第四節

 それは──……。

 と、前方から一人の男子生徒がこちらの方に近づいてきてる事に気づいた。

 長袖シャツを綺麗に腕捲りをしているその生徒の顔は随分と見慣れている。

 もう雪弥ゆきやの目の前まできた彼は、雪弥の中学からの友人である篠田陽翔しのだあきとだ。

 ……陽翔か。会いたくなかったな。

 つい先程、担任の富川とみかわに陽翔の試験の成績について好き勝手に喋っていただけに。だが、ここは友人らしく軽めの挨拶を交わす事にする。

「やあ!」

 ラッキーな事に陽翔の方から先に片手を挙げながら挨拶してくれた。だから雪弥も同じように片手を挙げて、

「おう」

 にこやかに笑う。そしてそのまますれ違う。

 やばい。こいつと一緒にいたら間違いなく面倒な事に巻き込まれちまう。

 いちはやく嫌な予感を察知したからだ。

「ちょ、ちょっと待って! 立ち止まるかと思えばどこ行くの!?」

 陽翔の慌てた声が聞こえる。

 だが、多分そこまで慌てていないはずだ。きっと口元には穏やかな笑みを浮かべているのだろう。断定できないのは、陽翔に背を向けている雪弥にはもう陽翔の顔は見えないからである。

 既に、B棟からC棟に続く渡り廊下を

 もちろん逃げ切れるなんて思っていない。

 陽翔を撒くのは不可能とは言い切れないが陽翔は雪弥より足が速い。

「俊足の陽翔」と呼ばれるくらい──というのは嘘だが、サッカー部の中で一番速い。

 認めたくはねぇけどな……。

「用事があったからわざわざここまで探しに来たってのに、逃げるなんて酷いや」

 雪弥の真後ろから陽翔の呆れた声が聞こえた。

 ほら。もう追いついた。

 雪弥も陽翔も全速力で走っていないので息は上がっていない。

 雪弥はくるりと振り返り、天使のような微笑み(?)で言った。

「ご苦労様。けど、俺は帰るぞ」

「何で!?」

 心優しい(??)雪弥は、困惑している陽翔を放置して二年の教室へと繋がる階段を上り始めた。千歳緑の階段は傷や汚れがあり古びている。

 雪弥とは別の足音が聞こえるのは陽翔が後ろからついて来ている為だろう。

 雪弥は前を向いたまま自分の後ろにいるだろう陽翔に言った。

「まあ、『帰る』っていうのは嘘だけど、俺は今から図書館で勉強するんだ。用事って言っても、どうせ大した用事じゃないんだろ?」

「いやいや。大した用事だからわざわざ迎えに来たんだろ?」

 陽翔はそう返すと、後方から雪弥の真横へと移動してきた。二人並んで階段を上る形となる。

「いや、人が来たら邪魔だからちゃんと避けろよ」

 雪弥が陽翔に軽く注意すると、陽翔は戯けたような口調で

「もちのろん!」

 と返してきた。

 雪弥は呆れ顔で口を開く。

「じゃあ、その大した用事とやらを早く話せ」

「オッケー!」

 陽翔は楽しそうに答えてから、

「雪弥。一緒に勉強しない?」

「何だ、そんな事か。……断る」

 雪弥は冷たく言い放った。

 授業の時は内容の理解を深める為に仕方なく協力する。だが、試験勉強の時は話が別だ。ライバルと仲良く教え合う趣味はない。

「じゃ、今日も皆で勉強するか。雪弥だけ仲間外れは良くないと思ったんだけど、仕方ないや」

 陽翔は残念そうな表情で、わざとらしくため息を吐いた。

 陽翔が雪弥の拒否に傷つかないのは、別に不自然ではない。

 けど、なんかまだモヤモヤするんだよなぁ……。陽翔は本当に、『一緒に勉強しない?』と誘う為だけに、わざわざ俺を迎えに来たのか?

「まだ何か隠してる事があるんじゃないか?」

 雪弥がそう訊くと、陽翔は「流石だね!」と嬉しそうに笑った。

「実は昨日から風花ふうか瀬川せがわさんと一緒に勉強してるんだ!」

「えっ!?」

 雪弥は驚きの声を上げてから、陽翔に怒鳴った。

「それを早く言え!」

「けど、今日も図書館に行くんだろ?」

 陽翔が真面目な顔で訊いてきたので、雪弥は少し考えてから口を開く。

「あぁ、しまった。俺とした事がうっかりしてた。今日は図書館は休みだったのに。仕方ねぇ、今日は教室で勉強するか」

 見事な棒読みである。

「休館日は毎週水曜日。今日は金曜日だから、特別な事情がない限り開いてると思うよ」

 陽翔は素気無くそう返してきた。顔を窺うと恐ろしく真顔だ。

 何だよ、冷てぇな。俺が滅多に言わない冗談を言ったんだから、少しくらい笑ってくれてもいいだろ?


 

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