《改訂版》 娘が笑顔であれば、それだけで 〜 世界を救いし最強のおっさんは、Eランク冒険者に転職して最愛の娘を育ててます 〜

優しき皮肉

序章

プロローグ1 英雄とカゲ

「皆の者! 我々は今、積年の大願を果たそうとしておる!」


 折り重ねられた重厚なガウンを纏い、頭に王冠を煌めかせた1人の老人。

 彼の名は、クアンゼ・オルレリ・リモルディア。

 帝国・法国と並び称される『三大国家』の1つ、【リモルディア王国】49代目国王である。


「我が国の英雄が5年と言う歳月を掛け、遂に! 魔王軍幹部の殲滅を成し遂げたのじゃ!!」


 クアンゼの熱弁が轟くと、貴族や権力者で埋め尽くされた大広間に、歓喜の波が広がっていく。

 遥か昔から幾度無く繰り広げられて来た、『魔王と三英雄の戦い』。

 それが今、英雄側の快進撃によって、終わりを迎えようとしているのだ。


「さぁ! 我ら王国の誇りと希望! 悪の根源を打ち砕き、その首を必ずや持ち帰る英雄ナーデリアよ! 姿を見せてくれ!」


 クアンゼの前に整列した騎士達が、合図と共に胸の前で掲げた大剣を勢い良く突き上げる。

 美しいアーチが完成すると、1人の女が入り口に姿を現した。


 輝く真紅の長髪、結晶と見紛う紫の瞳、魅力溢れる小顔には可憐な微笑み。

 白磁の柔肌が大広間の熱気に当てられ、仄かに紅潮し始めた。

 大広間から拍手と歓声が巻き起こり、空気がビリビリと振動を始める。


 彼女の名は、ナーデリア・フォルニトゥア。

 数百年置きに生まれる、『刻印』をその身に刻みし『三英雄』の1人。

 ナーデリアは少しハニカミながら、アーチの中をゆっくりと歩き出す。


 Sランク装備である【天使の羽根飾り】を纏うその姿は、見る者を夢心地へと誘う美しさ。

 貴族は勿論、規律に厳しい騎士達でさえ、感嘆の溜息が出てしまう。

 胸当の隙間から覗くふくよかな膨らみ、スカートから見え隠れする太腿の付け根は、男は元より女でさえも魅了していた。


 ナーデリアは国王の前まで来ると、スカートの裾を摘んで優雅に一礼をする。

 クアンゼは、若き英雄に見惚れてしまっていた己に喝を入れながら、更に言葉を続けた。


「そして、我等が『王国の英雄』と共に数多の死線を潜り抜けて来た、勇敢なる従者達に盛大な拍手を!」


 割れんばかりの拍手が、大広間に再度巻き起こる。

 それを合図に、入り口から三つの影がゆっくりと姿を現した。


 翠色の髪と瞳、長身痩躯の端整な顔立ちをした男。

 彼の名は、エルディン・パララスィカ。

 ハイエルフの魔導師で、千年の時を生きる賢人だ。


 その後ろを歩くのは、ハイエルフの半分程の背丈しか無いが、倍どころでは無い筋骨隆々の男。

 ドワーフ族の豪傑、ギギ・ターオンシード。

 怪力と驚異のタフネスを誇る、パーティーの切り込み隊長だ。


 列の最後は、オドオドしながら歩く少女。

 溶かされた黄金の様に艶やかなプラチナブロンドの髪、何よりも透き通ったクリアブルーの瞳。 

 最年少で神官となり、膨大な魔力量と稀に見る慈愛の心によって、10歳という若さで英雄の一行に抜擢された天賦の才。


 そして現在、2年を超えてメンバーを務める彼女の名は、レミアナ・アルドゥイノ。

 一国の王と同等の権力と発言権を持つ、教会最高責任者の孫娘である。


 万雷の拍手の中、アーチを歩く3人の反応はそれぞれ。

 エルディンは無表情無反応で淡々と玉座まで歩き、ギギは調子よく周囲に大手を振りながら歩を進める。

 しかし、レミアナは浮かない顔でトボトボと付いていくだけ。

 何故なら、頭の中は『ある男』の事で一杯だったのだ――



 (私達の功績じゃないのに……)



 国王の前で一礼をした3人は、貴族達の方へ体を向けた。

 その間に、メイド達が横から手早くグラスを渡していく。


「今宵は魔王討伐前の激励の宴じゃ! 皆大いに楽しんでくれ! 誉れ高き英雄達に乾杯!」


 クアンゼが、グラスを高々と掲げ音頭を取った。

 それに合わせ、貴族達も高々とグラスを掲げる。


「「「「誉れ高き英雄達に!!」」」」


 ナーデリアは注がれたワインをぐいっと飲み干すと、クアンゼの方へと歩み寄る。


「気高き王に」


 空になったグラスを掲げると、クアンゼは盛大に笑いながら、同じ様にグラスを掲げた。



 ▽▼▽



 数時間後――



 宴も落ち着いて来た頃、外に出て来たナーデリア。

 庭園の中央にある噴水に座り、ふと空を見上げる。

 普段は宝石の如く輝く紫色の瞳が、今は薄っすらと霞が掛かっている。


(もうすぐ終わる……もうすぐ。そうすれば、お兄ちゃんは……ん?)


 ふいに、左右に視線を走らせたナーデリア。

 しかし、が分かると、溜息と同時に気怠げに言葉を吐き出す。


「……何か用?」


 すると、枝々の間から1つの影が舞い降りる。

 現れたのは、竜を模した漆黒の鎧を身に纏う、長身の男。


 この男こそ、英雄一行の知られざる5であり、レミアナの心を埋め尽くす存在。

 名をカゲと言い、幼少の頃のナーデリアと出会い、『英雄』として鍛え上げた師匠であり、育ての親だ。


 ナーデリアは、三英雄の中でも群を抜いて強い。

 しかし、カゲはそれを遥かに凌駕する戦闘能力を有した、『世界最強の人族』だった。


 現に、魔王軍の幹部を悉く打ち破ったのは、ナーデリアではない。

 だが、それらは全て彼女の功績となっている。

 何故なら、魔王を倒すのはでなければならないからだ。


 これを利用し、クアンゼは2つの枷をカゲにはめた。

 1つは、全ての功績をナーデリアのものとする事。

 もう1つは、決して人前に姿を現さないという事。

 元々の名前も捨てさせ、『英雄の影として身を粉にして働け』という意味で『カゲ』と名付けて。


 そして、カゲもそれを受け入れた。

 それで世界を守れるのなら。

 愛弟子が『英雄』として歴史に名を刻み、繁栄の余生を送れるのなら。

 真の名は、自分の中で永遠とわに輝き続けるのだからと。


 ナーデリアの前まで歩み寄ったカゲは、大きな2本の角を持って兜を脱いだ。

 現れたのは精悍な顔立ちをした、無骨な表情。

 短く刈り込まれた黒髪に黒目、左の頬には大きな斜め十字の傷が入っている。

 年は30だが、所々少し皺が目立っていた。


「魔界の動向がおかしい。予定より早いが、直ぐにでも出発したい。だが、私はあの場には入れない……すまないが、エルとギギを呼んで来てくれないか?」


 穏やかな口調で語り掛ける低い声。

 ナーデリアは深い溜息を吐くと、差し出された手を無視して立ち上がる。

 そして、一瞬微笑んだかと思うと、徐ろに右手を振り上げ――



 パァァンッ!!



 育ての親の左頬を、力の限り叩いたのだ。

 カゲはよろめきもしなかったが、愛弟子の突然の行動に驚きを隠せない。

 更に、ナーデリアの瞳は今迄見た事がない程に、暗く濁っている。

 顔は怒りで歪み、肩で息をしながら、只々カゲを睨み付けるのだ。


「アタシの前で……その傷を見せんなって言ってんだろ! 当てつけか? アタシを庇った時に出来た傷だから? だからアタシの人生はシカトして、こんなアホみたいな事を続けろってかッ!!」


「どうした……何か、嫌な事でもあったのか?」


 カゲの言葉に、ナーデリアは益々声を荒げていく。


「あぁぁーー! ホンットにアンタは戦闘しか能のない馬鹿だよね! 10年もアタシの側にいて何1つ理解してないなんて、呆れる通り越して笑っちゃうわ! アハハハハハッ!!」


 突然、ナーデリアは狂った様に笑い出した。

 カゲはどうしていいか分からない。

 何とか落ち着かせようと、愛弟子の肩に手を置こうとするが、跳ね除けられてしまった。

 そして、ナーデリアは身体を震わせ、言葉を吐き捨てた。


「アタシに触るな! アンタは只のカゲ……アタシの、の分際でッッ!」


「……すまない」


 いつの日か、本当に大切なものを伝えてあげたい。

 嘗て、幼き日の自分が授かったものを。

 それだけを願って来た男から出て来たのは、苦痛を滲ませた一言だけだった。


「あの時、アタシを殺して置けば良かった? そうすれば、名前も捨てずに済んだもんね? こんなの為に、命を懸けなくても良かったもんね?」


 狂気に染め上げた瞳で、此方を睨むナーデリア。

 カゲは何も言えず、只黙って立つ事しか出来ない。

 あの時……逃げずに向き合うと誓ったのに。


 ナーデリアを救い出してから10年、カゲは惜しみない愛情を注いで来た。

 師匠に拾われ『愛』を授かった自分の様に、この子にもそれを伝えてあげたいと。

 カゲにとって、少女は『護るべき家族』そのものだった。


「……アタシはずっと奴隷商人共の情報を集めてきた。全員じゃないけど、今日この場に顔を出してる奴もいる。暫くは王都に留まるって事も分かってる……このチャンスを逃す訳にはいかないんだよ……!」


 ナーデリアは声を荒げ、物凄い剣幕でカゲに迫る。

 その美しい瞳を涙で滲ませ、震える手で自分の胸元をしっかりと握り締めながら。


「アタシにとって大事なのは世界じゃない……なんだ! その為なら、世界が壊れたって――そうだ……魔王なんかアンタが倒せばいい。そうすれば、もうその……汚い顔を見なくて済むんだ」


「……」


「そうだよ……アハハハハハッ! アンタが一人で行けば良いんだ! 聞こえたでしょ? とっととパーティーから消えてくれる? 元々んだから、簡単でしょ? やる事やったら二度と……アタシの前に姿を見せんなよ……!」


 捨て台詞を吐き、踵を返して大広間へ歩き出したナーデリア。

 一度も振り返る事無く、それ以上何も言わずに。


「……すまなかった」


 カゲはポツリと呟き、去り行く背中を只見送る事しか出来ない。


(それでも……私は……)


 だが、家族にしてやれる事はまだ残っている。

 それは、彼女の地位を確固たるものにする事。

 『魔王討伐』という、王国史上初の栄誉を贈る事だ。


(私に出来る事は……もう、それしかない)


 夜空を見上げ、カゲは静かに微笑んだ。

 そして、ポツリポツリと語り始める。


「……あの子を許してやってほしい。でもね、心根は本当に優しい子なんだ」


 徐に漆黒の鎧を脱いだカゲは、それを1つにまとめて手を翳す。


「《竜紫炎ヴィオラフレイム 》」


 すると、竜の形をした紫色の炎が躍り出た。

 見る見る内に、鎧が焼き尽くされていく。


「今この時を持って……『カゲ』は死に絶えた。君には心を開いているように見える。これから大変かもしれないが、あの子を宜しく頼む……レミアナ」


 植え込みに向かって微笑み掛けたカゲ。

 想いを託すように頷くと、体に魔力を込めた。


「《飛翔フライ》」


 カゲの背中に竜の両翼のオーラが現れ、1つの羽ばたきでふわりと体を持ち上げる。

 高度を上げながら、カゲは植え込みに視線を落とした。

 これで良かったんだ。

 自分の存在価値は、これで全うされる。

 夜空を見上げ、一気に羽ばたこうとした時――



「お待ちください! カゲ様……私も、私も連れて行ってください!」



 少女の悲痛な叫びが響き渡った。

 涙で頬を濡らしながら、精一杯カゲを呼び止めるレミアナ。

 だが、カゲは静かに微笑みながら、首を振った。


「レミアナ……君には輝かしい未来が待っている。ナーデリアと共に、魔王を打ち倒したという栄誉を享受しなさい」


「嫌です! 何故カゲ様と共に行ってはいけないのですか! 私は……私は……カゲ様をお慕いしております! どうか、どうか私も一緒に……!」


 そう言うと、レミアナはその場で泣き崩れてしまった。

 カゲは一度地面に降り立ち、震える細い体をしっかりと抱き締める。

 だが、優しく温かな胸に包まれると、余計に涙が溢れてしまうのだ。


「私には……君に慕われる価値など無いんだ。家族を護れぬ者に、そんな価値など……」


 カゲは、レミアナの頭を優しく撫でた。

 大きな手で、全てを包み込む様に。


「どう、して……どうしてですか……」


「約束しよう、君達の未来は私が守る。必ずや魔王を討伐し、平和な世界にしてみせよう」


 そう告げると、カゲは再び上空に飛び上がった。

 もう何を言っても、カゲの決心は変わらないのだろう。

 ならば……今レミアナに出来る事は――



「カゲ様! 貴方の本当のお名前を私に教えてください! 最後の……最後のお願いです!」


「……聞かない方が良い。私の事は、早く忘れて――」

「嫌です! 無理です! 大好きな人を忘れろなんて……そんな残酷な事、言わないでください……!」



 レミアナが紡ぐ言葉が、カゲの心を何かで満たした。

 この5年、隠して来た名前を知りたいと言ってくれた事が、こんなにも嬉しい事だとは。

 微笑みを見せたカゲ、そして――



「…………私の名はラディオ。『竜の子』という意味を持つ、母から授かった自慢の名だよ」


「竜の子……ラディオ様……忘れません! 決してその名を忘れません!!」



 朧げな月明かりが、レミアナの濡れた頬を優しく照らす。

 ラディオは本当に嬉しそうに微笑むと、星々が煌めく夜空へ一気に羽ばたいていった。


「ラディオ、様……うぅ……うえ〜〜ん……!」


 力無く庭園に座り込んだレミアナ。

 抑えきれない想いが、雫となって押し寄せて来る。

 愛しい人が見せてくれた最後の笑顔を、胸に刻み込む様に。

 これから先、何があっても忘れぬ様にと。

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