第99話 世界の果てに辿り着いた男の話(2)



 視界が開けた。


 目を覚ましたのは、水を浴びせられたからだと、濡れた床に手をついて理解した。

 水を浴びせたのは、顔見知りの巫女だ。


 礼拝堂には、次々と神官や巫女、そして神官騎士と巫女騎士が入ってくる。王宮付きの者や、離宮付きの者も、姿が見える。


「ここも、突破されたのか?」

「リエンとシエンが先に駆けつけたのではなかったのか?」

「巫女長さまは無事か?」


 神殿騎士たちが上半身を起こした私の横を通り過ぎていく。


 ・・・巫女長さまは無事か、だと?


 私の頭に、先ほどの夫婦が浮かんで、消えた。


 あれは、刺客だというのか?


 ぐいっと手をついて、やっとのことで起き上がる。


 体にしびれが残っている。


 本当に一瞬の出来事で、いったい私が何をされたのかは分からないが、ここを守れなかったということだけは、すぐに理解できた。


 動かない体を無理矢理動かし、扉の奥へ・・・。

 ハナさまのところへ・・・。


 いつの間にか、神殿を守っていた神殿騎士と巫女騎士だけでなく、王宮付きや離宮付きも含めた王都中の神殿騎士と巫女騎士が集まってきていた。


 その数は百を超えた。

 この国を二、三度は滅ぼせる戦力だと言える。


 しかし、奥へと進んだ先では・・・。


「リエン、シエン、そこをどきなさい」


 年配の神殿騎士がそう言うのだが・・・。


「いいえ、ここを動く訳にはいきません」

「巫女長さまは、誰も中に入れるな、と。たとえ国王であったとしても、中に入れてはならぬ、とおっしゃったのです」


 王宮付きの巫女騎士であるリエンとシエンが、ハナさまの寝室の入口から動かないのだ。

 しかも、ハナさまが、誰も入れるな、と言ったという。

 たとえ国王であったとしても、という言葉の重みに、みなが戸惑う。


「おまえら・・・そうは言っても、神殿に詰めてた神殿騎士や巫女騎士が、みんな倒されたんだ。そんな緊急事態に巫女長さまの指示を仰がぬ訳にはいかんだろう?」


 年配の神殿騎士が食い下がろうと頑張る。


「巫女長さまは、全員気絶しているだけだろうと、おっしゃっていました。私たちがここに駆けつけるまで、倒れている者は何人も見ましたが、一人として血を流しておりませんでした。それとも、死んだ者でもおりましたか?」


 リエンの言葉に、年配の神殿騎士は、うっ、と言葉に詰まる。


 確かに。

 体にしびれが残っているが、傷はひとつもなく、血は流れていない。


 どういうことだ?


「巫女長さまの言葉を伝えます。倒れていた神殿騎士や巫女騎士たちは、目を覚ましたら、修行し直しなさい、とのことです」


 シエンの言葉に、私を含め、何人もがうつむき、リエンとシエンから目を反らした。


「中には、お二人、巫女長さまのお客さまがいらっしゃいます。国王ですら入室を拒む、それほどに大切なお客さまであると、私たちは巫女長さまのお言葉から判断しております」

「中の様子は、先ほどこの目で見ました。特に、巫女長さまに危険はないようでしたし、ここを誰も通すなというのは巫女長さまからの勅命です。どうやら、みなさんの後ろに神殿長さまや最高司祭さまもいらしたようですが、巫女長さまのお許しがない限り、私たちはここを誰一人として通す気はありませんし、通すわけにはいきません」


 リエンとシエンの二人は、直立不動の姿勢で、まっすぐに私たちを見つめている。その姿勢のままでリエンがさらに口を開いた。「状況から判断すると、この中のお二人の客人に、何人もの神殿騎士と巫女騎士があっさりと倒された、ということではないかと推察します。巫女長さまがお二人は巫女長さまのお客さまであるとおっしゃったということ。それはつまり・・・」


「つまり・・・?」


 神殿騎士や巫女騎士の間を抜けて、前に出てきた最高司祭が、リエンの言葉を追った。「つまり、どういうことなんだ、リエン?」


「巫女長さまは、お客人に依頼して、神殿騎士と巫女騎士を鍛え直そうとなさったのではないか、と愚考致します」


 替わってシエンがさらに言葉を続ける。


「ここまであっさりと侵入したその力。われら神殿騎士、巫女騎士を二十名以上も、かすり傷ひとつ、つけることなく、ただ気絶させるという圧倒的な技量。

 王都最強だ、王国最強だと町中で堂々と口にして、鼻高々なわれら神殿騎士、巫女騎士に対して、年老い、自ら剣を振るえぬ巫女長さまが、もう一度、私たちを鍛え抜くために、真の強者を招かれたのでは?

 この世は広く、本当にたくさんの人がいる。

 私も、ここまで駆けつけたとき、倒れている多くの神殿騎士や巫女騎士を見て、いったいどうなっているのかと、こんなことがあるはずはないと、そう思って混乱いたしました。

 しかし、寝室に駆けつけた私とリエンに対して、巫女長さまは平然と・・・、平然と、ですよ? そう、平然と、『修行し直しなさい』とおっしゃいました。

 その時、私は思ったのです。

 われら神殿騎士、巫女騎士は、王都という王国のほんの一部で、自分の周りにいる人たちだけを見て、自分たちは強い、自分たちこそ最強であると、そこが広い世界の一部であることを忘れて、思い込んでいただけではなかったか、と。

 まさに・・・」


「まさに・・・?」

「・・・私たちは井の中の蛙ではなかったか、と」


 ごくり、と何人もが唾を飲み込む音が聞こえた。


 もはや、リエンとシエンの二人を押しのけて、ハナさまの寝室に入ろうとする者はいなかった。


 リエンとシエンから聞かされた、二人が感じたハナさまの思い。

 それが真実ではないか、と。


 預言の力をもち、未来を見通すことができるハナさまだからこそ、この先に起こるであろう、われら神殿騎士、巫女騎士には分からぬ何かを変えていくために、このような機会を用意なされたのではないか、と。


 ・・・確かに、私たちは、最強などではなかった。


 たった二人を止めることすらできず。


 もし、あの二人がハナさまの客人ではなく、刺客だったとしたら。

 今、この瞬間、ハナさまの命はなかったのだ。


 われら神殿騎士、巫女騎士は、守るべきもっとも大切なものを、守る力さえ、実際にはもっていなかったのだ。


 恥ずかしくて、最強だ、などと口にできない。


「シエン、リエン、もういいわ! みなさんをお通ししなさい!」


 ハナさまの元気なお声に、その場にいた全員がはっと顔を上げた。

 これほど元気な巫女長さまのお声を耳にしたのは、ずいぶんと久しぶりではないかと思う。

 そう感じたのは私だけではなかったようで、本当に、あれほど弱っておられたハナさまがこんなにも元気になるほど、大切な方がいらっしゃったのだと、私たちは理解した。






 翌日、数ヶ月ぶりにハナさまは王宮へと出仕なされた。

 私もそばに仕える一人として、お供をした。


 ゆっくり、ゆっくり、二人の巫女の手を借りて、歩くハナさま。


 今日の護衛はハナさまの指示で七名。神殿騎士が三名、巫女騎士が四名。


 全員が気合いの入ったいい顔をしている。

 昨日の夕食前の訓練はいつもの二倍だった。今朝の朝食前の訓練も二倍だった。

 最強ではない私たちが巫女長ハナさまを守り通すためには、今よりも強くなるしかないのだ。


「・・・ミィオリとファラは謁見の間の外で待つように」

「巫女長さま?」


 巫女のファラが首をかしげた。

 久しぶりとはいえ、これまでの謁見の時にはなかった指示が出る。


 騎士たちが目を細めた。


「四名の巫女騎士は私の四方を固め、三名の神殿騎士は後ろに並んでついてくること」

「はっ」


 巫女を外に残し、四方を固め、後方にも守りをおく。


 その意味するところは・・・。


 ハナさまはここで、何かが起こる、と考えているのだ。


 いや、そう預言されたのだ・・・。


 国王との謁見の間で。

 謁見の間に入る前に、騎士は侍従たちに腰の剣を預ける。


 7人の護衛、全てだ。


「巫女長さま、お腰の剣を・・・」

「あら、私の剣は、今まで預けたことはないわねえ」

「そうでしたか? それは失礼をしました。ですが、陛下の前ですので」

「そう? では、預けます」


 ハナさまが腰の剣を鞘ごと抜いて、侍従に手渡す。


 ・・・確定だ。


 ハナさまの預言が外れる訳がない。

 小さな声でハナさまから指示が囁かれる。


「左右それぞれ、剣をもった近衛兵がきます。後ろは弓兵に対応」

「は・・・」


 弓兵までいるのか。


 ・・・本当に、ハナさまはすごい。


 謁見の間に入る。


 ハナさまはゆっくり、ゆっくりと進む。


 王座には国王がつまらなさそうに座っている。


 国王まであと十歩、というところで、さっと両脇から近衛兵が剣を握って飛び出してきた。

 私は命令通りに後方を警戒し、放たれた矢は右腕で払って叩き落とす。

 横に並んだ二人の神殿騎士も、それぞれ一本ずつ矢を叩き落としていた。


 ぐぇ、という言葉にならないうめきが聞こえた。


 巫女騎士が近衛兵を叩きのめしたのだろう。


 われらは、剣を持たずとも戦えるように訓練している。だから王都さ・・・いや、もうそういうくだらぬ言葉でわれらを表現すべきではないか。ハナさまが守れるのであれば、強かろうが弱かろうが関係ない。一番ではなくとも、ハナさまを守るために強くありたいと鍛えるのみ。


 警戒を続けるが二の矢は飛んでこない。


 おそらく、これ以上は、「言い訳」ができないから、だろう。


「・・・さて、陛下。この『お戯れ』はどういうことでしょうか?」


 ハナさまの、凛とした言葉が謁見の間に響く。

 こういう、強い意思を感じるお言葉も、昨日から、久しぶりに聞く。


 ここ数年は、どこか弱々しいお言葉が常だったのだ。


 ハナさまが『お戯れ』とおっしゃっているのは、今なら笑い話で済みますがきちんと言い訳できるのでしょうね、という意味だろう。


「・・・昨日のことだ。王都の守りに不安を感じるウワサを耳にした。国王としては、聞き流せないウワサだったのだ」

「それは、どのような噂だったのでしょうか?」

「神殿騎士、巫女騎士が、たった二人の侵入者に、全て倒された、という、とんでもないウワサであったわ。

 王都最強、王国最強と名高い、そなたに騎士と名付けられた者たちが、実は口だけで弱いのではないか、とな。

 王都の守りに不安を抱えては王国がまとまらぬ。

 それで、その力を確かめねばならん、と、この奇襲をおこなったのだ。許せ。増援の兵も、二の矢もなかったであろう? 騎士たちの力が確認できればそれでよいのだ」


 ふん、と心で息を吐く。


 殺せるのであれば、ハナさまを殺してしまおうと考えていたくせに。


 もちろん、そう易々とハナさまを殺させたりはしないが・・・。


「まあ、それはそれでよいのですが、陛下。情報は正確に得るべきです」


 ハナさまがしわの多い頬を動かし、にやりと笑った。「侵入者は確かに二人でしたが、戦ったのはそのうちの一人だけですわ。二人にやられたのではなく、神殿騎士と巫女騎士たちはたった一人に壊滅させられたのです」


「なんとっ!?」


 さっきまでつまらなさそうにしていた国王が、がばっと立ち上がった。


 ・・・真実である。真実であるが故に、私たちの心にもハナさまの言葉は痛い・・・。


「そして、神殿騎士、巫女騎士の全てが倒されたのではなく、そうですね。神殿騎士と巫女騎士のおよそ四分の一でしょうか。手も足も出ず、二十名以上の者があっさりと昏倒させられましたね。手加減をしてくださったので、死者はおりませんが・・・」

「手加減だとっ? 今、余の近衛たちの攻撃をあっさりと跳ね返した、この者たちに対して? 手加減?」

「まさに、この者たちに対して、手加減、ですわ、陛下」

「なに?」

「今日の護衛の七人は、全て昨日やられた未熟者ばかりですもの」


 ほほほ、とハナさまが笑う。「まあ、そのおかげで、昨日の夕方と今朝の訓練には大変身が入っていたようでしたが」


 私はもちろん、私以外の六人も、複雑な気持ちが表情に出ていた。


 ハナさまと国王との会話が私たちにここまで刺さってくるとは・・・。


 まさか、ハナさまは、この一言のために今日の護衛を私たちにしたのではないだろうか?


「・・・襲撃者は何者なのだ?」

「私の友人でございます。この者たちを鍛え直す必要があるのですが、老いたこの身では難しく、無理を頼んで、遠くから来て頂いたのです。真の強者に」

「遠くから・・・とは?」

「・・・『南』の関係者でございます」

「『南』か・・・」


 王宮で『南』という言葉が意味するのは、辺境伯または辺境伯領のことである。


「ふう・・・久しぶりの出仕でしたが、陛下がお元気そうで何よりです。ただ、イタズラはほどほどになさいませ」

「ふむ、そうしよう。巫女長も元気そうで安心したぞ」


 国王はそう答えると、王座に座りなおした。


「本日の用件はふたつ」

「ほう?」

「一つ目は神殿騎士、巫女騎士の鍛え直しです。噂をお聞きのようですから、ご理解頂けると思います」

「つまり?」

「王宮、離宮に貸し出しております騎士たちは、一度、全て神殿に戻しますので、そのように」

「なっ・・・」

「これは必要なことなのです、陛下」


 ハナさまは国王をまっすぐに見つめ、言葉を続ける。「二つ目の用件は、預言なのです」


 その言葉で、謁見の間から、全ての音が、消えた。





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