第90話 女神の方が格上だと男神も膝をつく場合(2)
それから三十分くらいして、おかゆができた。
私は起き上ろうとしたが、辺境の王オオバは、それを手で制した。
赤髪の美女が、レンゲのような形をしたスプーンで、ふぅふぅと湯気が立つおかゆを少し冷ましてから、私の口に入れてくれた。
温かい、ぬくもり。
そして、懐かしい、本当に懐かしい、米の、甘み。
確かに、お米だった。
「ああ・・・、ここまでくると、欲が出ますね。かつおぶしと醤油とか、高菜とか、梅干しでもあれば、本当に懐かしい・・・」
「あ、そういえば、味噌ならあるよ?」
「なんですって?」
「味噌は、スレイン王国で見つけたんだけれど、知らなかったのかな?」
「・・・王国内に、味噌があったのですか?」
「あったんだよ、これが」
「私は、王都を離れたことがないので・・・」
「辺境伯領の、カスタっていう海沿いの町で見つけたんだよな」
オオバは、おかゆに、味噌を少しだけ溶かしていく。
そして、それを赤髪の美女、クレアが私に食べさせてくれる。
・・・美味しい。
なんという、至福の時間なのだろう。
しかし、静寂は、一気に破られた。
ばたばたと足音が響いたと思うと、巫女騎士が二人、寝室に飛び込んできた!
「巫女長さま!」
「ご無事ですか!」
シエンとリエンだ。どちらも神殿の孤児院育ちで、王宮付きとなった、レベル11の巫女騎士。
二人の巫女騎士が私の寝室で目にしたものは。
寝台に横になったまま、おかゆをあーんと食べさせてもらっている私。
「み、巫女長さまっっ??」
「な、何がっっ??」
シエンとリエンは目を丸くして見開いている。
いけない、いけない。
ちゃんと、二人を抑えないと。
「・・・落ち着きなさい、シエン、リエン。それでも王宮付きの巫女騎士ですか」
「し、しかし、巫女長さま? 王宮まで急使が来て、侵入者に神殿騎士や巫女騎士が次々と倒されていると連絡が・・・」
「その連絡の通り、巫女長さまのお部屋に来るまでに、何人も倒れておりまして・・・」
・・・そんな緊急事態の連絡を受けたにもかかわらず、こんな光景を目にしてしまっては、目を丸くするのも無理はない。
「それは、聞いております。ただ、手加減はしたとのことです。血を流しておる者はおりましたか?」
「はっ・・・? い、いえ、そういえば・・・」
「血が流れていたようなところは、なかったような・・・?」
「全員、気絶しているだけだろうということです。倒れていた神殿騎士や巫女騎士たちは、目を覚ましたら、修行し直しなさいと、伝えるように。それよりも、今は来客中です。二人は入口に控えて、誰も中には入れないようにしてください。いいですか? 例え国王が来ても、中に入れてはなりませんよ?」
「は、はいっ!」
「分かりました!」
素直な二人が最初に駆けつけてきてくれて良かった。
これで、ゆっくりお米の味を楽しめるわ。
それから私は、オオバとたくさん、話をした。
もちろん、ひとつは日本の話。
私とオオバでは、生きていた時期がそれなりに離れていたらしい。
あの戦争はやはり、日本の敗北で終わったと教えてもらった。しかし、その後、日本は大きく経済成長し、アメリカやイギリスと肩を並べる先進国になったという。
私は孤児院育ちで、大人になってからは、孤児院で子どもたちの世話をする仕事をしていた。
オオバは学校の教師だったという。
「それじゃあ、あなたも、この世界の秘密に気づいたのね?」
「この世界の秘密?」
「ええ。この世界では、教育が重要だという、秘密よ」
私は孤児院、オオバは学校と、少し違うけれども、どちらも子どもの教育に関わるものだ。私は、前世での経験から、自分が孤児院に積極的に関わることで、孤児たちを育て、鍛えて、神殿を支える力としてきた。
子どもの頃から教育に力を入れると、スキルが身に付き易くなり、レベルが高くなる。意外と、知られていない事実だ。
対人評価のスキルを持つ者が少ないことも、知られていない要因だろうと思う。
そもそも、この世界の人たちは、スキルとレベルについて、あまり知らない。
私は、転生したときに、丁寧に説明を受けた。そのおかげで、今がある。七歳に転生してから、自分を鍛え抜いた。『預言者』スキルをうまく活用しながら、いろいろなスキルが身につくように修行を続け、17歳でレベル16に達した時、王都には自分よりもレベルが低い者しかいないと気が付いた。
「なるほど、それで神殿にはレベル10前後の者が多いのか」
オオバも納得したらしい。
神様についても話した。
「女の人には、守護神は男がつくんだな・・・」
「・・・守護神が、見えるの?」
オオバは私の守護神が男だと言った。それは、見えているということではないかと。
いえ、その前に。
今でもまだ、私を守ってくれているのか、と。
「私には、今も、守護神がついているの・・・?」
「いる。いる、というか・・・今は、うちの女神の前で、土下座してる・・・」
「ええっ?」
「あ、いや、土下座っていうか、あの形が祈りを捧げる姿勢なんだけれど」
「ああ、そうね。ここの神殿では、祈りを捧げる姿勢は、確かに土下座と同じよね」
「それで、うちの女神の方が格上だから、ハナさんの守護神が、まあ、祈りを捧げる姿勢で話をしているんだよね・・・」
「・・・私、守護神はもういないのかと思ってたの」
「いや、そこにいる」
「見えるのね?」
「ま、『神眼看破』ってスキルがあれば、見えるし、触れる」
「・・・そんなスキルをどうやって・・・」
「ん、修行かな」
・・・驚くことばかりだ。
本当に、もっともっと、話していたかった。
この国の話。建国王が国名を決めるのに、好きだった小説の登場人物から名付けたことを石碑に書き残していること、とか。
神殿の話。孤児院のようすや、孤児の運命。神殿での教育方法。
最後の神聖魔法の使い手だったトゥエイン司祭がその力を疎まれて神殿を追放され、結局、神殿から神聖魔法が失われてしまったこと。
オオバや、オオバの村には、何人も神聖魔法の使い手がいること。何それ? どういうこと?
醤油はどうやって作るんだろうという議論。二人とも、結局、よく分からなかったわね。
米ぬかの使い道と、たくあんの作り方は丁寧に説明させられたわ。もし、たくあんができたら、私にも分けてもらいたいのだけれど、それはもう難しそうだった。
王家の弱体化までの、私の知っている、この国での出来事。
オオバがスレイン王国にやってきてから、辺境伯領で起こったことと、辺境伯領のこれからのこと。
トゥリムのことと、トゥリムの重大な秘密について。
伝えたいことは、全て伝えた。
聞きたいことを全て聞けた訳ではないけれど。
入口で、シエンとリエンがいろいろな訪問者を押し止めているけれど、そろそろ限界かもしれない。神殿長や最高司祭も、そこまで来たみたい。
最後に、確認だけはしてみる。
無理だろうとは、思う。
「ねえ、オオバ。あなた、王都に来るつもりはないかしら?」
彼は、無言で首を横に振った。
それは、分かっていたことだった。
オオバは辺境の王。
辺境とは、辺境伯領のことではない。
もっと遠くの、スレイン王国ではない、ずっと向こうにあるどこか。
オオバは私たちの王ではないのだ。
「それなら、せめて・・・トゥリムのことを、頼みます・・・」
今度は、黙ってうなずいてくれた。
「ありがとう・・・」
私はそっと目を閉じた。
まぶたの裏にトゥリムの顔が浮かぶ。
運命の王子に、明るい道が開かれますように。
「シエン、リエン、もういいわ! みなさんをお通ししなさい!」
私は、スレイン王国語で、声を上げた。
それからはいろいろと嘘もついた。
オオバとクレアは大切な友人だと押しきり、オオバに気絶させられた神殿騎士と巫女騎士たちは、明日からの訓練を倍にするように命じ、シエンとリエンには、オオバとクレアを丁重に王都の門まで送り届けるように言い聞かせた。
慌ただしい別れになって、少し申し訳なく思いつつ。
こっそりオオバが分けてくれたお米は、体調のいいときに自分で炊いて、食べてみようと思ったりもしながら。
今日の出会いに勇気をもらえたと思う。
今日の神殿での騒ぎで、明日の午前への出仕は、面倒な話になるかもしれない。
でも、まあ、それもいい。
不思議な出会いへの感謝の方が大きく私の心を満たしているのだから。
オオバが言っていた、辺境伯領の実質的な独立と、それによる、王国内の混乱の縮小。
内乱に加わる勢力をひとつ外すことで、内乱そのものを少しでも小さくしようという考え。
納得できたし、共感できる。
あの、欲望まみれの辺境伯を抑えることができるのなら。
地方領主でもっとも多い町を抱えた辺境伯領が、内乱を傍観するのなら。
いざ、というときの、王家や神殿の逃げ場に、できる。
これは、あと少ししか生きられないとしても、なんとか踏んばらなくては。
二度目の人生の、全てを捧げた、この、スレイン王国のために。
勇気を分けてくれて、ありがとう、オオバ・・・。
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