第295話

 魔王の遺産が封印されていると言われる塔があり、無数のサイクロプスが跋扈する広大なフィールド階層。


 俺とニーナはこの階層に降りて二日目の朝を迎えた。


 ニーナはしっかり熟睡、爆睡していたし、警戒はパッシブな探査にある程度任せた俺も、時間はそれほど長くはないがそこそこ睡眠を取ることが出来た。


「どんなに早くても今日の夕方か…。だとすると、まだ時間はあるな」

 目覚めの一杯にと濃いめの渋いお茶を飲みながら、つい考えていたことが口に出てしまった俺。

 その言葉はテントの中にまだ居る起きたばかりのニーナにも聞こえたようだ。

 テントから出てきて、両手を上げて伸びをしたニーナが言う。

「それシャフトの話だよね…。てか、おはよう。ごめんね見張り任せてしまって」

「おはよう。俺も割と眠れたよ。この森は大正解だったかもな」

「まさに森の恩寵って感じだよね」


 古代から森の種族と称されるエルフに伝わる逸話の中には、森そのものを守りの象徴として語ったものが多い。生活物資として多くの恵みをもたらす森が、外敵や魔物から守ってくれる天然の防壁、障壁としても機能していることへの感謝の念を綴ったものだ。

 感謝の対象である樹木、植物は、そのことごとくがユグドラシルと繋がっていると考えられていて、それはエルフに根付いているユグドラシル信仰の原点と言っていいだろう。森による守護はユグドラシルの恩寵の表れだと称えられているのだ。


 そんな話を思い出した俺は、ユグドラシル、か…。と頭の中で呟いた。

 森の恩寵という言葉を口にしたニーナも同じようなことを思っていたのだろうか、ユグドラシルのことを話し始めた。

「ねえ、シュン。ビフレスタには何度も行ってるのに結局、誰もユグドラシルは見せて貰えてないよね」

 俺の前に座り込んだニーナの前にもお茶が入ったカップを置いて俺は答える。

「ん? ああ、それはまだ駄目だってラピスティが言ってただろ」

「デルネベウムに移す時には見れますって言い方でしょ」


 ニーナが言いたいことが判って俺は思わず吹き出してしまう。

「あー、ニーナは俺達には無理ゲーだって言いたいんだな」

「そうよ。それっていつよ、100年後? 200年? 私のひ孫か玄孫だったら見れるのかって感じだよね」

「まあな。だけど俺達には、ビフレスタで育っている世界樹よりも継続の種子の方が切実な問題だよ。ビフレスタのことはラピスティ達に任せておくしかないし」


「うん…。ここに入っている継続の種子もいつかは芽吹くんだよね」

 ニーナはそう言って自分の女神の指輪をしげしげと見詰める。


「それは間違いない。と言っても、それも随分先のことみたいだけど」

 俺は長い時間とは別に芽吹くための状況、条件が在るんだろうと思っている。これは女神にもまだ聞けていないことなので推測でしか無いんだけど、これまでのことを考えると、その要件を満たすことを俺達にやらせたいのは間違いないだろう。俺はそう思っている。


 はぁ…、とニーナはため息。

「どっちも私が生きている間は関係なさそうな気がするわ」

「正直、俺もそう思う時がある」


 ふっと、少し自嘲気味な笑みを見せたニーナに俺も苦笑いを返し、そして気を取り直すようにテーブルの上に朝食を並べ始めた。


 こういう話は、実はエリーゼとガスランが居る時にはあまりしない。

 ヒューマンの俺とニーナは、エリーゼたちと比べると極端に短命だと言っていいからだ。長命種であるエルフのエリーゼとガスランに変な気を遣わせてしまうので、いつしかニーナも俺も二人の前では寿命に関する話はしなくなっている。


 朝食を食べ始めて、

「シャフトのことなんだけどな」

 と、ニーナが起きてきた時の話に戻ると、ニーナは目を見開いて関心を示した。

「うんうん。シャフトの出口を探しに行くんだよね?」

 俺は大きく頷いた。

「そうすべきだと思ってる」


「でも、ここ広いからなぁ…」

 これは、もぐもぐと擬音が聞こえそうなくらいに食べながらのニーナの言葉だ。

 空になった皿の上に追加の厚切りベーコンを出してやりながら俺は言う。

「どの辺か見当は付けてるんだけど、何となくの方角程度だよ」

「うん、だから窓の東のこっち側に来たんでしょ。じゃないかなと思ってた。けど、それにしても広いぞってのが言いたかった」

「まあな…。でも、取り敢えず行ってみよう」



 ◇◇◇



 さて、セイシェリス達一行。


 第9層に上がってすぐの安全地帯で一泊した翌日、一行はオクトゴーレムが居た中ボス部屋を目指した。


 途中遭遇するゴーレム達は遠慮なしのショットガンで全員であっという間に粉砕しながら進んだ。そして以前はオクトゴーレムが待ち構えていた闘技場のような中ボス部屋を通り、階段を一つ降りた先の通路をグリーディーサーペントが湧いてきたシャフトへと向かう。

 初めてここに来るバステフマークの五人は少し緊張気味だ。

 中ボス部屋に着いてから隊列の先頭はこの場所に慣れているエリーゼとガスラン。

 そのすぐ後ろにはフェルとレヴァンテが続いた。


 階段を降りて進み左右に分岐するT字路の所に来ると、エリーゼが後ろを振り返って言う。

「魔物の気配は全くないわ」

「この前、引き上げた時のままみたいだ」

「だね」

 ガスランに続いてフェルもそう応じた。


 そして分岐を通り過ぎてぐるっと回り込むように歩いた一行は、そのフロアで唯一の部屋の入り口に着いた。

 以前はあった土の広場は無くなったままで、部屋を囲うダンジョンの壁がそのままシャフトの内壁となっている形の、大きな深い垂直な竪穴を一同は目にする。


 セイシェリスはその様子に気押されたような表情で呟く。

「これは…、聞くと見るじゃ大違いだ」


 全員が恐る恐るという感じで穴の縁からは少し間隔をあけて穴の下を見下ろす中、竪坑シャフトの縁に立つエリーゼは下方への探査を始めている。


「ガスラン、あそこ…。最初はあれを目指した方が良さそうよ」

 エリーゼはそう言って隣に居るガスランにシャフトの中の一点を指差した。


 それは小さなテラスとでも呼べばいいのだろうか。

 ここから約100メートル下、シャフトの内壁に幅3メートルほどの出っ張った個所がある。角が無く上から見ると緩く弧を描いたようなそのテラスは、最も突き出ている部分なら人一人が楽に立っていられるぐらいの出っ張りだ。

「もう一つ先でもいいかも」

 ガスランはそう応じて、更に下にあるもう一つのテラスを指差した。


 シャフトの中はダンジョンの中に相応しくそれなりに明るいが、それも今ガスランが指差した二つ目のテラス辺りまでで、その下はどういう理由か暗くなっている。しかも、暗視効果がある首飾りを付けているのに暗くてよく見えないのだ。


「うん、でも前も思ったんだけどその下の暗さが気になるね。いかにもって感じがあるし」

 エリーゼはガスランにそう言うと、ライトの光球をシャフトの中に下ろし始めた。


 二つ目のテラスを通り過ぎた辺りからは光球をゆっくり下へ進めていく。セイシェリスも穴の縁まで来てエリーゼ達と一緒に下の様子を見始めた。

 そのセイシェリスがエリーゼに言う。

「明るい所は特に変わりはなさそうだけど、あの暗い所から先は要注意かな」

「ですね。光がかなり吸収されています。領域隠蔽されているような感じで」


 と、その時。

 あっ、とガスランが声を上げた。

 暗視効果がある首飾りをしていても暗くて見づらいシャフトの下の方に、エリーゼのライトが照らし出した物を見たからだ。


「あれは階段のように見えるね。どこまで続いているかは分からないけど…」

 セイシェリスがそう言ったとおり、シャフトの内壁に沿って下に続く階段が有ったのだ。


 階段は、幅が2メートルほど。そしてその段差は人に合わせたサイズのように見える。人間がその階段を使うことを想定した作りなのだろう。

 だが、そう思ったエリーゼは、それは同時にこのシャフトの中でも人間への対処が為されていることを匂わせていると感じている。そこに罠が準備されているような気もしているのだ。


 セイシェリスは双眼鏡を使い始めた。

 そのセイシェリスが双眼鏡は目から外さず見続けている姿勢のままで言う。

「エリーゼ、ライトの下降を止めてくれ…」

「了解です」


 光球の下降が停止してしばらくの後、セイシェリスは言葉を続けた。

「踊り場は結構広そうだ。かなり壁の方に抉れているような感じ」

 セイシェリス達が見ている上からは角度が足りずに見通すことが出来ないが、どうやらその踊り場の壁の窪みの先には何かがありそうな様子だ。


 その後、続けて階段の先を見続けて、もう一つ下の階段の折り返し部分。次の踊り場も同じように広くなっていることが判った。

 まだその先にも階段は続いているが、距離的にも視認はここが限界。


「さて、ここまでの情報を共有しておこうか…。皆の意見も聞いてみよう」

 セイシェリスはエリーゼにそう言って竪坑シャフトの縁から身を引いた。



 セイシェリスとエリーゼによる簡単な図を描いての説明を聞き、そして階段部分の先行偵察という話に全員が賛成した。

 ウィルが全員の懸念を代弁する。

「問題は、その踊り場には何かがありそうだってことだな」


 真上から見てもテラスは二つともその位置はほぼ重なっている。長いロープをその二つのテラスの上に垂らし、この場所に来る前から自分が最初に降りると言った通りにガスランが先行。

 するすると、まるでいつもそんなことをしているかのようにロープを握ったガスランは速いスピードで降りて行く。


「降りるのは割と楽。昇るのは体力使うけど」

 というのは、ロープの固定を確認しながら彼が直前にフェルに言った一言。


 フェルは、見ているとなんだか自分も楽にそうできそうな気がしてしまうが、ガスランのあまりにも身軽な様子に驚いた表情のクリスを見てそうじゃないんだと思い直す。

 そのクリスは自分を見ているフェルに小さな声で尋ねる。

「アルヴィースは、なんかこんな訓練してたの?」

「私はしてないけど、帝国でいろいろ変わった訓練したとは聞いたことがあるよ」

「でも、エルフはこういうのは得意なんじゃない?」

 二人の会話が聞こえていたティリアがそんなことを言った。


 それを聞いたクリスがくすっと笑う。

「ティリア、それ私に言う?」

「あれ? クリスは不得意なの?」

 聞き返したのはフェル。

 クリスは、恥ずかしさからの照れ笑いのような苦笑いに変わった顔で頷きながら応えた。

「これは木に登ったり降りたりするのとは訳が違うわ。それにガスランのあの速さは、全体重をずっと支え続ける腕力と握力に相当余裕が無いと無理よ」


 三人がそんなことを話しているうちにガスランは最初のテラスに到着。

 そして、テラスに降り立つと一旦そこで上を見上げてから、続けて行くよとでも言うように下を指差して頷いた。


 ガスランは次のテラスへの到着も早く、そしてその勢いのまま階段が始まる所まで降りて行く。エリーゼのライトがガスランの斜め上から追随して周囲を照らした。



 階段に降り立ったガスランは、手筈通りに小さめの照明の魔道具をその降りた位置に一つ置いた。そしてこれも事前に決めた通り、踊り場の所まで一人で階段を降りて進んで行った。


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