天気の子に見る正義論
星野響
序論、総評
天気の子。もっとずっと批判されるべき映画であります。
新海誠監督は、いつも僕らの想像を遥かに超えてくる映画を作ってくれます。その映像、特に空や光の描写の美しさはさることながら、登場人物の個性というのも新海作品の大きな魅力だと、一人映画を通して僕は考えます。
常識を逸脱した物語の中で、受け取り手の感情を登場人物と同調させるのはかなり難しいことは、物書きの端くれという立場上、重々承知しています。しかし、そんな難題でもあっさりと解決してくるのが、新海誠監督です。
なぜ、そんなにも新海作品が受け手の心にフィットするのかを考えたとき、気づいたことがありました。そういえば、せっかく買ったペット容器の500ml入りコーヒーが終盤までに半分くらいしか減っていませんでした。味はすごく良かったんですが……。上映時間が終了し、劇場が徐々に明るくなってから喉に流し込んだ覚えがあります。
いつまで画面に目を向けていても、飽きが来ないのです。もちろん、創作物ならではのツッコミどころはありました。特に火器まわりに関して。バイオハザード並みのおかしなオブジェクト配置。「そんなところに銃はないだろ!!」とか、「なんでセーフティかかってないの?」とか、「弾入ってるの!?」などなど。わからない方、申し訳ありません。わからなくても何ら問題はございません、むしろ健全な証拠です。
とはいえ、見ていてつまらないと思った瞬間は一度もありませんでした。エコノミー症候群も気にせずスクリーンに釘付けだったことは認めるほかありません。
日テレさん系列のとあるテレビ番組で新海誠監督の仕事ぶりが取り上げられていたのですが、新海監督は映像制作時に受け手の感情の起伏を予想し上映開始から終わりまでの時系列を横軸にしてグラフ化するらしいのです。また、音楽にも他に類を見ないこだわりがあり、曲制作を担当するRADWINPSの方々には作品作りの前段階で主題歌を作ってもらい、視聴者にこの歌詞を聞かせたいと思うところでは思い切って音声をカットしたり、本編を伸ばしたりするのです。こうした徹底している作品作りというのが、見るものの心にすっと馴染む映画を形作るのでしょう。
ですが、あまりに心理的にうまく馴染みすぎて見逃しがちなのが、今回のテーマ。主題です。
ご覧になった方々はお分かりになられるかもしれませんが「おお?」と思うシーンがいくつかあったのではないでしょうか。実は以前、新海監督は『天気の子』について「批判されるような映画を作りたい」と述べていました。実はこの「おお?」こそがこの作品を深く掘り下げるうえで大切になってくると思います。
ここでひとつ、僕はこの映画を単なるエンタメ映画だとは思っておりません。
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