眠れる森の美女

詩音

眠れる森の美女

 ある晴れた日のことです。王子さまは森に狩りに来ていました。いつもなら鹿や兎の姿を見かけるのですが、不思議なことに、この日は動物の姿はおろか気配さえ感じませんでした。王子さまは獲物を求めて、普段なら行かないような森の奥へと進んでいきました。


 しかし夕方になっても動物の姿はいっさい見当たらず、王子さまは狩りをやめて城に戻ることにしました。来た道を引き返しましたが、いつもの狩り場ではないために道に迷ってしまいました。


 日がすっかり暮れ、あたりは暗闇に包まれました。すると、昼では全く感じなかった動物の気配が漂い始めました。獣の息遣いがすぐ近くで聞こえたような気がします。茂みの奥には赤い二つの目が鋭く光っています。王子さまは気味が悪くなりました。けれど王子ですから、そんな素振りを見せることなく、正しいか定かではない道を勇猛果敢に突き進んで行きました。


 しばらく進んでいくと、塔がありました。がっしりとした高さのある塔で、こんな森の奥にあるなんて、いったい誰が住んでいるんだろう、これはもしかしたら魔女の家かもしれないぞ。王子さまは思いましたが、暗い森の中を彷徨うのも、もう嫌だったので、思い切って入ってみることにしました。


「おや、これは。こんな森の奥にいったい何の用です?」


 王子さまをむかえたのは、召使の女でした。


「狩りをしていたら道に迷ってしまって、一晩泊めていただけませんか?」


「えぇ、それでしたらお泊めいたしましょう」


 召使いは王子さまを部屋にむかえいれました。ベッドの上には今まで見たことがないほど美しいお姫さまが眠っていました。王子さまは一目で、お姫さまのことが好きになってしまいました。


「この美しい方は?」


 王子さまがたずねると、召使いが口にしたのはこのあたりで最も大きい国の名前で、その国のお姫さまだということでした。


「そんな方が、どうしてこんな森の奥で暮らしていらっしゃるのです?」


 こんなにも美しいのに、森の奥でひっそりと暮らしているお姫さまのことが王子さまは不憫でしかたがありません。


「十五のとき、姫さまは謎の病にかかりました。その病は眠り続けるというものでした。病にかかってから、姫さまはご自身の部屋のベッドで眠っていらしたのですが、姫さまの部屋で兵士が死ぬという事件がたびたび起こりました。兵士の数は次々と減っていって、見かねた王さまが命令を出して、病がなおるまで姫さまにはこの塔で過ごしてもらうことになったのです」


 召使いの話を聞いて、王子さまはお姫さまのことがますます不憫になりました。


「久しぶりの来客です。腕によりをかけて夕食の準備をいたします。王子さまはこちらでお待ちください」


 召使いは夕食の支度をするために上の階にあがっていきました。


 王子さまはお姫さまのほうに近づき、その美しい顔をのぞきこみました。陶器のように滑らかな肌に珊瑚色の唇。頬は薔薇色で、黄金の髪には絹のような艶があります。王子さまは全身が熱くなるのを感じて、このお姫さまの病をなおすことこそが自分の使命であると確信しました。


 王子さまはお姫さまに口づけをしました。よくあるおとぎ話のお姫さまにかけられた呪いが、王子さまのキスによって解けることを、王子ですから、知っていたのでしょうか。お姫さまが目を開いて、まぁあなたが私の王子さまなのね、と鳥のような美しい声で言い、熱い視線を向けてくる。王子さまはそう信じていたのです。


 けれど王子さまを待っていたのはこの世で一番の苦痛でした。喉に蛇やひきがえるをいっぱいに詰められたように呼吸ができなくなり、それらの生物が腹の中で暴れまわるかのようにひどくお腹が痛みました。お姫さまの頬にふれた手は、水分を失って黒く変色していき、扉から吹いてくるすきま風によって粉々に砕けてしまいました。呼吸ができませんから、王子さまは声を上げることもできません。助けを呼ぶこともできず、ばたばたともがき苦しんで、死んでしまいました。


「まぁ、たいへんなこと!」


 夕食の支度を終えてもどってきた召使いは叫びました。さっきまで元気だった王子さまが変わり果てた姿になっていたからです。


 驚きのあまり召使いは腰を抜かしてしまいましたが、お姫さまはちっとも変わらない美しい顔で眠り続けているのです。

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