6




 僕はずっと眠り続けている。


 何も存在しない、小さな部屋の中で。


 暑くもなく、寒くもない、暗闇の中で。


 でも、それはきっと誰かにとって必要なことなんだろう。


 誰にとって?


 それは僕にもわからない。


 でも、それでも良かった。


 だって僕はずっと幸せな夢を見ていたような気がするから。





 ある日、僕は夢の中で不思議な青年に出会った。


 その夢の中には見たこともない風景が広がっていて、とても不思議な世界だった。


 夕陽の光を浴びた川が流れていて、そこに架かる橋の上を乗り物らしきものが移動する音が遠くからガタンゴトンと聞こえてきた。


 窓が規則正しく並んだ建物が立ち並んでいて、かけられた衣服が風に揺れていた。


 何処からか子供達が楽しげに遊ぶ声も聞こえてくる。


 泥だらけになって“また明日”と笑顔で友達と手を振り合っていた。


 僕はそっと瞼を下ろしてみた。


 頬を撫でていく風の温度と、それに混じって何処からか漂ってくる食事の匂い。


 水底の小石をなぞる川の音、遠くを慌ただしく走り去っていく乗り物たちの走行音。


 そして瞼越しに感じる夕陽の明るさ。


 けれどそれは少しも不快ではなかった。


 むしろもっと見ていたかった。


 僕が見たこともないはずの景色は、どこかとても優しくて切なかった。


 胸を焦がすような懐かしさを感じながら、僕は再び瞼を持ち上げた。


「不思議な風景だね」


 気づいたら、僕は無意識に青年にそう語り掛けていた。


 青年はとても驚いた顔をしてこちらを振り返った。


 青年はきっと自分の足元にばかり気をとられて、僕の気配に気づいていなかったのだろう。


 青年はその腕に小さな動物をその腕に抱き上げていた。


 茶色い毛の仔犬は、尻尾を振りながら大きな目で僕を見上げていた。


 自分を抱き締める青年への信頼感、そして僕という初対面の人間に対する好奇心。


 きっと十分に愛されて育ったのだろう、純粋無垢な双眸が僕を見上げてきていた。


「どうして…」


 驚愕している様子の青年の口からようやっとという感じで言葉が絞り出された。


 それと同時に、再び強い眠気がやってきて、僕の意識は新しい夢の淵へと沈みこんでいこうとする。


 青年の夢の結末を、僕が知ることは一生ないのかもしれない。


 だけど。


 僕は夢の淵に沈んでいきながら、意識が途切れる刹那まで胸の温かさをじっと感じていた。




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