猟犬ベッカムのハットトリック

@miyabi2018

猟犬ベッカムのハットトリック

収穫の獲物は「雉(きじ)鳥」だった。

日没後、猟から帰って来た夫の高木和男は

最高にご機嫌だ。

いつもは無口な方で普通の人が接すると寡黙な人という印象しか残らない人である。

特にわたしに対してだけは、なぜか余計に無駄な事は言わないし、冗談なんて聞いたことが無い。だが、今日は違った。

狭いローカの真ん中に新聞紙を敷いてその上に、獲物の雉(きじ)鳥が無造作にしかし大事そうに置いてある。体長五〇センチはある青黒緑の光沢のある雄の雉鳥だ。高木はその横で猟服を脱ぎながら興奮したように言った。

「今日のベッカムとトライは凄かったぞ! 

まるで映画のワンシーンだったよ!」

 「ベッカム」と「トライ」と云うのは我が家の二匹の猟犬の名前である。

「本当に今日は写真に撮る事が出来たら、と思うと出来なかったことがやり切れなく残念だったよ」

「……」

「猟する時は猟のことだけしか考えていないし、こんなこと考があるなんて考えてもいないし……また出来ることでもないし、突然の出来事でもあったしなあ……」

夫がこんなに言うのもめずらしいので私は何か言わないと……と、思った。

 「そうなの、どんなことがあったのか分からないけど、今からカメラを持って行かなきゃネ」

 ちょっと的外れかな、と思って言ったが、案の定、夫はすぐ言った。

 「ダメだよ、目的が違うんだから……いつも今日のような事などあるはずがないよ」

 「ふ~ん、そう」

 わたしはまだ、何のことか分からなかったのでありきたりの受け方だった。

「しかし残念だった!あの光景は俺や佐藤さんだけのものにはしておきたくなかったなあ~。兎に角、すばらしい光景だったんだよ」

 「そうなの」

 「うん、夢かと思ったよ」

 夕食の準備をしているわたしはいつものように聞いた。それでも内心は面白そうに聞くのが常である。必ず犬たちの話しになる。自分の子どもみたいに感じているのだろう。

 夕食時の晩酌は必ずビール1缶とお湯割り焼酎のコップ1杯を時間を掛けてたしなむ。このスタイルは年中変わらない。規則正しい飲み方だ。そしてその日は待ちきれないようにわたしに語った。

 わたしはいつでも「そうなの」とか「そうだったの」と云って「合いの手」的な受け答えに過ぎなかった。

猟師の家族としてのわたしは、山での鉄砲の事故や車の事故などを一番心配するし、獲物を獲る、獲らないはあまり関係ない。それより無事にその日その日の狩猟を楽しみながら終わって帰宅してくれるのが一番だった。しかし、今日の高木の様子は少し違うし、興奮しているのが分かる。そして喜んでいる様子が一つ一つの口調や動作でわかる。これは聞いてやらないといけないなと思った。

 「ねえ、それでベッカムとトライの活躍はどうだったの?」

「うん、カアさん(通称呼び名)にも絶対に見せたかったよ、ベッカムとトライのすごい活躍を、本当に見せたかったなあ……カアさんは何時もあれたち(二匹の犬)に飯作って世話しているんだからなあ」

「そうね!当り前だけど」

 「うん、残念だったよ」

 「で、どうだったの?と言っているの!」

 わたしは思った。この様子からすると、高木が今から話そうとしていること、経験したワンシーンの映像は、これから先、事ある事に話の中に出てくるだろうと思った。だから聞くことにした。その実態を……

      ***

今日の猟は少し遠出であり、高木にとっては初めて行く場所だから格別に楽しみにしていた。地元の山に詳しい佐藤健一さんと行くことになっていたからだ。

猟をすることになっている場所は、宮崎県の最北端高千穂町から、車で二時間程度走った九州山脈のまわりの山である。

宮崎、大分、熊本県にまたがるようにある五カ所という地区で途中に「三秀台」と云われている山の中の台地の近くらしい。

「三秀台」と云われように、山の中腹に台地があり、そこは阿蘇山、九重山、祖母山の三つの山を一望に観られる展望台がある。

特に山の好きな登山家たちには抜群に人気のある所だ。何故かと云うと、その場所は日本近代登山の父と言われている「ウエストンの記念碑」がある。高木も学校勤めの転勤族でこの四月に僻地交流で転勤してきたばかりだ。勿論その場所には行ったことは無いが、有名なので知っていた。

土地の地域環境にも慣れてきたところで、近所の佐藤健一さんと親しくなったのは早かった。     

それは言わずとも、お互いに猟犬が居るからであることは過言ではない。

わたしたちが引っ越して来て、佐藤さんはすぐに我が家に犬を見に挨拶がてらに、ふらりと来られた。 その時から犬の話で猟師達は一番信頼する友達になったようだ。そして今日の猟は、佐藤さんに連れて行ってもらうのを本当に待ち望んでいたのが今日である。

 九州山脈に一番近いこのあたりの町の地域にも二,三日前には大雪が降った。

今日は晴れ晴れした良い天気である。しかし、山の中は以上に雪が深いのは分かっていた。だが、せっかくの日曜日、猟師男たちは前から予定していた日を無駄には出来ない。

前輪駆動の軽トラックにはスノータイヤもしっかり付け、ぬかるみ対策のスコップや敷物なども用意準備した。弁当もその他飲みは温かさを充分温存できるポットを用意して、犬たちの水なども、万端の準備を整えて行くことにした。

気持ちはまるで運動会か遠足のようである。

 朝早く日の出を待たないで家を出た二人はしばらく車を走らせた。

昨日まで降った山の雪は随分積もっている。

山の高度は高くなり分け入って行くと行くだけ雪は深く積もっている。

車は昇り下りしなければならない。山道を走るのは至難の業だった。わずかに前に通った車の、輪だちの後をたどるように慎重に運転しなければならない。

 助手席に乗っている佐藤さんは、町役場の環境課に勤めているので特に付近の山道などの崩れた情報は一早くキャッチできる立場にある。今日は幸いにも交通止めなどの不具合は入って来ていなかったようだ。

 軽トラックの後ろ荷台に備え付けられている大きい犬舎に三匹の猟犬が乗っている。 犬たちはさぞかし何時もと違い大きく揺れるな?と感じて目をくるくるさせていた事だろう。しかし、それは人間が思うことであり

わたしが想像するに、犬たちは山に行くことが喜びである。猟が出来ることばかりを考えて乗っているだけだろうと……勿論、これは犬たちの気持ちになって人間が思う……だけのこと。

 

やっと三秀台の丘の台地に上りつく。

助手席に乗っている佐藤さんが呟いた。

「何時もより二倍時間がかかったバイ」「そうですね~この雪で大丈夫ですかね」

 高木は獲物のことを考えて言うと

 「ああ、それは大丈夫、鳥たちは枯草の上に雪が積もっているその下にジーッと羽を休めているシ……」

 「はあ、しかし、犬が匂いを獲るかなあ?」

 「匂いねえ、まあ、やってみまツしょう」

三秀台は展望公園になっていて、ウエストンの記念碑が雪にかぶさりながらも堂々として山々を見下ろすように立っている。

台地の公園内の中ほどには、ちょっとした吾妻屋造りの屋根の建物がありベンチが備えられ、その前には望遠鏡が二つ備えられている。山に来る人たちはここに来て必ず望遠鏡を見る。広大な阿蘇山を中心にスケールの大きい山々を見る為である。

「ここには休みの日など色々な人が遠くからでもやって来るのですタイ。今日はさすがに誰もいないですな~」

「まだ、早い時間ですから、来るのはこれからでしょう、いや来ないかもしれない……本当にこの雪では人は来れないでしょうネ」

二人は、そのウエストンの記念碑を右手に見ながら、三秀台地を右に回るようにわずかに道だと分かる畑道を行く。民家がちらほら三軒くらい見えてくる。

民家の近くや公園の近くは禁猟区になって

いるから猟は出来ない。そこからさらに突き進んで行くと、山の中の崖っぷちの手前に車を止める。

その手前は随分広い畑で、しかし今日は雪、雪、雪である。わずかに膨らんでいるのは高原キャベツの収穫が終わった後のようだ。雨靴で雪を踏んでいくと茎の跡が雪の中から出てくる。それでも山の畑はあたり一面真っ白に積もっている。

 車を降りた二人の猟男達は安全を確かめるように辺りを見回しながら鉄砲の準備や弾ベルトを腰につけたり、その確認をしている。

二人の猟男達は猟作業着の上に鮮やか過ぎるオレンジ色のベストを付けている。

猟服のベストは日本全国同じで、猟服が原色で鮮やかなオレンジ色なのは、誤砲を避けるために山の中で目立つ色になっているのらしい。帽子も赤や黄色っぽい色である。帽子にはその年度が分かる数字のバッジを付けている。無届狩猟や禁猟区狩猟違反を防ぐためでもある。

今日の靴は、雪が入らないように膝の下で絞ってある雨長靴である。

「随分な雪ですねえ……」と高木は余りにも雪の一面を見て感激したように言うと

「そうがんですねえ、きっと鳥たちは草むらの雪の中にスボッて(しゃがんで)、じっとしていると思うよ!」

 「動き(鳥の)が無いからかえって良いかもしれませんね……犬たちにとっては」

 「そうがんですなあ……こんな時は雑木の下やノリ面に沿った方が良いかもしれないですよ」

 「この辺りは随分急な崖がありますネ」

 「そう、気を付けないといかんよ、まあ、犬の後を行くと良かですが……」

 猟師の二人は、腰に弾ベルトをしっかり締めて鉄砲を持つと、止めた車から犬舎のふたを開ける。

それっとばかりに佐藤さんのシロとベッカムとトライの三匹の犬たちが、身軽に飛び降りる。

犬たちはその辺りを確かめるようにしっぽをいつもより大きく振って走り回っている。

嬉しいのだ。おしっこもしている。おしっこの仕方も雌犬と雄犬では違う。

ベッカムは雌だから座る形で、トライとシロは雄犬なので一方の片足を腰付近まで上げておしっこしている。

次の犬たちの行動は、自分たちのご主人様(飼い主)に何か訴えるようにご主人様の近くに寄っては離れして近くを走り回っている。

  佐藤さんの「シロ」はビーグルと云う雑種犬で妙に足が短かくわたしはあまり好きではない。しかし、面白いもので飼い主は誰もが自分の犬が一番と思っている。

 佐藤さんも先日我が家に来た時一番に言ったことは

 「私の(シロ)はウサギ専門でなあ、時にイノシシや鳥にもいけるオールラウンドの犬ですタイ……」と、まず一応けん制して言われたようだ。そのように猟師は  自分の犬が一番自慢なのである。

  高木の犬たちは、もっぱら鳥の専門であり

雌のベッカムは英ポインター種で白黒のスタイルの良い、優しい犬である。

  雄のトライは英セッター種で白と茶色のまだら模様の毛の長い元気の良い犬である。

 ある時、トライを病院に連れて行った時の

事、獣医さんがトライの頭を撫でて言われた

ことがある。

「トライ君!お前さん良くトライするんだろうネ、良い名前だなあ……」と

その獣医さんは大学時代にラグビーの選手だったということであった。

一方高木は自分自身大学時代はサッカーの選手であった。その頃の世界サッカー界のナンバーワンの選手ば、イギリスのベッカム選手であった。それで自分の愛する犬の名前に(ベッカム)と命名してご満悦だった。またトライはまさしくラグビーのトライという言葉が気に入って付けた名前である。

 スポーツ感覚で猟犬の名前を付けるのもまた楽しいのかも知れない。

      ***

 犬たちには山に入る準備は出来ている。

 高木と佐藤さんが猟銃をしっかり持つと、間もなく二人は方向を違えて歩いて行く。

猟師特有の、あうんの呼吸である。

 間もなく、犬どもは、自分のご主人様の行く方向の先をそれぞれに予測して狩り始める。 

 程良いランニング状態の走り方である。

(狩る)というのは、山の中の茂みの中にいる獲物を鼻で匂って獲物が居るか居ないか鼻で見極めながら捜していくことである。

 犬たちの狩り方は犬たち自分の、ご主人様の五〇メートルから一00メートル間隔で、山を回るように狩ったり、シグザグに狩ったりして匂いをとって行く。その後に猟師は付いて行く。

 犬たちは鼻が抜群に良く、獲物が通った後も匂いが残っているのも分かるらしい。それに沿って獲物を見つけるのが犬の本能である。

だから、猟師は犬が居ないと、どうする事も出来ないし、ただただ猟師は犬たちを頼っている。それ程猟犬の鼻は利いている。

 高木は佐藤さんと反対の雑木林の中を歩いて行っている。

犬たちは自分たちのご主人様から百メートル範囲位を狩って行く。あまり離れていると人間が付いて行けないし、獲物が出た時には、間に合わないことになってベターな間隔とは言えない。それを犬たちは知っている。

この時、犬たちにとっては自分のご主人様は高木であるし、高木は犬に頼り、犬は自分のご主人様に忠誠を尽くす関係である。それは見事なまでの主従関係の信頼だ。

二匹でそれぞれ分担して走り狩って行く。そのことを猟師言葉で「匂いを取る」と云う。そうやって、自分のご主人様に自分の出した獲物を撃ち取って貰うのが犬たちの仕事であり、喜びでもある。

 犬の足は速い、人間はとてもかなわない。

しかし、犬たちは賢く、山では自分の主人が見える範囲の所で狩りながら待っている。はっきりしたアイコンタクトとはいかないまでも、離れても自分のご主人様が見える範囲に居れば、意思の疎通が出来る。それこそ犬とそのご主人様との確認が出来ているという賢い犬の本能である。

 犬にもそれぞれ特徴がある。

ベッカムは雌で七年目のベテラン慎重に落ち着いて行動する。弟分のトライに対しても面倒見も良い。頭が良く意志の強い性格である。

 トライは四年目でベッカムより若いが、雄で元気がある。動きが速く、険しい山でも素早く行動して多くので良く獲物を出す。

 普通はしっかりとお姉さんであるベッカムを頼っているトライである。

 また、我が家の二匹の犬たちの首輪には鈴が付けてある。それぞれ違う音だ。最初は気になってうるさくさえ思えたが、慣れてくると行動が分かって便利が良いものである。

 しばらく犬たちは遠く近く行き来しながら狩っている……すると鈴の音が止まった。

 (アッ、鈴の音が止まった!)犬たちが何か獲物を見つけたのだ!こんな時は犬が止まっているから高木は緊張する。

 鈴が止まっているということは、獲物を見つけて留めている。制止しているのである。それを猟のことばでは「ポイントしている」と言う。

 犬にポイントされた獲物は絶対に動けないから、犬はご主人様が側に来るまでポイントしたまま待っている。長いこと待つ。犬たちの主人は鈴の鳴っていて止まった方向に急ぎ行く。いつでも予測して走って行くと云うのが本当だろう。

見えた!トライがポイントしていた。その少し斜め後にベッカムが控えてポイントしている。その二匹の犬の行動を「バッキング」しているという。こうなったら獲物は絶対に動けない。

 この時、先に匂いを獲ってポイントしていたのが、若い弟分の雄のトライだから全てトライに権利があることになる。ベッカムはトライの斜め後ろでしっかり構えている。獲物に対しては自然に協力するのである。

 ご主人様が駆けつけて打つ姿勢に入り、ご主人様の声を合図にトライが茂みに飛び込んで追い出す!……形態である。しかし、この時、ご主人様の「ヨシッ」の声、と同時にトライが飛び込む!飛び込みが少しズレて早かったようだ。短距離走のスタートで言えばフライングということになる。それでも高木が銃身を会わせて引き金を引いて撃つ!と云う気持ちである。三連発!「ババンババンババン」銃砲が響いた。

 高木は一瞬に自分も早かったと思った!

 雉(きじ)鳥が大空に舞って飛んで行くのが見え、羽だけが舞っていた。当然空(から)当たりだったのだ。猟師は自分自身でその事が分かる。鳥には当たっていないのが……。散弾銃だからかすかな当たりは感じている。微妙な所である。猟師達はこんなことは何回も経験している。しかし、猟師は自慢話が好きでもある。良いことだけを言いたい心境で、その通り「少しは当たりを感じたのだ、惜しくも落ちてこなかっただけだ!」と。

二匹の犬たちは鳥の出た方向に走って行く。落ちて来ない!

グルグルと二匹の犬たちは、辺りいっぱいを捜し回る。この時も鈴が鳴っているので分かる。

 しばらくすると落ちて来なかったことを認識した犬たちはご主人様の所にしょんぼりして帰って来る。そして、トライとベッカムは恨めしそうに主人を見上げて(何故打ち落としてくれなかったのだろう……)というように頭を横に傾けた。

 犬たちのご主人様である高木は鉄砲の空弾を処理しながら「トライ悪かったなあ、次に獲るからな!ゴメンヨ!」と頭を撫でながら言って誤った。これも猟師の勝手かもしれない。

 高木の銃砲を聞いた佐藤さんがすぐシロと一緒にやって来た。すばやく高木の様子を見て、佐藤さんが言った。

 「音がしたが、ダメか?!」

 「ちょっと撃つのが早かったです!腕が鈍ったなあ……トライとベッカムに悪いことをした!」

 と、高木は云いながら側にいるトライの頭を撫でなでた。ベッカムも撫でて貰う為に側に来た。佐藤さんは言った。

 「やっぱり雪の中にいるんだな、惜しかったなあ……俺は全然だ!シロも匂いを取らないし、雪が深いからビーグル犬は足が付いて行かんのかな」

 「飯でも食べますか?昼からにしましょう」

 「そうだな……三秀台公園に行こうか!あそこなら日当たりも良いから」

 「そうですね」

 軽トラックの後ろの犬舎を開けて犬たちに促すと三匹の犬たちはことも身軽に飛び乗っそれぞれの仕切りのある場所に入った。

 また、昼食の為に車で10分もかからない三秀台公園に後帰ることになる。

公園台地の少し下がった窪みの場所に車を止めると犬たちも降ろした。

公園台地の吾妻屋家屋の休憩所には恰好なテーブルとベンチ椅子等がある。誰も来ていないようだ。周りはちょうど良い陽が差して暖かくなっている。二人腰を下ろすと、犬たちも近くに来ている。お行儀よく座ってご主人様たちの行動を見逃さないように見守っている。いつもの行動から、何かを食べられる時間が来たことが分かっている。可愛いものである。

 

 まず、猟男達は働いてくれる犬たちに大目に準備していたパンを与える。それは犬たちの喜びの時間である。またその事が猟師たちにも喜びがある。犬たちは瞬く間に食パンと菓子パンを食べてしまう。水筒に用意してきた水もアルミの犬用カップで与える。

 高木と佐藤さんが手作り弁当を開くと、もうすでに食べ終わった犬たちの目はそのご主人様たちの弁当に集中して、後はご主人様たちの食べるのを見ているのが常である。

昼食休憩で佐藤さんと高木の猟男たちの話と云えば、まず、その辺りの猟に行った山の話が多い。

 猟男たちは山男でもあるようだ。

 「学校の先生という身で猟をするのは珍しかですな~」

 この辺りは熊本県との県境であるから、言葉は熊本弁が少し入っている。

 「そうですネ、田舎の学校に新卒で行った時からでした。その頃はまだ、先生たちの中にも猟をする人が居ましたからネ、見習って最初は空気銃でハト撃ちでしたよ」

 「そうですとか、めずらしとですばい。時代も変わるとやることも変わるとですたい。、まず、今は猟をする人など居なくなったですばい!……」

 「そうですネ、だいたい狩猟免許を獲るのが大変難しくなっていますネ」    「はい、はい、その通りですたい」


 その次二人は犬の話で、犬の特徴とか、犬の訓練や育て方など、飽きずにこれほどの話があるものだ!と云うくらい話している。

 犬たちは佐藤さんのシロと高木のベッカムとトライは近くの陽だまりで仲良く寝そべっている。雪山の太陽はなんといっても気持ちが良いのだ。

 一方、二人の猟男達は、今日の午前中の収穫が無いので少しさびしい思いがある。

 午後からはどうしても獲物を収穫したいという気持ちがいっぱいなのだ。

    ***

「さあ、午後はどうかな?鳥もそろそろ食べ物探しで動く事だろう……期待したいですたい……お前たち(犬たち)頼むぞ」

 佐藤さんは案内してきたので責任があるような気持ちなのか、犬たちにハッパをかけるように言いながら、次の行動に移った。

 また、次の場所に移動する為に、犬たちを犬舎に乗せる。喜んで飛び乗った。

 「今度は反対の山に行きましょう。ここは、さっき以上に険しいけど大きい杉山になっているから雉(きじ)鳥が入っているかも知れない」

 「じゃあ、そっちに行きましょう」

 高木は意を得たりと思った。元々深い山での猟が好きな性格だった。

 トラックを反対の道路に回すが、ここもまだまだ雪が深い。谷になっている杉林である。今度はすぐ撃てるように鉄砲を両手に持つようにして杉山を降りて行く。

 しばらく犬たちと上り下りして歩く。

 ベッカムとトライは相変わらず一生懸命に深い杉山の中を分け入って狩っている。

一時して急に鈴の音がまた止まった!

 高木は山の深雪の中をはやる気持ちで急ぎ足で行った。思うように長靴が動かない。

 深い杉山を出た山の斜面に、今度は山のやや斜面にベッカムがピタッと張り付くように止まっているではないか。その後ろにトライが忍び足のように行って止まる。

 良く見るとベッカムは急な崖を登るような恰好で左足を上げたままで止まっている。

 トライもその後ろで踏ん張っている。最高のバッキングだ!

 ベッカムとトライがバッキングしている所までは、どうしても距離があり過ぎる。こんな時猟師は撃つ判断に苦労する。

 鈴はしっかり止まっている。二匹の犬たちはご主人様が来るまで微動だにしない。

 撃てるような範囲に来た時、しっかり鉄砲を構えてからベッカムに対して支持を与える。

 「ヨシ!」大きな声で合図をする高木。

 前にいるベッカムが飛び込む!

 「パタパタパタ……」鳥が飛び立つと同時に「バーン、バーン、バーン」

 三連銃が山の深雪に響く。

 黒い大きな物体が空から舞い落ちるのが見える。辺りの杉の枝の雪がバラバラドサッと落ちる。

 撃った!……高木に手ごたえがあったのだ。

 今度は大丈夫そうだ!高木は胸の高鳴りを感じながら、犬たちは落ちたであろう方向に走り行っている。随分険しい山の下に落ちたようだ。高木も随分崖の下方向に足を踏み入れようとするが、絶壁に近くとても行けるようでないから諦めて後は犬たちに任せるよりしょうがない。

 遠くでベッカムの首輪鈴とトライの首輪鈴が激しく動きに比例して鳴った。

いつまでもいつまでも鈴が鳴っている。

(見つけることが出来ないのかなあ~)

 高木も心配になって再度落ちた方向に行くようにするが、完全に険しい崖の下に落ちたようである。人間は絶対行けそうにない崖っぷちだ。  高木は崖下を見る。とてもこれ以上は行けそうにない。

 山に入ったら無理をしないというのが猟師の鉄則でもある。佐藤さんもシロを連れて探しに来てくれた。

 「シロ、行って来い」

佐藤さんが手で山の下を差すと、シロは崖の上を回るようにして崖下に行くようである。  

 「深い所に落ちたのだなあ~」

(ダメか……)と思い、高木は残念でたまらないが仕方がない。

 「佐藤さん、諦めましょう!もう陽も傾いたようだから犬たちを上で待ちましょう」

 「残念だなあ、場所が悪かったよ!」

 「そうですネ!全くついてない!!」

 

 高木は大きな声で山の下に向けて

『ベッカム!トライ!もういいぞ!帰るぞお~出て来い!ベッカム!トライ!』

 ご主人様の声の合図が山に響き渡る。


 佐藤さんと高木はあきらめて畑を通り元の軽トラックまで歩いた。

軽トラックから随分離れた所まで行っていたようだ。随分歩く。

 犬たちはまだ上がって来ないからトラックの場所で銃などをしまいながら待っている。

 もう、二十分位は待っただろうか?

 こんな時犬たちはしばらく帰って来ない。獲物を獲るという目的を果たしていないからだ。いつものことである。猟師たちはその犬の気持ちを知っている。

 

 その時、佐藤さんが急に大きな声を挙げた。

 「高木さん、あれを見て!ミークが加えて来るぞ!」

 高木が振り返ると

 「エーッ、アーッ、ベッカムだ!」

 ベッカムが大きい雄の雉(きじ)鳥をくわえて歩いて来ているではないか! 

 

 真っ白い雪の中、見事な大きい雉(きじ)鳥をくわえたベッカムを先頭にトライ、その後にシロが続いて三匹の犬たちが一列に並んで田んぼの畔であろう所をゆっくりゆっくり歩いて来ている。

 何と美しい絵だろう! 

 高木はちょっとの間、夢を見ているかと錯覚に陥った。

 

 辺り一面の雪の中を三匹の犬たちがゆっくり歩いてこちらに向かって来る!

 佐藤さんと高木の猟男達はしばらく呆然とその姿絵に見入ってしまって口もきけなかった。

 

 それを見ながらやっと、正常に戻った高木が口を開いた。

 「佐藤さん、こんな時カメラでもあったらと思うネ」

 「本当だ!誰もこんな犬たちの姿は知らないだろうなあ……」

 「ほんとうに、残念だ!帰って家内に言っても分からないだろうなあ……残念だ!」

 「うん、この光景は高木さんと俺だけしか知らないということだ……」

犬たちは、高木と佐藤さんが感激して待っている側にやって来た。


 ベッカムがご主人様の高木の側に来た。

 他の犬たちはベッカムより前には絶対に出ない。

 高木は今までに見たことも無い、満弁な口調と笑顔になってベッカムに近寄りしゃがんで「ベッカム、良く探してきたな、ありがとうよ、ほんとうにありがとう!」と言いながらベッカムの頭を少し強く撫でて獲物の雉(きじ)鳥をベッカムの口から両手で柔らかく受け取った。

 そして、自分の顔をベッカムの顔に当てるようにほほずりした。ベッカムはご主人様に撫でて貰って、大好きな獲物を獲る仕事もしたので満足したようだ。それを見てかトライも高木の側に来た。

トライ(捉まえた)をしたのはベッカムだが、 後について来た猟犬トライはベッカムとりっぱなバッキングして、アシストをしたのだから、これも満足しているのだ。高木は側に来たトライの頭や首も同じようにさすった。


 シロは自分のご主人様の佐藤さんの側に行った。後から加わって雰囲気を充分に堪能したようだ。

佐藤さんは自分の子どもに云うように

「シロ、良く見たか?良かったな!良い所を見たネ、今日は賑やかで良かった!シロあんなにするのだよ」シロに云いながら佐藤さんも喜んでいた。


     ***

 我が家には常時2匹から3匹の猟犬がいる。

猟犬は我が主人の為に働くのが本能で、犬たちの主人はわたしの夫の高木和男である。

 面白いことに、犬たちは家族の序列をはっきりと作っている。その一番はやはり自分たちの主人の高木である。

 わたしが証明するに、犬たちの動作や目つきで分かる。それはわたしにだけ分かる事でもある。そんなに犬たちの心理を読み取るまでになっているわたしであるが、犬たちにしてみたら、わたしは主人の次の二番目であり、ただ食べ物を与えてくれる親しい家族の一人に過ぎない。しかし、主人が居ない時は、仕方なく二番目のわたしを頼っている。

 

 高木が山から帰って来ると話と云えば、今日の猟の様子を楽しそうに話した。それは、ほとんど「犬たちがどうした、こうした」という話が多かった。それをわたしは聞いた。夫婦としての最低限の思いやりでもあろうから……

 

 わたしは二人の子どもも育て、巣立って行ったが、その間、猟犬は入れ替わり何代も続いている。優しく、厳しく、最初など、分からない時は愛と躾のムチも飛んだ!

 犬たちには、人に慣れること、人間は自分たちに危害を与えないのだ、仲良くしよう……という観念に置くことが大事であった。

 おかげで人の気持ちの分かる犬たちに育て上げたのがわたしの自慢でもある。

お姉さん「ベッカム」は古株で頭も良く、性格も良く、一番権威を持っている。

 弟分の「トライ」はベッカムを頼っているが、天真爛漫に振る舞っている。これも頭が良く性格良しだから、ベッカムに次ぐ猟犬になること間違いない。

 

 猟犬ベッカムよあの光景をもう一度と云いたい!


 (どうして見つけたの!?)と聞きたいがそれは分からない!


 それはベッカムのハットトリックかもしれない。

 

 今日の陽も雪山の上に沈んでいくようだ。

         

        了  

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