第324話 ラフマノール荘園
第一騎士団の騎士三十名と中央軍の騎兵小隊五十騎という数の多さのおかげで、残りの旅路も快適そのもの。揺れが少なく静かでしかもスピードが速い騎士団馬車に乗って、途中の治安の悪さなど感じることもなく王都が近付いてくる。
まあ、これだけの数の騎士と騎兵が揃っていれば悪党どもは早くから察知して遠くに逃げてしまっているだろうし、表面上は穏やかなのは当たり前と言えば当たり前。
地図を広げて見ていたエリーゼが隣に座っている俺の服の袖を引っ張り、その地図の一点を指差した。
「ねえシュン、今この辺りだよね」
どれどれと、俺は地図を覗き込んだ。
「そう。あー、そろそろだな」
向かいに座るガスランが、俺達が何の話をしているのか気が付いて尋ねてくる。
「ウィルさんの家、もうすぐ?」
「うん、もう少し行ったらラフマノール荘園に行く分岐だよ」
エリーゼが地図で現在地とその分岐を示すと、ニーナもガスランと一緒に地図を覗き込んできた。
ラフマノールは、ウィルさんとセイシェリスさんの家名。代々広大な農園を営んでいる。現在の家長はセイシェリスさんの父親で、ウィルさんはその甥っ子。
農産物の販売を手掛ける商会も経営していて、農園やその商会に従事する人達とその家族が揃って暮らすそこは一つの村の様相を呈しているという。
ニーナの姉、ソニアさんが率いる一団はその分岐を南へと曲がった。
ソニアさんと今回の行程を打ち合わせた際に、俺達はバステフマークが先に着いているはずの通称ラフマノール荘園に寄る予定だと説明したところ、ソニアさんは
「バステフマークとは会ってみたいと思っていたの。それに主街道からそんなに離れてはいないわ。周辺の実情も見ておきたいし、皆で寄り道しましょう」
と、そんなことを言ってソニアさん達も立ち寄ることになっている。
◇◇◇
道の両側に畑が目立つようになってきた辺りで、小街道は唐突に門と閉ざされた扉に遮られていた。そして、門番のようにそこで身構えている男たちには訝しげな表情と緊張を滲ませている様子が見える。
「ウェルハイゼスだ…」
「え、そうなのか」
彼らのそんな声が聞こえてきて、俺達の隊列の先頭を進んでいた騎士の声がそれに重なる。その騎士は公爵家の紋章が記された大きな旗を持っている。
「こちらはウェルハイゼス公爵家第一騎士団です。バステフマークの方々がこちらにご滞在と聞き及び参上しました」
間もなく扉が開かれて俺達は更に先に進んだ。ガスランは御者台に上がり、俺は窓枠に腰掛けて辺りを見渡す。エリーゼとニーナも窓から身を乗り出すようにして周囲を眺めている。
広い海のような畑の小麦や豆類、そして少し離れた所に見える斜面の緑は牧草だろうか。果樹園らしき手入れされた木々の広い連なりも見えている。水路では水車が幾つかゆっくり回り、そんなゆったりしたリズムがこの一帯ののどかさを象徴しているように感じた。
いい所だな。と本当にそう思う。
やがて何軒もの家が立ち並ぶ広場に入った所で、俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
「シュン~!」
突進してきたのはいつものシャーリーさん。
そして、幾人もの人に紛れて次々と家の中から出てきた少し懐かしくもある面々。
セイシェリスさんはニコニコと微笑み、クリスとウィルさんが手を挙げ、ティリアも両手を挙げて笑いながら何かを言っているようだ。
馬車の窓から飛び降りた俺は、シャーリーさんを素早くキャッチ。
「会いたかったぞ! シュン!」
「俺もですよ、シャーリーさん」
大きな犬を抱きかかえるようにシャーリーさんを抱きかかえた俺は、魔力探査。
「シャーリーさん、ケガしてますね」
「あー、うん。ちょっとな」
今、俺に飛びついてきた時も痛みはあっただろうに。そんなことを思いながら俺はキュア。シャーリーさんのケガの箇所、右腕に全力のキュアを施した。
俺が治癒魔法を使ったことが判ったエリーゼとニーナが眉を顰めた。
全員が広場に入ってしまうとすぐに、ニーナとセイシェリスさんが互いに紹介する形で挨拶が進み、それが終わるとソニアさんは騎士達へ野営の準備を指示した。
すぐに俺達とソニアさんは、セイシェリスさんに一軒の家の中へと案内される。
互いの近況報告となり、セイシェリスさんからは野盗が出没するという話が真っ先に語られた。
大量に収穫物が保管されている倉庫や収穫直前の作物が狙われたのだろうという話で、シャーリーさんのケガは見回り時に見つけた怪しい男を追った時のもの。その男とは別の場所から突然矢が放たれて、そのうちの一つを避けきれなかったらしい。
「シャーリーさんのケガは一昨日ぐらいのことですか?」
「ええ、そうよ。夜間の見回りを手分けしていたの。農園は広いからその分バラバラにならざるを得なくてね」
ガスランは怒りの色を感じさせる目でセイシェリスさんを見つめている。
「まだやっつけきれてない?」
「逃げ足が速くて。それに、相手の人数も分かってないから深追いはしないようにしてるのよ。南の森に逃げ込まれると隠れる場所が多すぎて難しいわ」
さてそういう訳で、善は急げとばかりに俺達は早速シャーリーさんが賊を追ったという所までやって来た。そろそろ夕暮れ時だが、相手はこれから今日の仕事を始める頃合いかもしれないし、さっさと片付けたいと俺は思っている。
セイシェリスさんとソニアさんには、ちょっと様子を見てくると言って出てきたので、ここに居るのは俺達四人とシャーリーさんだけだ。
立ち止まった俺はここに来て初めて全力の探査を実行した。
すぐに見つけた反応は幾つかの小動物や鳥、そして…。
ふむ…。そんなに遠くは無いが、こいつらは何をしてるのだろう。
荘園から更に離れる方向の南を指差した俺のそんな動きに合わせて、ガスランとニーナはその方向を見た。エリーゼも意識してそっちへ探査を向けたようだ。
「7人…、8人かな? 思ったより少ないね。近くに馬は居ない」
エリーゼがそう呟いた。
俺は、探査と俯瞰視点で得た結果をシャーリーさんが持っていたこの付近の地図に重ね合わせて記した。
その地図と実際に見えるその方角の景色を見比べたシャーリーさん。
「私は土地勘はないが、どうやらあの山の向こう側だな」
俺はシャーリーさんのその言葉に首を縦に振った。
「ですね。直線的に山越えするよりも、こう迂回してからの方が良さそうです。山道と言うか獣道みたいなのもありそうですよ」
地図をなぞりながら俺はそう言って、全員にこれから進むルートを示した。
「矢を放ってきたことからも、相手は夜目が利くと考えていた方がいいからそこは要注意。あと、容疑がハッキリしてる訳じゃないからスタンガンを使おうか。隊列はエリーゼとガスランが先行。続けてニーナと俺とシャーリーさん」
「「「「了解」」」」
「ん? スタンガン?」
とシャーリーさんが遅れて疑問を口にする。
「あ、すみません。先に渡しておけばよかったですね。どうぞこれ使ってください」
俺が収納から予備のスタンガンを一つ取り出して手渡すと、シャーリーさんはまじまじとそれを見つめた。
「むむ…、シュン。説明しなくても判るぞ。スタンガン…。ショットガンのスタンバージョンってことか?!」
「正解です。試し撃ちしますか?」
そう言って何発か木に向けて撃たせると、シャーリーさんはニッコリ微笑んだ。
「小さいだけで同じだな。もう大丈夫、使える」
直前でニーナが掛けた隠蔽魔法に隠されながら、俺達はその男達へと近づいた。
テントの前で火を使っているのはどうやら食事の準備の為のようだ。
手筈通りに散開したガスランとエリーゼとシャーリーさんが、男たちの四方を固めていく。
「……やっばり、あの荘園の大きな倉庫を見に行こうぜ」
「あそこは警備が多かっただろ。駄目だ」
「そうだなぁ…。けど、あそこはたくさんありそうだったのに」
「馬鹿野郎。少しずつでもいい、確実に食い物を確保するんだ。皆待ってるんだぞ。俺達が戻らなかったらどうなる」
という具合に、敢えて姿を晒して質問するまでもなく語ってくれていた。
さて、それじゃやってしまうか。
俺のスタンの初撃を合図に、一斉にスタンガンが8人の男に向けて撃たれ、男たちは声をあげることもなく全員がその場に倒れた。
◇◇◇
翌朝。
ソニアさんが指示した騎士団による取り調べに立ち会っていたニーナから聴かされたのは、
「王国軍が行っている強制徴収のせいよ」
という話。
野盗、いや山賊になり果てていた男達はこの荘園から南東へ50キロほど離れた所に在る村の住人だった。毎年納める税は、商会が農作物を買い取ってくれるその対価で支払っており、そうしても尚、自給自足の為の収穫物は十分にそれぞれで備蓄されていた。
これを根こそぎ奪ったのは王国軍。
そして食べる物を求めた村人の選択は他から奪うこと。負の連鎖にも程がある話だが、人は生きるためなら何でもしてしまう。
内戦が避けられないことが既に決定事項のように語られ、対する王国軍は早々に王都籠城さえも決定してしまっているような話が囁かれている。
軍団上層からの指示は浸透せず、治安維持の名目で出動したはずの軍は先を争うように自分達の兵糧をかき集めている。
「王都に入る物の流れと価格は、若干影響が出ている程度だと聞いていたのに。一歩王都の壁の外に出るとこんな状況だったとは…」
溢れる怒りと悔しさを隠しもせずに唇を噛み締めるニーナの肩に、ガスランが優しく手を置いた。
王都に物を運び込んでいるのは商人だ。だから、今ニーナが言ったことは軍の暴挙がまだ商人にまでは及んでいないことを意味している。最も弱い農民相手で留まっているということ。
だが、それはいつまでそうだろうか。
そんな話をしていると、ソニアさんとセイシェリスさんがやって来た。セイシェリスさんは父親を伴っている。
ソニアさんは姉が妹を慈しむ優し気な目でニーナを見ると、次に俺達を見渡した。
「王都の備蓄が乏しいのは事実なのよ。そして兵站も貧弱。平和ボケって言葉は以前シュンが言ってたことだよね。まさにその通り。王国軍は実際に戦いが始まれば王都内の商人の備蓄も徴収し始めるでしょうね。それは例え王都が封鎖されなくても商人はもう王都に物を持ち込まなくなると言うことよ…。そうなれば王都の民が飢える」
じっと俺を見ているソニアさんに俺は答える。
「短期決戦に持ち込むしかないってことですね…。どんな手を使っても」
「私もそう思う。だけどシュン、それは最終的には私達の母に決めて貰おうと思ってるわ。だからシュン達も母には遠慮なく自分の意見を言ってちょうだい」
ソニアさんはそう言って、握りしめていた拳を俺の肩に軽くぶつけた。
その時、エリーゼが少し場の空気の固さを意識したように明るい声を発した。
「じゃあ、早く王都に行かないといけないですね」
声に合わせて顔を向けたソニアさんはエリーゼに優しい笑みを返した。
「うん、そうね。で、それなんだけど、ここに来ている中央軍騎兵隊の50名は残していくことにしたわ。幸い、このラフマノールさんの商会の倉庫にはかなりの量の食糧がある。そのうち売って貰えるもの全てを買い取らせて貰うことにしたのよ」
ニーナが顔を上げてソニアさんを見た。
「姉上、それは…」
ソニアさんはニッコリ微笑んで頷いた。
「バステフマークにも協力をお願いしたんだけど、騎兵50名で周辺の村に食料を配って回るの。大切な王国民の為だもの、やるわよ…」
大きく頷いたニーナにもう一度ソニアさんは微笑むと、次の瞬間には一転して厳しい表情に変わった。
「私達は民を見捨てない。私達は、建国の理念を具現化し続けるウェルハイゼスよ」
ソニアさんの拳は再び固く握りしめられていた。
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