかけた。


「海に一体なにが起こったんですか?」


「詳しくは分からない。凶霧発生以降、海はその全てを原因不明の汚染源に侵されたたんだ。凶霧が関係しているのは間違いないだろうけど、この有様だから誰も手が出せないんだと思う」


 柊吾も哀愁漂う横顔を晒していた。以前の世界で、海の美しさと壮大さに感動を覚えていたからこそ、この光景はいつ見ても胸を締め付けられる。


「海の生物たちはもういないんですか?」


「恐らく。汚染した海水は死の危険性があって誰も潜れないから正確には分からないけどね。でも、海から魔物が出てきたという情報はまだないよ」


「この柵は、一般人が海に近づかないために?」


「それもある。でもキッカケは失踪事件だったんだ」


「え? 失踪事件?」


 メイは目を丸くし、震える唇で問い返した。


「何年か前、この柵がなかった頃は、ここもまだ一般人が好奇心で立ち寄るスポットだった。でもある日突然、数人の一般人が失踪したんだ。それで討伐隊の調査の結果、失踪者全員が当日に海へ立ち寄っていたということが判明。で、その理由は分からないものの、海にはなにかがいるんじゃないかって噂が流れ、浜辺に立ち寄らないよう柵を立てたってわけさ」


 柊吾があやふやな記憶を苦労して引きずり出しながら話し終えると、メイは顔が真っ青……は元からだが、恐怖に震えていた。年相応の反応に柊吾は頬を緩める。


「そ、それで、失踪した人たちは帰って来たんですか? 新たに被害とかは?」


「失踪した人たちは行方不明のままだ。柵のおかげか、それ以降の被害はないよ」


「そ、それじゃあ……」


「うん。さっきは海に生物はいないと言ったけど、魔獣に近いなにかはいるんじゃないかと、俺はそう思ってる」


 柊吾は明けない砂漠のアンフィスバエナを思い出す。あれのような超大型モンスターが海底に潜んでいるかもしれない。アンフィスバエナの発していた黒い霧は有害でなかったものの、もし海に潜む魔物が有害な物質を発していたら手が付けられない。


「海、怖いです……」


 メイが震える声で呟きながら、柊吾のシャツの袖をちょこんと掴む。

 柊吾は必要以上に怯えさせてしまったことを気にかけ、笑みを向ける。


「でもさ、俺らの命綱である水がこの有様なのに、カムラではなぜ普通に人が生活できてると思う?」


「え? それは……」


 メイは柊吾の袖から手を離し、頬に手を当てて考え込む。しかしすぐに「分かりません」とギブアップした。


「そこでようやく教会の登場だ」


「教会?」


「そ。領主やバラム商会に並んでこの町を支配する三大勢力の一つさ。シスター『マーヤ』っていう年配の女性が代表を務めていて、孤児院や診療所、畑とかを管理してる。で、そこが運営しているカムラの命綱が『海水浄化所』だ。桟橋の先からくみ上げた海水をここに運んで神官が浄化する。その後、特殊な膜で水と塩に分離して容器に入れ、各家庭に配達する」


 メイは「おぉ」を感嘆の声を漏らし、目を輝かせていた。


「毎朝、誰かが必ず水を届けてくださるのは、そういう事情だったんですね」


「そうそう。月額料金だから毎月教会に水代を払ってるんだよ」


 上手くメイの興味を引けた柊吾は、自分の孤児院時代や教会での働き口など、しばらく話すと、港を後にした。

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