第165話

 また数日が過ぎたこの日。

 呼ばれていた衛兵本部から戻ってきたリズさんは気難しい顔を隠さなかった。

 それは皆の関心を集めるのにさほど時間が掛からない程に。


 そして、丁度その場に居たソニアさんの前にリズさんは歩み寄った。

「副団長、貴族への疑いが生じました」


 ソニアさんはニッコリ微笑んで、しかし毅然とした口調でリズさんに言う。

「必要なら相手が誰であろうと、私の名において捜査を許可するわ。だから、まずは事情を説明して頂戴」


 非常時を除き衛兵も領軍も男爵位以上の貴族への警察権は持っていない。平時において貴族へ強制力を伴う捜査などを行えるのは、同じ貴族による指示があった場合。例外は公爵家直属の部隊である騎士団のみ。しかし騎士団に権限があるということとそれを実際に行使するのは次元が違う。ある意味、抑止力的に設定された権限だからだ。


 衛兵達の調査から見えてきたことについてリズさんが報告を始める。


「墓荒らしがあった前後、付近を走る不審な馬車が目撃されていました。少なくとも3回、それぞれ別の場所です」


 大きな墓地だとそこに至る道は割と整備されているし、そんな道沿いにはそれなりに民家もある。しかも深夜の馬車は目立つ。

 そして明け方近くにその馬車が向かったのは街区方面だったということが判った。

 アトランセルの街区の門は夜間は閉ざされているが、スウェーガルニなどと同様に身分の証明さえできれば通行することが可能だ。そして当然、昼夜を問わず全ての入門者と退門者は記録に残されている。


「入門の記録でその馬車と乗車していた人物を特定しました。そして次にこの人物の入退門の記録を辿ったところ、墓荒らしが行われたと思われる日時との一致が多数見られました。馬車の目撃情報と一致している可能性が高いと思われます」


 リズさんは、おそらくその入退門の記録の写しだろう。書類を出してソニアさんに渡した。それを見たソニアさんの眉間に皺が寄る。人物の名も記されているからに違いない。


「ブレアルーク子爵。屋敷の場所は知ってるわ。行ったことがあるから」

「えっ! ブレアルーク子爵?!」

 ソニアさんの言葉にニーナが驚きの声を上げた。


 ソニアさんはそれっきり黙って、リズさんが持って来た書類をじっくりと見始めた。


 ニーナが俺達の方を振り向いて小さな声で言う。

「傍流ではあるけど、うちの家系と繋がりがある家なの。アトランセルに親戚は少ないから一応親戚付き合いはあるわ」

 ウェルハイゼス家は元々は王都に根付いていた家なので、アトランセルには親戚は少ないという話は聞いたことがあった。


 書類を読みリズさんと小声で話を続けていたソニアさんは、ふぅっと息を吐いてから俺達に目を向ける。騎士の顔つきになっていた。

「第一騎士団と特務部隊が対応する。アルヴィースにも同行をお願いしたい」


 その後ソニアさんが部屋を出てから、大掛かり過ぎる気がするとニーナに言ったら

「領都の街区内、それも貴族区に魔物が潜んでいるなんてことが事実だとしたら、衛兵も軍も領民からの信頼を失うわ。だから、これ以上の失態は絶対に避けなければならないのよ」

 と、深刻な顔で言われた。


 もう夕暮れが近い時刻だが、翌日にするという考えはソニアさんには全く無いようだった。1時間後、騎士達が粛々と集まったのは城の中の一室。

 騎士団の魔法師によって張られた遮音結界の中でソニアさんの静かな声が響いた。

「状況は各小隊長から説明があったと思う。第一段階では屋敷の包囲と封鎖。最初は事情聴取に応ずるよう呼びかけるつもりだ。それはラルフ団長と私が行う。そしてニーナを含めたアルヴィースの4名にも同行してもらう」


 集まった顔ぶれを見渡すと騎士達には見知った顔が多い。このところずっと訓練や剣術指導で良く騎士団を訪れていて多くの騎士達と剣を交えていたからだ。


「特務部隊からの第一報では、現在子爵は在宅。警備は私兵はおらず貴族区の巡回の衛兵のみ。衛兵には既に事前に通達済みだ。屋敷のメイドや料理人はじめ使用人は全て通いの者ばかりで、既に今日の務めは終わっていて屋敷には居ない」


 つまり、屋敷には子爵一人しか今は居ないということ。

 貴族なのにそんなものなのか、と言うか家族は居ないのか。



 子爵邸への道すがら、馬車の中でソニアさんが話してくれる。馬車には俺達4人とソニアさんが乗っている。ラルフさんは騎士達と共に馬で向かった。


「ブレアルーク子爵は32歳。彼には奥さんが居たの」

 過去形か…。

「1年ぐらい前、代官として赴任していた町で不幸な事故が起きてね。奥さんはその事故で…。それで休暇の願いが出て父がそれを受理してからは領都に戻っていたの」


 ニーナが問う。

「姉上、その事故というのは?」

「私も報告書を読んだんだけど、馬車の暴走に巻き込まれたらしい。その時の怪我がもとで1か月後に亡くなったそうよ」


 そんな話をしているうちに貴族区に入った馬車は、一旦警備の衛兵の詰所前で停まるが、すぐにまた動き出す。

 貴族区を更に少し進み、馬車は古い屋敷の前で停まる。貴族区というだけあって一つ一つの区画は広大で家という家が全て大きい。その中に在ってはこじんまりとした物なのだろうが、その屋敷には明かりが一切灯っておらず、既に日が暮れてかなりの時間が経つ周囲の暗闇に黒く溶け込んでしまっているように感じた。

 屋敷の敷地は人の背丈より少し高い程度の柵で囲まれていて中の様子は見づらい。しかし鉄の格子状の門扉の間からは、意外にも綺麗に整えられている庭の様子などがおぼろげに窺える。


「配置は完了しております」

 近付いてきた騎士の一人がそう囁くと、門の前で合流したラルフさんが頷いた。

「シュン、何か感じたらすぐに教えてくれ」

「はい。ですが、既に違和感を感じてますよ」

 言われるまでもなく探っている。

 ここは何かおかしい。

 ソニアさんが俺を見る。

「違和感とは?」

「屋敷の地下に何かあります。探査を躱されていると言うか、まるでダンジョンの中を見ようとした時のような感じですね」

「隠蔽の結界…というより壁?」

 エリーゼのその呟きにガスランが首を傾げている。


 ラルフさんが門扉を開けようとした時、突然屋敷の入り口の灯りが点いた。

「おっ…、待つか」

 人などの侵入を検知する魔道具は珍しくない。特に貴族の屋敷には。それが在るのは分かっていて動作するままに任せていたが、その通知を見た者が居ることはこの灯りで明らかなようだ。


 一人の男が玄関から出てきた。

「気を付けて。普通の状態じゃない」

 俺が声をかけるまでもなく、全員がいつでも武器を抜けるように魔法が放てるようにしている。


「珍しいお客人ですね。しかもこんな夜更けに」

 門柱と玄関までの明かりも灯され、男はそこを歩いてきた。すぐに門扉を片側だけ開いてそう言って微笑んだ男は、ソニアさんとニーナに向けて臣下の礼を見せた。

「ソニアシェイル殿下、ユリスニーナ殿下。お久しぶりでございます。そちらは騎士団長ですか。お揃いでいかがされましたか」


 ラルフさんが一歩前に出る。ソニアさんを庇う角度。

「ブレアルーク卿、こうしてきたのは他でもない。貴殿に窃盗の容疑が掛かっている。少し話を聞かせて貰えないだろうか」

「窃盗…。さて、よく分かりませんがここで話すことでもなさそうですね。どうぞお入りください。あいにく、この時間には使用人は誰もおりませんので十分なもてなしは出来ませんが」


 左右両方の門扉を内側から大きく開け放ったブレアルーク子爵は、どうぞとでも言いたげに腕を広げて玄関の方を指し示した。

「行こう」

 ラルフさんがそう言って、先導するブレアルーク子爵の後ろを歩き始める。

 こちらをチラッと振り返ったブレアルーク子爵は、俺に一瞬視線を留めるがすぐに前を向いた。


「シュン、普通じゃないのは私にもなんとなく解ったけど。どういうことなの?」

 ニーナが俺の袖を引っ張って引き寄せると小さな声でそう尋ねた。

 エリーゼもガスランも立ち止まって傍に居る。

「鑑定が出来なかった。全力のは試してないけど」

「へ?」

「……」

「人間だけど人間とは思えない。空虚。感情が無い」

 エリーゼは辛辣だ。しかし、その表現はある意味正しい。人に在って当たり前の感情を俺も全く感じ取れなかった。もしくは完璧に抑制されているかだが、どちらにしても普通じゃない。

「危険は無いのよね」

「彼自身には魔力も武力も無いに等しいから今のところはな。ただ地下には要注意」

 ラルフさん達の筋の通し方の邪魔をする気はない。でも冒険者の流儀で言うならば取り敢えず捕縛してから吐かせるかという、そんな状況だと俺は思っている。

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