第六節

「ねぇ、華那はるな! なんか、清水しみずマジで遅くない?」

 風花ふうかにそう訊かれて、華那は不安げな表情でこくりと頷いた。

「……うん、やっぱり遅いよね」

 既に今日の午前中の時点で、風花に大体の事情を話していた。

 昨日の放課後、雪弥ゆきやが久しぶりに話しかけてきた事。

 それだけではなく、今日の放課後に雪弥が華那の自宅に遊びに来る事になった事も、だ。

 華那は自信なさげな声でこう続けた。

「昨日の夜にね……。雪弥がLINEで、俺が教室に迎えに行くから待ってて、って確かに言ってたんだけど」

 まさか雪弥、私の家に遊びに来るって事を忘れてる……?

 華那はとても不安になってきた。それと同時に、心臓が破裂してしまいそうなくらい激しく、煩く鳴り始める。


 雪弥から連絡が来たのは、昨日の夜の華那が就寝しようとベッドに向かった時だった。

 雪弥とLINE交換をしたのは中一の頃である。

 交換した後、何度もやり取りをしていた。

 だが──。

 去年の秋頃からは、会話だけではなく、LINEでのやり取りも徐々に減っていった。

 だから雪弥から久しぶりにLINEが来て、華那は目を丸くして驚いた。

 心臓をバクバクさせながらLINEのトーク画面を開くと、

『明日の放課後、俺が教室に迎えに行く。待ってて』

 そう書いてあった。

 それって! そのまま家に遊びに来るから一緒に帰るって事だよね?

 雪弥と一緒に帰るのとか久しぶりだなぁ……。

 そう思っていたら口元が緩みかけて──華那は慌ててブンブンと首を横に振った。

 いや、喜ぶのおかしいっ! 別に全然嬉しくないから!  しっかりしろ。浮かれるな私。

 心の中で、自分に言い聞かせるように言う。

 去年の秋頃から雪弥が自分に話しかけてこなくなって、お互いの心の距離がどんどん離れていってしまった。

 だが、華那はそれで良かったのだと思い込んでいた。

 雪弥の事を好きにならずに済むからだ。

 もし明日、雪弥が家に遊びに来た事が原因で、お互いの心の距離が近くなってしまったら──?

 自分自身に対して、冷静にそう問う。

 その問いに対して──。

 私だけが雪弥の事をもっと好きになってしまって……雪弥から嫌われてしまった時に、深く傷つくだけだ。

 華那は迷わずそう答えた。

 去年の秋に、『雪弥が私に話しかけてこなくなったのは、嫌いになったからかも……』と気づいた時深く傷ついたからだ。

 小三の頃と同じくらい──いや、それ以上に。

 だからもう、私は雪弥を好きにならない。

 華那は固く決断した。

 ──あっ、そういえば……。

 その後、ふと頭の中にある疑問が浮かんできた。

 雪弥が急に私に話しかけてきたのって、ただの気まぐれ? ……うーん、分かんない。

 考えてみてもさっぱり分からなかったので、華那は思考を停止して諦めた。

 よし、取りあえず早く返そう。返して早く寝よう。多分、なかなか寝つけないと思うけどさ……。

『うん、分かった。待っとくね』

 華那は雪弥にそう返信するとすぐに、携帯の画面を閉じたのだった。


「そうだよね〜、清水が『待ってて』って言ったんだよね……」

 風花がシャーペンをくるりと一回転させながらそう言った。

 一拍置いて、

「いや、流石に待たせすぎでしょ!」

 鋭く突っ込む。

 机の上の問題集には見向きもせずに筆記用具を弄ぶ。

 その行動から、風花の集中力が切れている事が明らかである。

 風花は雪弥が教室に来るのが遅い事を心配して、今しがた華那に質問してきたのだと思われる。

 だが。もう勉強したくないから華那に話しかけてきた、という可能性の方が高いかもしれない。

 雪弥が三組の教室に迎えに来るまでの間、華那と風花は一緒に勉強をする事にしたのだ。

 来週からいよいよ始まる中間考査の為に。

 まぁ、ずっと勉強は疲れるし、集中力切れてしまうのもしょーがない。

 私も疲れた、もう勉強したくない! ──あっ、そうだ! 風花は今日寝てなかった。だから、いつもより疲れてるのかもなぁ……。

 今日の授業中、風花は珍しく居眠りをしていなかったのだ。

 不思議と眠くならなかったらしい。

 風花が眠くならなかったのは、『俊樹しゅんきくんが元気な事にホッとして、よく眠れたからかもなぁ……』と華那は推測していた。

 華那は今朝、教室に入るとすぐに風花の席に向かった。

 それは昨日、風花の弟である俊樹が頭痛で早退したと聞いており、今日の体調がどうなのかが気になったからだ。

 華那が訊くと、風花はすぐに『心配かけてごめんね。俊樹ならもう大丈夫だよ』と明るい笑顔を見せた。

 風花が家に帰った時には、俊樹は既にゲーム機で楽しげに遊んでいたらしい。

 風花が『寝てなくて大丈夫なの?』と訊くと、

『もう痛くないから大丈夫だよ。つーか、暇すぎてゲームしてた。──あっ! ねーちゃん、俺と本気で勝負する?』

 俊樹はニコッと笑ってそう言った。

 風花は俊樹の笑顔に安心して気が抜けたそうだ。

 もちろん──、

『しない! 今日はゲームはやめときなよ。また頭痛くなったら大変じゃん』

 そう答えて、ゲームはやめさせたらしい。

 ゲームをしなかったお陰か、昨日の内に俊樹の頭痛は無事に治り、今日は元気よく登校できた。

 俊樹くん、頭痛治って本当に良かったね……。

 改めて、ホッと胸を撫で下ろしながら華那は風花に言った。

「雪弥、教室にもいなかったんだよね……。リュックはあったからまだ帰ってないとは思うけど、今どこにいるんだろ? もしかして、先生に勉強を教えてもらってるのかなぁ」

 今から十分程前に、華那は雪弥が遅い事が心配になって、雪弥のクラスである一組の教室に見に行ったのだ。

 既にHRは終わっている様子だったが、教室内に雪弥の姿はなかった。

 もしかして、帰っちゃったのかな……?

 不安になって廊下に設置してある白い棚の中を確認してみると、カーキ色のリュックサックを見つけた。

 このリュックサックは雪弥のもので、中学の時や去年に何度か、雪弥が背負っているのを見た事がある。

 だから、雪弥はまだ下校しておらず、校舎内のどこかにいるはずなのだが。

「えぇー? 先生に? けど、それにしたって遅すぎだよ。いっぱい質問してんの? 華那を待たせといて? もし本当にそうだとしたら、信じらんないっ」

 雪弥に対して腹を立てる風花を華那は宥めた。

「でも、ほら。めっちゃ難しい問題を先生に説明してもらってるところかもしれないじゃん?」

「でも、いま優先すべきなのは華那でしょ? だって、清水が華那の家で遊びたいって言い出したんだから。……ってか、そもそも遅くなるなら『遅くなる』って伝えるべきだと思わない?」

「うーん、そうだなぁ……」

 華那は考え込むような表情で軽く腕を組んだ。

「急用ができたのかな」

 そう。急な用事である。

 昨日の放課後に風花が、母親からLINEが来て、頭痛で早退した弟の看病を頼まれたように。

 だから雪弥も、急用ができてしまったのではないだろうか。

 それなら仕方ないよね……。

 華那がそう思っていると、風花がポンと手を打った。

「そうだ!」

 続けて、大きな声を上げる。

 び、びっくりしたぁ……。

 突然、風花が鳴らした音と風花が発した声に華那は少し驚く。

「ねぇ! さっき、華那が一組に行った時に陽翔あきとくんいなかった!?」

 なぜか興奮している風花に戸惑いつつも、華那は答える。

「……い、いたかも」

『いたかも』ではなく陽翔はいた。

 華那が雪弥を探す為に一組の教室内を見ていた時、雪弥より先に陽翔を見つけた。

 陽翔は沢山の男子生徒や女子生徒たちと一緒に楽しそうに喋っていた。

 陽翔なら雪弥の居場所を知っているかもしれないと思った。

 だが、華那は人見知りだ。

 陽翔とあまり喋った事がないうえに、大勢の人と一緒にいる陽翔に話しかける勇気はなかった。

「あのさ!」

 突然、風花がガタンと勢いよく席から立ち上がった。

 華那はその音に驚いて、肩をビクリと震わせる。

「私、陽翔くんに清水が今どこにいるのか訊いてくるよ!!」

「えっ、風花って篠田しのだくんとそんなに仲良かったんだ?」

 知らなかったのでそう質問すると、風花は恥ずかしそうに目を伏せた。

「うん、仲良いよ……。陽翔くんは男子の中で一番仲の良い友達なの」

 風花の丸みを帯びた頰は林檎のように赤く染まり始めている。

 あっ、まさか! 

 華那は勘付く。

 風花って篠田くんの事が好きなんじゃ……! あれ? でも、確か彼氏いたよね?

 華那は風花に陽翔の事をどう思っているのか訊こうと口を開いた。

 だが、廊下からバタバタと慌ただしい足音が聞こえたのでそっと閉じる。

 急いでる? 音が結構大きいから、男子かなぁ──って雪弥だ! やっと来た。良かった……。

 

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