第二節

 俺のスパイク知らないか?


 絢太じゅんたにそう送ろうとして、送る直前に手を止めた。それは、もう少し慎重になるべきだと思ったからだ。

 もし絢太に濡れ衣を着せたら、絢太は腹を立てて今度こそ華那はるなに手を出すかもしれない。そのような最悪な事態を起こさない為に、絢太以外の人物が犯人である可能性を考えてみた。

 すると、つい先程、部室に入る前に遭遇した侑聖ゆうせいが真っ先に頭に浮かんだ。侑聖は部室を最後に出た部員だ。また、雪弥ゆきや颯斗はやとが喧嘩した日以降、自分だけ当たりが強いと感じていた。

 多分、気のせいではないと思う。

 だが、証拠もなしに、先輩である侑聖を犯人だと決めつけるのは気が引けた。雪弥はどうするか少しの間考えてから、基本的に部員は自分のロッカーを施錠しているので、とりあえず空きロッカーや部室内を探してみる事にした。

 しかし、どこを探してもスパイクは見つからず、雪弥は軽く項垂れる。

 さて次はどうしようか、と部室の隅の方に何気なく目を向けたその瞬間。ある事をぱっと閃いた。雪弥の視線の先にあるのは、グレーのゴミ箱である。

?」

 まさかと思いながらも、雪弥はゴミ箱からゴミ袋を引っ張り出した。ゴミを素早くかき分けると、見覚えのある色を発見する。

 雪弥は信じられないという表情を浮かべた。

 ……これは間違いなく……俺のスパイクだ……つまり……誰かがゴミ箱に捨てた……。

 雪弥は心の中でそう呟くとすぐに、すとんとしゃがみ込んだ。ナイフで胸を抉られるような激しい痛みに襲われて、つらそうに顔を歪める。


 何で……?


 嘆きとも取れる自分の声が、自分以外誰もいない部室内に響いた。声は、虚しくも誰の耳にも届く事はなかった。






 足元に、ぼん、と投げるように靴を置いた。スパイクではなく、薄汚れた運動靴を。

 五月十四日の苦い記憶が蘇ったからか、雪弥の眉間には跡が残りそうなほど深い皺が刻まれている。

 たかがゴミ箱にスパイクを捨てられたくらいで、あそこまでショックを受けるとは思っていなかった。てっきり、どんなに信じたくなくてもこれが事実だ、と冷静に受け止めると思っていたのに。

 それが、しゃがみ込んで『何で……?』といつまでも落ち込んでいるだけなんて。

 どうやら、自分は自分が思っているよりメンタルが弱いらしい。

 それから、この件は華那に話すべきではないし、颯斗の事情も華那に教える事はできない。

 雪弥は重い溜息を吐きつつ、運動靴を履いた。

 誰がどう考えても卑怯だし、マジで最低なのは充分分かってる。……けど、華那とのあの約束は忘れた振りして帰ろう。


 スパイクを捨てられた五月十四日の翌日──つまり、五月十五日の放課後に、雪弥は侑聖から部室に呼び出された。

 やっぱり、昨日俺のスパイクを捨てたのは侑聖先輩なのか……?

 雪弥はそう勘付いて、緊張しながら部室に入った。

 侑聖は、『昨日の放課後にお前のスパイクを捨てたのは俺だ』と白状して謝罪した。

 予想が外れる事を心の底から願っていたのだが、自分の予想通り侑聖が犯人だと分かって雪弥はひどく落ち込む。

 その後、予想だにしない出来事が起こった。侑聖がを口にしたのだ。

 それを聞いた雪弥は暫くの間、言葉を失った。やがて、自責の念が膨れ上がる。

 颯斗と喧嘩してしまった去年の十一月十六日。


『颯斗の前でその話は二度とするな』


 侑聖にこのように耳打ちされて初めて、自分が颯斗の地雷を踏んだ事を理解した。しかし、実際は何も分かっていなかったのだと思う。

 侑聖が颯斗の事情を自分に暴露した事で、全てを理解する事ができた。ようやくだ。もっと早く理解しておくべきだった。雪弥は颯斗を怒らせてしまったのではない。颯斗の心に傷をつけたのだ。

 取り返しのつかないほどの深い傷を。


 

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