第八節
ねぇ、
完全にバレてる……。
また、
それも最悪だけど、今はそれよりも──……。
雪弥は返答にひどく頭を悩ませた。
まず、スパイクの事は俺が知られたくないし、
だが、やはり、胸の奥底に沈んでいる灰色の醜い塊たちを、ほんの僅かでもいいから体の外に吐き出したいと思った。
このまま、塊たちが自分の体の中に存在している状態では、自分自身がボロボロと壊れてしまうような気がした。
壊れない為に──華那の事だけでも陽翔に話そうかな……。
雪弥は静かに目を瞑り、ゆっくりと開いた後で口を開く。
「今からすげぇ下らない話をする……。聞き流してくれても全然構わないから」
「分かった」
陽翔は生真面目な表情で頷いた。琥珀色の瞳でまっすぐこちらを見詰めている。
おいおい、聞く気マンマンじゃねぇか。
このままでは話しづらいので、雪弥はそっと前を向いた。
少し間を置いてから、「今週の水曜日」と低い声でボソボソと喋り始めた。
「華那の家に遊びに行った時に、俺は
「そっか」
陽翔の何気ない相槌を雪弥はこれ以上ないくらい嬉しく感じた。肯定も否定もせずに、なおかつ深く訊いてこなかったからだろうか。
「だから……、」
話を再開する声がみっともなく震えてしまったが、気にしない振りをしてそのまま話し続けた。
「華那が俺を『凄いんだよ』と褒めた時に、嫉妬のような感情が含まれてる事に気づいてしまった……。ちょうどその時、昨日の放課後に華那が『完璧にこなせる』って俺に言ってきた事を、最悪のタイミングで思い出してしまう。……俺はどうしても否定したくなって、颯斗先輩と喧嘩した事をつい喋っちまったんだ」
「そうなんだね……」
陽翔が労わるような口調で言った。
「雪弥は、
……おい。何でお前は、俺の気持ちを完璧に理解してるんだよ?
自分の心情を陽翔に全て見抜かれている事に、雪弥はひどく慄く。
しばらくの間沈黙して、やがてごくりと生唾を呑み込んだ後で「そうだ」と頷いた。
「けど、華那は何一つ悪くねぇよ。俺が変に敏感になってるだけで、きっと勘違いだと思う。華那は……、変な頼み方したのに俺が家に遊びに来るのを断らずに『いいよ』って言ってくれたんだ。遊んでる間もずっと、俺の気持ちを考えながら接してくれてるのもすげぇ伝わったし。……後、玄関で『癒されたいなぁって思ったら、いつでも遊びに来ていいからね』って笑顔で言ってくれた……。華那が謝ったあの時に、すぐに話すのをやめるべきだった。そもそも俺は、颯斗先輩と喧嘩した事を──」
華那に話す気なんて微塵もなかったんだ……。
嘆くようにそう言ったその時、雪弥は殆ど無意識の内に自転車のハンドルを強く握りしめていた。
「雪弥は、悩みを打ち明けた事によって瀬川さんに心配を掛けてしまった事を、気に病んでるんだよね?」
陽翔からの質問に、雪弥は思わずハッとした表情を浮かべた。
「そうだな、気に病んでる……。多分、華那に余計な心配を掛けていると思う。俺は華那に心配掛けている状況がとてつもなく嫌なんだ」
雪弥は俯きながらそう答えたのだが、既に心の中では別の事を考えていた。
まだだ。まだ、全部吐き出せてない。俺が気に病んでるのは華那の事だけじゃないんだ。……なあ、陽翔。あの日、俺は颯斗先輩を怒らせたんじゃなくて、傷つけてしまったんだ。傷つけるつもりじゃなかったなんて、そんなの都合の良い言い訳に過ぎない。でも、これからどうすりゃいいか全然分かんなくて辛い。お前だったらどうする? 教えてくれ……。頼む。
本当はこのように、自分の感情を陽翔にぶちまけたかったのだが、やめた。まだ、陽翔に全てを打ち明ける決心がつかないのだ。
「いつまでも雪弥がそんなんじゃ困るなぁ……」
苦笑混じりに陽翔に言われたその瞬間、雪弥はヒヤッとした。
やばい、心の声がダダ漏れだったか!?
「多分じゃなくて、雪弥が悩みを打ち明けた事で瀬川さんは確実に雪弥の事を心配し始めた。風花が、自分だけじゃなくて瀬川さんも凄く心配してるから俺に質問しに来たって、そう話してたから」
いや、違ぇ。陽翔のこれは、さっきの俺の発言に対しての返答だな……。
安堵したが、それよりも残念な気持ちの方が強い。
「もちろん……、」
陽翔はひどく真剣な表情で言葉を継いだ。
「心配を掛けてしまう状況が嫌なのは分かるけど。そもそも、『心配』は、心配する人の責任において起こる。また、否定的な感情を伴った制御の難しい思考やイメージの連鎖だ。その為、自分がその人の心配を止めさせる事は不可能に近いらしい。つまり、雪弥が瀬川さんの心配を止めさせる事も不可能に近い。……だけど、雪弥が瀬川さんにこれ以上負担を掛けたくないと考えてるなら、ある重要な事実を一つ伝えておく」
俺は楽観的なチャラ男だから、全く負担にならない。
陽翔はそう言うと、こちらに優しく微笑みかけてきた。
風が吹いているからか、陽翔の少し癖のある栗色の髪がなびいている。
「だから俺に相談しなよ。俺が嫌なら、雪弥が話しても良いと思える人に。気が向いたらでいいからさ」
──相談しなよ、か。
『相談』は、富川に期待して、結局もらえなかった言葉だ。
だが、こうもすんなり言われてしまうと却って戸惑う。どうすればいいか分からなくなる。
本当に、陽翔に相談してもいいのか……?
雪弥は陽翔に返事をしなかった。というより、まだ相談するかしないか迷っていたから返事ができなかったのだ。
雪弥は陽翔の顔を見ずにただ前を向いて、自転車を押しながら静かに歩き続けた。
一方、陽翔も雪弥に返事を求める事はなかった。
やがて、二人が別れる交差点に到着した。
先に口を開いたのは、陽翔だった。
「じゃあ、また明日!」
言いつつ、左手を軽く振る。
雪弥が「ああ」と頷くと、陽翔は自動車が通らない事を確認してから道路を渡った。
そのまま立ち去ると思っていたが、陽翔は予想に反してこちらを振り返った。
「雪弥、ちゃんと家に帰るんだよ?」
街灯の光に照らされて、陽翔の栗色の髪は煌めいていた。
その様子を目にした途端、真っ暗闇の中に一筋の希望の光が差し込んだ気がした。
人を頼るな。だけど、陽翔なら──。
「心配しなくても帰るよ。……ちゃんと」
雪弥がそう返すと、陽翔はホッとしたような温かい笑顔を見せた。
ややあって、くるりと前に向き直り、陽翔は今度こそ真っ暗闇の中に入っていった。
陽翔がいなくなった途端、
「ハハッ」
雪弥は珍しく声を上げて笑った。
次に、自転車に跨ってペダルを力強く踏む。
このなだらかな坂のずっと先に雪弥の家はある。
これから、自分がどうするべきか分かった。華那に負担を掛けたくないなら、迷う必要なんてない。
だから、俺は──……。
笑った時のまま開いた状態の口は、だ、い、じょ、う、ぶ、とゆっくり動いた。
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