第99話 世界の果てに辿り着いた男の話(6)



「なんでおまえがここにいるんだ」


 私はまっすぐ、彼を見据えて、そう言った。


 そこにいたのは、幼なじみのトゥリムだった。


 驚愕の再会。

 はるばる地の果てまで旅をしてみれば。

 そこにいたのは、私たちの幼なじみ。


 ともに孤児院で育った男。


 ・・・孤児院で育ったとはいっても、厳密には、トゥリムは孤児ではなかった。トゥリムには母がいた。そこが私たちとはちがった。


 ただし、トゥリムの母は、本来、母となるべき者ではなかった。


 トゥリムの母は巫女だった。


 巫女は、神に仕える存在であり、本来、人と結ばれることはない。それが母になるということは、巫女失格である。ふしだらな女と、責められるところだが、ハナさまが庇ったらしい。


 その結果、堕胎することなく、トゥリムは生まれた。トゥリムの母は巫女の地位を失い、密かに王都を出されたという。トゥリムは最高神殿の孤児院で育てられ、私たちと共に学び、鍛え、成長した。剣技においても私たちと互角の強さを身に付けた。


 しかし、トゥリムは孤児ではないという理由で、神殿騎士になれなかった。

 本人はハナさまを慕っていたので神殿騎士になりたがったが、ハナさまはそれを認めなかった。

 しかも、神官になることも認めてもらえず、ハナさまに命じられるまま、巡察使となった。


 王都から各地に派遣され、各地の情勢を調べては報告する諜報員である巡察使。

 堂々と巡察使を名乗って諸侯に面会することもできるが、間者として密かに各地を調べることも多い。

 そして、神殿の孤児院出身で巡察使となる者は、王都からの間者であると同時に、神殿からの間者でもあった。


 トゥリムのハナさまへの忠誠は絶対的なものであり、神殿としては最高の間者だった。


 この二、三年は見かけなかったので、何をしているのだろうかと思っていたのだが・・・。


「・・・そっちこそ。こんな地の果てまで何しに来た?」

「強さを求めて、だ」

「・・・王都最強なのだろう?」

「そんなものは幻想だと教えてくれた強者がこの地の果ての森の奥にいると聞いた」


 目を細めたトゥリムが首をかしげた。


「なぜ知っている?」

「・・・直接、打ちのめされたからな」

「なにっ?」

「剣を抜く暇もなく、意識を奪われ、倒れた。どうやって気絶させられたのかも分からん。怪我はかすり傷ひとつなく、ただ意識を失ったのだ」

「馬鹿な? どこで?」

「・・・王都の最高神殿の中で」

「いつ?」

「もう一年以上前か。まだハナさまが生きてらした頃のことだ」

「・・・やはり、オーバ殿がハナさまに会いに行ったというのは本当だったのか・・・」

「自分の知りたいことばかり聞くとは、勝手な奴だな、まったく。こっちの質問にも答えろ。なんでおまえがここにいるんだ?」

「・・・ハナさまから命じられて、オーバ殿に仕えている」

「ハナさまからだと?」

「正確には、ハナさまから預言を賜った。ハナさまは『辺境に王が現れる。辺境に現れた王に仕えよ』と命じられた。だから、ここにいる」

「辺境の王、か・・・」

「預言の王は、オーバ殿で間違いない」

「そうか。ハナさまは、その、オーバ殿ってのは、ご友人だとおっしゃっていた」

「なんだと?」

「神殿騎士と巫女騎士を鍛え直すために、王都に招いたそうだ」

「・・・そうだったのか」


 トゥリムは私から、リエンとシエンへと視線を移した。


「・・・シエンたちも、強さを求めて来たのか?」

「・・・私たちの話は、その、オーバ殿という方に会ってから。今は言えないの」


 シエンがそう答え、リエンもうなずく。

 驚いたのは私の方だった。


 二人は、私とは違う理由で動いていたらしい。

 知らなかったし、気づかなかった。






 トゥリムの先導で、森の中を進む。

 樹木が密集し過ぎて、方向感覚が狂う。


 どうやってトゥリムが進むべき方向を定めているのか、さっぱり分からない。


「なんで道が分かる?」

「・・・まだ、教えられんな」

「なんだ、それ?」

「アコンの村を守るため、だな」


 村を守るために、道を教えられないらしい。


 一日歩いて、陽が沈む前に、また樹上の家にたどり着いた。

 本当に、トゥリムがどうやってこの家まで迷わずにやってきたのか、想像もつかない。


「アコンの村ってところにたどり着くまで、こういう家が用意されてるのかしら?」

「そうだな。明日も、こういう家に泊まることになる。食事は水と干し肉で我慢してもらおう。森の中では火の不始末が怖い」


 シエンの問いにトゥリムが答える。


「まだ着かないってことね」

「虹池から歩いて三日、だな。もちろん、道を知っていれば、だが」


 実際に歩いたから分かる。

 道を知らない者には、絶対にたどり着けない。

 ここは、そういう森だということだけはよく理解できた。


 翌日もトゥリムの後ろを歩き続けて、再び樹上の家に一泊。


 いろいろとトゥリムに話しかけ、アコンの村の情報を得ようとしてみたのだが、トゥリムは楽しみにしているといい、とだけ言う。


 それを聞いたライムが微笑んでいるのも見た。


 アコンの村とは、いったいどれほどのものなのだろうか。


 そして、三日目。


 森を歩き続けていたら、二十人以上の人間が作業をしているところに着いた。

 視界が開けて、まっすぐ先が見える。


「道があるの・・・?」


 シエンがつぶやく。


 二十人以上の人間が、道を切り拓いているらしい。


「ここからは、まっすぐ行ける。いつになるかは分からないが、いずれはこの道が虹池までつながるはずだ」

「さっきまでの先の見えない森からは考えられないくらい、立派な道ね」

「馬で行き来することを想定している。高速で安全にすれ違うことができる道幅がいるからな。さあ、あと少しだ」


 トゥリムの言葉に、私たちは少し元気になったのだった。






 王都の中央路よりも幅が広いんじゃないかという森の中の道を進んで、ようやくたどり着いたアコンの村は、見たこともない世界の果てだった。


「・・・ああ、こういう顔になるのか」


 トゥリムがつぶやいた。


 どういう顔だ?


「三人とも、口を閉じて、前を向けよ。今、自分がどれだけ情けない顔になってるか、分かってるか?」

「・・・な、なによ、この木は?」

「これがアコンの木だ。大きいだろう?」

「大き過ぎるわね。こんな大きな木、初めて見た」

「ここにしかないらしい。大きさだけでなく、いろいろと不思議な木なんだ。ああ、言い忘れてたな。ようこそ、アコンの村へ」


 そう言ってトゥリムは笑った。

 その笑顔は、懐かしい幼なじみの笑顔だった。


 こうして、私は世界の果てにたどり着いたのだった。






 面会は、河原で行われた。


 トゥリムが私たちのことを説明して、辺境の王だという最強の男は、私たちの方を見た。


 間違いない。

 あの時の男だ。


「おれはオーバだ。さて、王都からいらしたみなさん。用件を聞こうか」


 穏やかで、落ち着いた口調。

 こちらを見るともなく、全てを見ているような瞳。


 そして、その強さを誇示するわけでもなく、ただ、まっすぐに、凛として。

 一切の隙なく、自然に立っているだけなのだが。


 ああ、今なら分かる。

 これは、絶対に勝てない相手なのだ、と。


「・・・辺境の王よ。あなたの強さを求めてここまで来た。どうか、ここで学ばせてほしい」

「王国の、神殿騎士だったか。ハナさんの護衛だったんだよな? 今の強さがあれば十分だろう? スレイン王国で負けるような相手はいないはずだけれど?」

「・・・ですが、あなたには、一瞬で倒された。何をされたのかも分からぬままに。だから、ここで学んで強くなりたい。あなたに勝とうということではなく、自分自身の強さを今よりも上に。どうか、認めてもらえないだろうか」

「・・・敵になる可能性がある他国の者を鍛えるなどと、認められるはずがないよ、な?」

「それは・・・」

「この村に移住する、というのなら、考えなくもない」

「移住・・・」


 強くなりたい。

 今よりも、もっと。


 しかし、王国を離れて、ここに暮らすということは、考えてもみなかった。


 移住するとは、スレイン王国を出奔するということだろうか。

 ハナさまの遺言で、辺境の聖女たるキュウエンさまに仕えるこの身。


 この大森林に移住してもいいものか・・・。


 返事ができない私から、オーバは視線を外して、リエンとシエンを見た。


「あと、後ろの女性たちも、同じなのか?」

「・・・私たちの用件は別です」

「聞こうか」


 そう言われたリエンとシエンは、さっと両方の膝をついて、オーバを見上げ、両腕を交差させて自身の肩を掴んでいた。


 それは、臣従をあらわす姿勢だった。


 まさか、と思った瞬間、リエンとシエンが交代で口を開いた。


「亡くなられた巫女長ハナさまの最後を看取ったのは私たちです。ハナさまより、命じられた言葉をお伝えします」

「オーバ殿の指示に従い、必ずトゥリムを守れ、とハナさまは私たちに命じられました」

「今より、オーバ殿の指示に従います。なんなりとご命令を」

「こちらは、ハナさまから最後にお預かりしたものです。オーバ殿に必ず届けよとのことでした」


 シエンが臣従の姿勢を崩し、腰紐に結んでいた麻袋をオーバに手渡す。


 ・・・そんな話は、何も聞いていなかった。


 いや、ハナさまからの密命であるのなら、話さないのは当然といえば当然のこと。


 しかも、トゥリムを守れ、とは・・・?


 オーバが、ハナさまから預かったという麻袋を開いて中身を取り出す。


 三枚の木板が出てきた。

 うすい黄色の木板には、ところどころに黒い汚れがついていた。


 ハナさまはいったい、このようなものをなぜ・・・?


「・・・ハナさん、最後に、こんなことまで・・・」


 木板に目を落としながら、オーバはそうつぶやき、一度ゆっくりと目を閉じた。それはまるで祈りを捧げているようだった。


 それから三枚の木板をじっくりと見つめたオーバは、それを麻袋に戻して、顔を上げた。そして、シエンとリエンを見つめる。


「・・・ハナさんの頼みは、まあ、断れない、かな。二人は、トゥリムの護衛として行動してくれ。ま、今のトゥリムには、正直なところ、護衛はいらないとは思うけれど。それと、トゥリムを守るためには、当然だけれど、二人とも、この村に移住してもらうよ?」

「はい。それはもちろん」

「そのつもりでしたし、主である、辺境の聖女、キュウエンさまにも認めて頂いております」

「それならいい。そんでさ・・・」


 オーバは一度、ちらり、と私を見た・・・ような気がした。


「・・・この村の一員になるのなら、二人には結婚してもらいたいんだよね。村の子どもを増やしたいんだ。最近、辺境都市からの移住者が増えてて、相手はすぐに見つけられると思う。ほら、途中で、道を切り拓いてる連中を見なかったかな? あの人たちがそうなんだけれど」

「・・・オーバ殿の指示に従えというハナさまのご命令ですから、どうぞ」


 ・・・シエン?


 そ、そういうものなのか?

 結婚って、そういう感じのものなのか?

 命令されてするものなのか?


 神殿騎士も、巫女騎士も、独身であることが当たり前だから、普通の結婚というものが、正直なところ、よく分からないが・・・。

 結婚したくないのなら、したくないと言ってもいいのではないだろうか?


 ずっと神殿務めだった私と違って、王宮や離宮に詰めていたシエンなら、結婚のこともある程度は分かっているのかもしれない。


「そっちは?」

「あ、あー、はい。私も、大丈夫、です。結婚は、したい、です」


 ・・・ああ、リエンは、なんか、ずっと、そんな感じがしていた。


 いや、リエンは明らかに、結婚というものに憧れていた。

 はっきり言って、結婚したがっていた。


 いやいやいや。

 でも、待て。


 ちょっと待ってほしい。

 何かが違う気がする。


「じゃあ、相手は近いうちにこっちで決めるとしよう、か・・・」

「ま、待て!」


 私は思わず叫んでいた。


 オーバが、シエンが、リエンが、私を見た。


 ・・・思わず待てと言ってしまったのだが。


 どうしよう?


「なんだ? こっちはハナさんの頼みで忙しいんだが?」


 さっきまでの穏やかで、落ち着いた口調とは違う。

 どこか、こっちを挑発するような。


 からかうような・・・。


「何を待てと?」

「あ、いや、その、何だ」

「何だ?」

「あー・・・」

「早く言え」

「・・・い、移住する」

「はあ?」

「移住して、ここで暮らす! だから、ここで学ばせてほしい!」

「・・・移住するのか?」

「そ、そうだ」

「ふーん。それだけか?」

「そ、それだけ?」

「言いたいことは、それだけか?」

「え、あ、言いたい、こと・・・」

「・・・面倒な奴だな」

「面倒?」

「移住の話なのか?」

「は?」

「さっき、おれに、何を、待ってくれと?」

「あ・・・」


 あー・・・。

 それは、そのう・・・。


「相手を決めるのを、待て、と言ったのでは?」


 ・・・言った。


「違うのか?」


 ・・・違わない。


 違うはずがない。

 待ってもらわなければ困る。

 相手を決められたら困るのだ。


「ぐじぐじ、もじもじと、だらしないな。言いたいことはさっさと言え」


 あー、もう!

 言ってやるとも!


「移住する!」

「またそれか! しつこいな!」

「だからっ、リエンの相手は私にしてもらいたいっっ!」


 ・・・言った。


 言えた。


 いや、言わされた・・・?


 いや、もう、どれでもいいか。


 リエンの瞳が、いつもの倍くらい、見開かれたまま、私の方を見ている。


 ・・・なんて驚いた顔をしてるんだ。


 オーバがふぅと息を吐き。

 トゥリムがぷっと噴き出して。

 シエンがくすくすと口を押えながら笑い出した。


「・・・分かった。移住も認めるし、結婚についても認める。くわしくはまた後で話そう」


 オーバがそう言うと、私はこくこくとうなずいた。


 頬だけでなく耳まで真っ赤になったリエンが、くすくすと笑うシエンをぽかぽかと叩いていた。


「・・・ハナさんの預言の力は、すごいな」


 そのオーバのつぶやきはとても小さくて、よく聞こえなかった。






 こうして私はリエンと結婚した。


 しばらくして、シエンはトゥリムの二番目の妻となった。


 ・・・私はこんな世界の果てまで、いったい何をしに来たのだろうか、と。


 まあ、幸せだから、深くは考えないことにする。





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