第6話 愛のパワー

「病院に行こう」

「紡くんが?」

「いや、僕じゃない。早紀が」


 確かに僕は怪我をしているけど、そんなことはどうでもいい。

 行くのは産婦人科、診てもらうのはもちろん早紀だ。


 何故僕がそんなことを言い出したかというと、早紀は元々身体が弱く、中学の頃は病気で学校を休むことも多かった、という話をさっき教室で聞いたからだ。

 そうでなくても勧めるつもりでいたから、まさに駆け馬に鞭。……これはちょっと意味が違うか。


 それに彼女は未成年。この歳での妊娠となれば身体への負担も大きいだろうし、彼女自身のためにも。そしてお腹の子のためにも、とにかく病院に行った方がいい。っていうか絶対に行かせてやる。絶対病院行かせるマン。


「紡くんが言うなら……そうしてあげてもいいかな」

「うん、言わなくてもそうして欲しいんだけど」


 もうあなただけの体じゃないんだから。と、心の中で付け加える。

 それに、本当なら妊娠が発覚した時点で病院に行くべきなのだ。


「出来るだけ早い方が良いな、明後日なんかどうだ?」

「明後日……土曜日ですね」

「念のため家の電話番号を書いた紙も渡しておくよ。何かあったときは連絡してくれ」


 予め用意しておいた紙切れをポケットから取り出して早紀に渡す。

 スマホは持っていないので、紙には家の電話番号が書いてある。現代では珍しいダイヤル式の黒電話、今は亡き祖父の形見である。


「ありがとう。でも今時スマホじゃないなんて珍しいね」

「まあな。スマホどころかガラケーも持っていないんだ」

「スマホ、買ってあげようか?」


 その言葉を聞いて思わずコケそうになる。


「ジュース買ってあげようか? みたいなノリで言うなよ。一体どんな金銭感覚をしてるんだ?」

「そうかな、普通じゃない?」

「なんていうのかな、そうやってさらりと言えるところが凄えよ。これが財閥パワーってやつ?」

「愛のパワーです」

「ハハ、言うねえ」


 せっかくの話だけど、スマホの話は断ることにした。

 いくら相手が金持ちだからって、あんな高価な物を買ってもらうわけにはいかない。

 僕にも男のプライドというものがあるのだ。


「もう、スマホがあればいつでもお話が出来るのに」


 早紀は不満そうに頬をぷうって膨らませる。

 まあ、女の子はお喋りが好きだからなあ。僕は寡黙だから無言で語り合いたいタイプだけど。


「スマホじゃなくても、一緒にいればこうやってお話が出来るじゃないか」

「離れていてもしていたいんです」

「じゃあ、離れずにずっと一緒にいよう」

「……いてくれるの?」

「うん。トイレでもお風呂でも、ずっと一緒だ。常時二人三脚」

「そ、それは……」


 あ、すげえ嫌そうな顔。


「そこは愛のパワーで乗り切ろうよ」

「あ、愛のパワーにも限界があるのです!」


 と、顔を真っ赤にする早紀を見て楽しみながら帰路に就く。


 他の生徒は既に下校したのか、誰とも会わずに済んだのが幸いだった。

 しかし、こんなコソコソとした生活をいつまでも続けるわけにもいかない。僕はこれから父親になるかもしれないのだ。もっと堂々としなければ、家族を守っていくことは出来ないだろう。


 そのためにも頼れる男に生まれ変わらなければならない。悪漢に襲われても余裕で返り討ちにできるくらいマッチョでパワフルなナイスガイに。


 そういえば、さっき体育館裏で記憶が飛んだけど、僕はどうやって先輩を撃退したのだろう。

 あの時の僕は地面に倒れて声を出すことも出来ないような状態だったんだ。あの状態から逆転するなんて、スーパーサイヤ人にでもならない限り不可能じゃないのか。


 たとえあんな状態じゃなかったとしても、喧嘩の知識ゼロ、おまけに筋力にも自信が無い僕があの先輩を倒せるとは到底思えない。


 まるで僕じゃない、喧嘩慣れしている誰かが僕の身体を操っていたような、そんな不思議な感覚だった。


 そもそも記憶の飛んでしまう、この変な体質は一体なんなのだろう。今まで真剣に考えたことは無かったけど――というのも誰かを妊娠させたり、いつの間にか人を殴っていたり、そんな荒っぽい行動をしていたことは無かったのだ。だから最近の自分らしくない自分の行動に正直驚いている。


 壊れかけのビデオテープのように、正常に再生できない僕の記憶。

 機械にだって不具合はあるんだから、人間にだって不具合くらいあるでしょうよ。なんて軽く考えるのは終わりにしなければいけない。


 そのうち何かとんでもないことをやらかしてしまいそうで怖いんだ。早紀を妊娠させておいて今更だけど、もっと取り返しのつかない何かをやってしまいそうで――。

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