第111話 老いた天才剣士は重要人物 異変問答(3)



 アイラに頬をぶたれたオーバは目を見開いた。


「アイラ・・・」

「ぐずぐずしないっ! もう一発いるのっ?」

「いや、でも、まだこの内乱が・・・」

「そんなことはもうどうでもいいわよ! それはもともとトゥリムがしなきゃいけないことよ。そうでしょ?」


 アイラはそう言い放って、ちらりとトゥリムを見た。

 トゥリムは慌ててうなずいた。


「オーバだって、トゥリムがすることだって思ってるから、これまでずっと裏で動き回ってるんでしょ? もう王都を落とすところまで、一通りの作戦は決まったし、トゥリムがそれをやってのけなきゃ、そこから先がなくなるわよ」


 アイラの言う通りだとおれも思う。

 トゥリムがこの先、この国を動かしていくのだというのなら。

 これはトゥリムが成し遂げなきゃならない戦いだ。


 それに、オーバがいないってのは、不安がないわけじゃないが、それでもここまで準備が整っていて、おれたちにはできないなんて言いたくない。


「・・・アイラ、落ち着きなって」


 ノイハがそこに割り込んだ。


 ・・・おれはまた出遅れたのかもしれない。


 さっきからまだ一言も、何も言えないままだ。

 ノイハとアイラは、もともとダリの泉の村で暮らしていた同郷の古馴染みだ。


「・・・落ち着いてるわよ・・・これでも」

「オーバが心配してんのはさ、この内乱のことだけじゃねーって」

「何よ、それ?」

「そーだろ? オーバ?」


 アイラには答えず、ノイハがオーバをまっすぐに見つめる。


 ・・・珍しい。


 ノイハはいつも飄々としており、笑顔を絶やさない。


 こんなに真剣な顔で、しかもオーバにまっすぐ向き合うなんて、あの時以来かもしれない。ノイハが「三本之矢」のスキルを身に付けて、オーバに手合わせを挑んだ、あの時以来だ。


 ノイハらしくないようすが、事態の重さを予感させる。


「ノイハ・・・」


 オーバの方が顔をそらした。


 ・・・ますます、クレアの身に起きた何かが、重大なことなのだと思わせられる。


 さっきまでいろいろと言っていたアイラも黙る。


「トゥリムぅー、カリフと少し、外で待っててくんねぇーか?」


 ノイハが顔をそらしたオーバを見つめたまま、そう言った。

 それは、おれとアイラ以外には聞かせられない話になるという意味だ。


 おれは、ごくりと唾を飲んだ。






 トゥリムとカリフが静かに天幕を出ていくと、ノイハは敷布を取り出して広げ、おれたち全員に座るように首を動かして促した。


 おれとアイラがそれに従って座ると、オーバも、どこか、何かをあきらめたように敷布の上に腰を落とした。


 カリフはまだしも、トゥリムを外させるってのは、よっぽどの内容だ。


 アイラにも、内容は分かっていないみたいだから、ノイハとオーバだけで通じ合う話。


 ・・・あれか。


 何年か前、まだ辺境都市と関わるよりも前に、オーバとノイハで大草原の猛獣地帯と呼ばれる危険な地域を探索して回ったことがある。


 そのときのこと、なんだろうな。


 そういえば、クレアがアコンにやってきたのは、オーバとノイハが探索から戻ってすぐのことだった気がする。


 ノイハがオーバだけを見つめて、口を開いた。


「これからクレアんところに行くってのは、小竜鳥の岩山の、『向こう側』へ行くっつー話になるんじゃねぇのか、オーバ?」


「・・・そういうことになる」


 少しだけ間を置いて、オーバが答える。


「そこに、クレアはいるのね?」


 アイラの心配はクレアのことらしい。


「・・・おそらく、そのはずだ」

「なら、行って、オーバ。クレアのところに」


「・・・まー、これがさ、そう簡単じゃねえっつーか、うーん、なんつーか」

「どういうことだ、ノイハ?」


 よし。

 言えた。


 とりあえず、一言はなんとか言えた。


 ・・・いや、年寄りはなんというか、少しでも発言して立場を保ちたいところがあるんだ。


 もちろん、これが重大な話だってことはおれも理解している。

 だから、ここからは神妙に聞く姿勢で臨む。


「この国の内乱なら、オーバがいなくてもさ、確かになんとかなるかもしんねーし、失敗しても別にかまわねーんだけど、オーバの行き先があの『向こう側』っつーんなら、それは、まずいよなぁ」

「『向こう側』の何がまずいのよ?」

「忘れたのかよ、アイラ?」


 ノイハに視線を向けられて、アイラが首をかしげる。

 アイラがノイハをじっと見つめて・・・しばらくするとオーバに視線を移した。


「小竜鳥の岩山の『向こう側』って、ひょっとして、あのときの・・・」

「思い出したみてーで安心した。これで分かっただろ?」

「ええ、そういうことね・・・」


 ・・・すまんが、分からん。


 どういうことなんだ?


 ・・・だが、年寄りはこういうときに分かったフリをしてしまって素直に聞けない。


「『向こう側』っつーのは、それがオーバだったとしてもさ、危険過ぎんだよな」


「・・・だから、あのときみたいに、女神さまは分身すら残すことができないのね。オーバを守るために全ての力が必要になるから」

「ああ。今はアコンにもさ、アイラのそばにも、クマラのそばにも、他んとこにも女神さまの分身がいて見守ってくれてんだ。でも、オーバがそこに行くとなると・・・」

「あたしたちは女神さまの分身に見守ってもらえないわね」


「・・・だな。そーすっと、この先、いろんなことが起こっても、女神さまを通じて伝えてもらえねぇんだから、オーバの心配は、この国の内乱っつーよりも、アコンのみんなのこと、だよな、オーバ?」


 ノイハの言葉に、オーバがゆっくりとうなずいた。

 ノイハとアイラは通じ合っているし、おれも、女神さまがいなくなるという不安は伝わった。


 だが、『向こう側』というのがよく分からん。


「・・・あのときはまだ、サクラがおなかにいたわね。クマラと二人で織機を使ってたら、女神さまから突然、オーバが危険だから村のことはまかせますって言われたわ。そうね、それからオーバとノイハが戻ってきて、しばらくしてクレアがアコンに住みだしたわ。うん、覚えてる」


 サクラが生まれる前の話?

 かなり前だな。


 ・・・灰色火熊がアコンを襲って、おれは出遅れて何もできずに、灰色火熊を倒したジルとクマラにいろいろ言われたあの頃のことか。


 なんでああいう苦い記憶はしっかりと残るんだろうか。

 いや、まてよ。


 何か、ノイハがみんなに話してたような気がするんだが・・・。

 確か、小竜鳥にぶら下がって空を飛んだって話あったよな? あれは・・・。


「赤竜と、青竜の話・・・だな」


 思い出した。


 オーバとノイハは、大草原の探索の終わりに、竜を見たって話だった。オーバからは聞いたことがなかったが、ノイハはよく子どもたちにおもしろおかしく話してたな。


 ・・・まさか、あれ!

 本当の話だったのか!?


 ノイハがぺらぺらしゃべって、オーバが何も言わないもんだから、てっきりノイハの作り話だと思ってたんだが。


 ・・・いや、作り話ではないというのなら。

 いくつか思い当たることがある。


 大草原の氏族たちに古くから言い伝えられてきた話。


「大草原の西の果ては、大草原氏族たちから『竜の狩り場』と呼ばれている。馬や羊が竜に喰われるって言い伝えがある場所で、どの氏族も西の果てには近づかない」

「そんな話があったのね」

「今はもう、アコンや辺境都市との交易がどんどん盛んになっているからな。大草原からは南や東に向かっても、西へ行くことなど考えもしないんだろう。こういう言い伝えも、薄れてしまったのかもしれんな。オーバはクレアのところ、つまり竜の住処へ行くんだな。確かに危険過ぎる話だ」


「・・・それならなおさら、クレアのところにはオーバしか、行けないじゃない。こっちはあたしたちでもできる。必ずトゥリムを王にして、スレイン王国を安定させ、アコンからカスタまでの交易の結びつきを強めてみせるわ」

「ああ、トゥリムのことは任せろ、オーバ」


 ・・・おれもようやく、いいことが言えた。


「そうよ。あの頃よりも、あたしたちはずっと強くなってるわ。アコンだって、ジルもいれば、クマラもいるもの。ウルだって。オーバが戻るまで、あたしたちでアコンは守る。大丈夫よ」


 おれとアイラが、オーバの後押しをする。

 おれたちにスレイン王国の内乱は任せて、オーバはクレアの無事を確認してくればいい。


「そうだろう、ノイハ?」


 おれはノイハにもオーバの後押しをしてもらおうとしてふり返った。

 ノイハはまっすぐにオーバを見つめている。


「ノイハ?」

「どうしたのよ?」


 別に、ノイハとオーバはにらみ合っているというわけではない。

 ただ、こんなに真剣なノイハは、おれにとっても、昔なじみのアイラにとっても、とにかく珍しいのだ。


 オーバもまっすぐノイハを見つめ返している。


 しばらくたって、オーバがふぅと息を吐く。表情は、ずいぶんと柔らかくなったように思う。


「気づいているんだろ、ノイハ?」


「・・・何が?」

「言わない気か? その顔で?」

「言っていーのかよ? 本当に? この二人がいるところでさ?」

「ノイハが今まで隠してくれてたことは、感謝してるんだ。だけど、今は、おれがクレアのところに向かうとして、アイラとジッドがそのことに納得するには、隠していてはダメなんだよ」

「隠してたって、わけじゃねーよ・・・」


「そうなのか?」

「ああ。なんとなーく、そうじゃねーかなー、とは思ってたんだ。でもなー、それがはっきりそーなんだなーと思ったのは、スレイン王国に来てからさ」

「こっちに来てから?」


「・・・カスタっつー町だっけ? あっこに立ち寄って、町ん人から聞いたからな」


「・・・なるほど」


 何だ?

 オーバとノイハは、互いに納得しているみたいなんだが。

 おれとアイラは完全に置いてかれている。


「オーバ? ノイハも? あたしには話が見えないのよね? 何のことなのよ?」


 アイラがそう言った。

 おれも、まったく同じ気持ちだ。


 だから、その、ノイハの返答に。

 おれとアイラは、驚くしかなかったのだ。


「アイラ。クレアは竜だ。人間じゃねーんだよ。そんでも、アイラはオーバに、クレアの無事を確認しに行けーって、言えんのかよ? アコンの守りを弱めて、オーバを危険にさらすんだぞ?」

「ノ、ノイハ? 何言ってるの? 何の話よ、それ?」


 アイラは、ノイハの言った言葉が理解できていない・・・もしくは想像できない、のかもしれない。


 それはおれも同じだが・・・。


 クレアが竜?

 ノイハは何を言ってる?


 そんな話が理解できるわけがない。

 どこからどう見てもクレアは人間だ。


 確かに赤い髪と赤い瞳は珍しい。

 クレア以外におれは見たことがないといえばその通りだ。

 でも、クレアは人間だった。


 竜ってのはあれだ、大草原を流れるスレイン川に棲んでて、川に近づいた人間を喰っちまう、なんとかってのに姿が似てるって話だ。なんだったか、ワナだったか、ワノだったか。


 クレアは間違いなく美女。

 そんな人食いの猛獣に似ているはずがない。


「言い伝えで聞いた竜とは、トカゲの頭に角、背中に翼、太くて長い尾にはトゲ、二本の後ろ足で立ち、腕はそれほど長くなく、手足の爪は全てを切り裂き、その牙は全てをかみ砕く。体を覆う鱗は頑丈で、翼をはためかせて空を飛び、口から炎を吐く、という。クレアには、何ひとつ、あてはまらんぞ、ノイハ。どちらかというとクレアは人間の中でもかなりの美女だ。赤い髪や赤い瞳は確かに珍しいが」


 おれはノイハに、言い伝えで聞いた竜について教えた。


 ・・・言い伝えなので、もちろんおれは見たことなどない。





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