第9話

「僕は行けません」

「何でよ?」

「田舎から東京の大学へ行くときに、母に言われたんです。『歌舞伎町だけは行っちゃダメよ』って」

「なによそれ、子供扱いされちゃって。あんたお坊ちゃまなの?」

「はー」

「もう大人なんだから、行きなさいよ」

「でも……まだ怖いです」

「それじゃあ、私も一緒に行くわよ」

「それなら……」


「ロコ姉さん、歌舞伎町に行くんですか? 私も連れて行ってください」

「友美ちゃんはダメよ、未成年の子は行っちゃいけないのよ。あそこは」

「何でですかー」

「あぶないお店がいっぱいあるんだから、さらわれるわよ」

「俺が行きますよ」

「マスターはもっとダメ、お店の女の子をさらってくるから!」

「そんな事したの、たった一回だけじゃないですかー」

「え、したんですか? 本当に」


「そろそろ行くわよ、啓太」

「もう行くんですか?」

「当り前よ、この仕事は急ぎなんだから」

「明日のお昼ごろじゃあ、ダメなんですかね」

「この薬屋は夜しかやってないわよ、私は着替えて来るから待っててね」


 ロコさまは事務所に戻って行ったけど、この喫茶店の人たちも怪しい人だなあ、コンソルロコ社ってまともな会社じゃない気がする。


「お兄さんどうしたんですか? うかない顔して」

「ああ、今日入社したばかりだけど、不安だらけなんだよ」

「辞めるならあさってにしてね、お願いっ」

「いやいや、辞めるなら明日だな」

「うんもー、こうなったら一週間は辞めません!」

「あと、これ持ってた方がいいわよ」


 友美ちゃんは、棒が付いてるピンバッチを僕に渡したんだ。


「何これ、お守りのつもり?」

「違うわよ、スパイカメラ」

「え、こんなに小さいカメラがあるんだ!」

「何かの時に役に立つわよ、スマホ用のアプリと説明書はここからDLしてね」

「うん、わかった」


 僕はピンバッチを受け取り、上着の左襟に着ける。それから友美ちゃんが紙に書いてくれたアドレスから、カメラ用のアプリをスマホにダウンロードした。


 しばらくしてロコさまは、白のⅤネック・インナーに濃い色のベージュの上着とスリムパンツに着替えて来た。さっきとうって変わってキリっとしてる。その着こなしに無駄が無いなあと思った。


「啓太、行くわよ」

「了解!」


 僕の初仕事だと思うと、好奇心と不安が入り混じった気持ちだ。だけどこの奇麗なお姉さんと一緒に歌舞伎町に行くのは、少しぞくぞくする。


 店を出ると、駐車場と反対方向に大股で歩いて行く。僕はロコさまに遅れまいと、並ぶように歩いた。


「ロコさま、車じゃないんですか?」

「都内には車では行かないわ、電車よ」

「あれ、いい香りがしますね」

「ええ、汗を消すために『ケルン水』を付けたのよ」

「ケルン水?」

「フランス語でオーデコロンはケルンの水っていう意味よ、ドイツのケルンが発祥地なの」

「へー、そうだったんですか」

「宇都宮から新幹線で行けば、新宿には七時前に着くわね」

「夜のデートみたいですね、えへっ」

「さあ、どうかしら」


 七時少し前、新宿駅に着いた。ロコさまは、また大股で歩き出した。どこを歩いても人ごみの多い道路を付いて行くのがやっとだ。


 その内繁華街に入って、あっちこっちに興味がそそられる看板が目につくんだけど。ロコさまは人をかき分ける様に早歩きしているから、よそ見できないんだ。


 少し人が少なくなった所で細い路地に入ったとたん、赤の下地に金色の文字が浮かぶ、めちゃくちゃ派手な看板が目に入って来た。


『絶倫薬局アヘアへ』


「啓太、着いたわよ」

「ここですかー、何か怪しそうな店ですね」

「啓太一人で行ってきて」

「えー、嫌ですよこんな店」

「だって、二人で入ってあのゲルの事を聞くのよ、恥ずかしいでしょ!」

「無理無理、僕一人では絶対に行きませんよー」





「あんた、まったく役に立たないわね!」

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