第108話 老いた天才剣士は重要人物 ツァイホンの戦い(9)



 五日目。

 十九人の敵兵とヨーハン侯爵をツァイホンへと移送するため、八十人の兵士を割いて、神殿騎士カリフを隊長として送り出す。


 もう敵兵を捕えずに殺してしまった方がいいのでは、とトゥリムに言ったら、捕えた敵兵はそのまま領地で一年から二年、諸侯との交渉次第では最大三年まで働かせることができるのだと言う。

 しかも、その後の捕虜の居場所は、故郷に戻るか、そのまま残るか、捕虜が選べるそうだ。働かせている間に誰かと結ばれて子が生まれると、その子はその領地の者となるのだそうだ。


 そもそも敵兵はどこかの領地の領民であり、戦乱がなければのんびり畑作業をしているはずの人なのだという。

 敵兵を捕えることは、それがそのままスィフトゥ男爵の領地の力を強めることにつながる。男爵としては殺したくない。それでいて食事は与えないのだから、難しいものだ。


 あいつら、そのうち飢え死にするぞ。


 まあ、オーバはそういう事情を分かった上で、それでも相手の食糧を削ったんだろうな。辺境伯領の軍勢が勝っても、スレイン王国全体としては、弱体化するようにしておきたいのだろうと思う。


「男爵にしてみれば、予想以上にツァイホンの戦いで敵兵を殺してしまった、と思っているでしょうね。殺すよりも捕えたいと考えていたのですから」


 トゥリムは苦笑いをしていた。

 オーバの作戦と、テツの矢があの戦いでは効果があり過ぎたのだ。


「なるほどな。だから、伝令のあいつはあの男爵のことをずる賢いって言ったのか。あいつが一番多く敵兵を捕虜にしてたからな」


「フェイタン男爵ですね? まあ、ある程度はユゥリン男爵もスィフトゥ男爵も交渉して捕虜の数は増やせるでしょうが、自分で捕えた敵兵の身柄を簡単にはフェイタン男爵もゆずらないはずです。前もって立てていた作戦通りとはいえ、難しいものです」


「前もって立ててた作戦以上に兵士を率いてただろうに」

「それは、不満をぶつけにくいところです。増やしたその分の兵士の兵糧もフェイタン男爵が準備しているのですからね」

「協力しながら、同時に敵対してるのか。面倒な話だ」


 おれは鼻息を荒くしてトゥリムから目をそらした。


 ふと、ツァイホンの町で矢を回収しながら、負傷した敵兵を捕虜にしてフィナスン組に治療させればよかったんじゃないか、と思いついた。

 負傷していた敵兵は外壁の下でそのまま放置されたのだ。おそらく、そのまま多くの者が死んだのだろう。


 まあ、今さらだけれど。


 そして、五日目の夕方までに、五人の敵兵を新たに捕まえたのだった。

 こいつら、空腹が限界を超えて、顔から生気が抜け落ちてやがる。


 もう、こいつらには何か食わせた方がいいんじゃないか?


 飢え死にしたら、男爵にとっても無駄になる。しかし、生かしてまたツァイホンまで移送するとなると、それなりの兵数を割かなければ難しい。


 目的地のリィブン平原まではあと少しだとトゥリムが言っていた。


 さて、どうしたもんやら。






 結局、スィフトゥ男爵は捕虜に食事を与える決断を下した。


 ただし、おれたちの一食分の五分の一だけ。

 本当に、死なないぎりぎりの分量だけを与えるという。


 ・・・はっきり言えば、うちはフィナスン組による輸送のおかげで食糧にはずいぶんとゆとりがある。そこまで削らなくてもいいんじゃないかと正直なところ、思う。


 とりあえずこれ以上は進軍せずに、明日、兵を割いて捕虜をツァイホンへと送る。先に割いた神殿騎士カリフの一隊が戻れば、リィブン平原へ軍を進めるつもりらしい。


 捕虜にかまわず、先にリィブン平原へ入って有利な陣地を押さえ、そのままカイエン候ってのと戦った方が逃げた敵兵からの余計な情報を与えずに戦えると思うんだが。


 それだけ男爵にとって捕虜ってものが重要なんだろうな。


 でもなあ、どうなんだろうな。

 オーバなら、どういう決断を下しただろうか、と考えてみる。


 ここで男爵が望んでいるのは、捕虜が最終的に辺境都市で住み続けることなのだから・・・。


 今回の決断はどうだろうか。

 うーむ。


 ・・・そうだな。オーバだったら、だけれども、スィフトゥ男爵の逆になるんじゃないかと思う。


 つまり、腹一杯食べさせる。そして、その上で捕虜を逃がしてやる。

 うん、そうだな。オーバならそうする。


 その方が楽で、結果もよくなるはずだ。


 ・・・それで次に考えるのは、このことをスィフトゥ男爵に教えてやるべきか、どうか。


 確か、スィフトゥ男爵の娘のキュウエンはオーバの妻の一人だったはず。

 ただし、キュウエンが大草原や大森林に来ることは・・・もうないかな。あれは、辺境都市にいて、オーバが訪れるのを待つ人だ。

 オーバなら妻となったキュウエンを助けたり、支えたりはするだろうが、だからといって父親のスィフトゥ男爵まで手助けするのかと言えば、そうでもない気がする。


 ・・・いや、しないな。手助けじゃなくて、オーバは男爵を利用する方だろう。オーバの力を借りたいのは男爵の方だ。


 スィフトゥ男爵の決断を尊重するとしよう。


 余計な口出しはしない。きっとそれが一番いい。






 六日目。

 五人の捕虜のために、二十人の歩兵を割いてツァイホンの町へと移送する。これで、先に行かせた兵と合わせて、百人が一時的に離脱。スィフトゥ男爵の軍勢は三百となった。


 さすがにこれだけ減ったら進めないと、おれたちはそのままここで滞陣することになった。

 あと少しで目的のリィブン平原だというのに足止め。


 まあ、少しくらいなら休息もいいだろうと思っていたら、トゥリムは大森林で行っていた訓練を歩兵たちにやらせ始めた。


 ・・・いや、まじめなところは本当に大切だとは思う。


 疲労がそれほど出る訓練でもないしな。


 ただ、ひたすら、列をつくって乱さないように前進と後退。

 同じ歩幅で同時に動く。


 全員が一糸乱れずそろうように。


 ただひたすら前に進んで後ろにさがる。


 おれとアイラがオーバの指示で、大森林でひたすらやらせた訓練のひとつだ。


 前進、後退、と叫ぶトゥリムの声とともに、薄気味悪いほどそろった足音が聞こえてくる。

 勝つためには必要なことなんだろうが、ここまでオーバに心酔して取り組むトゥリムが少し心配な気もする。


 さらに、十人一列や二十人一列、百人一列、二十人一列で五列など、列の人数を変化させたり、立ち位置や組み分けを変えたりしながら、ひたすら訓練が続く。


 まっすぐな隊列での訓練が一通り終わると、今度は曲線が加わる。


 トゥリムが「十歩前進で四半円」と叫べば、前進しながら隊列が弓なりに変化し、その幅をせばめていく。


 その後も四半円から半円、半円から直線など、前進しながらだったり、後退しながらだったり、その場でそのままだったりと、さまざまな隊列がトゥリムの指示通りにつくられていった。


 スィフトゥ男爵は大森林で鍛えられた自分の町の兵士たちを満足そうに見つめている。


 ・・・いや、男爵の奴、この隊列変化や一致行動の意味、分かってんのかね?


 そんなことを思っていると・・・。


「ちょっと、平原への進軍が遅れてるみたいだけれど、どうしたのよ?」

「うおっ!」


 突然、女性に話しかけられてびっくりした。

 振り返ると、おれの後ろに赤髪赤瞳の美女、クレアが立っていた。


「びっくりしたじゃないか、どうしたんだ、クレア?」

「オーバの予想なら、昨日、リィブン平原にアルフィの軍勢が入ってくるはずだったのよ。来なかったから探したじゃない。どうしたのよ?」

「ああ、それはだな・・・」


 おれは、スレイン王国での、捕虜に関する説明をクレアに話した。


 そうなんだ、と納得したのか、納得してないのか、よく分からない表情でクレアが気のない返事をする。


「いろいろ事情はあるんでしょうけれど、できるだけ早く平原に入って戦ってほしいみたいよ、オーバは? 一応、今の話は伝えておくけど、急いで動いてよね?」


 そう言うとクレアはおれから離れて、そのまま歩いていってしまった。


 オーバが今、どこで、何をしているのか、聞く暇もなく、だ。


 ・・・というか、クレアは今からオーバのところに戻るつもりなのか? 大丈夫か?


 まあ、クレアに勝てるような奴は、オーバ以外には思い当たらんのだが・・・。


 そんなことを思いながら、おれは小さくなっていく赤毛の背中を見つめていたのだった。


 後ろでトゥリムが男爵に説明しながら、兵士たちに道具の準備を指示する声が聞こえてきた。


 どうやら訓練はまだ続くようだった。





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