里の歳時記
四賀 詠助
春
三月十日
明け方、山の中でヤマバトが鳴いている。
昔父が、野生のヤマバトはたいそう美味しいのだと教えてくれた。
味に頓着する人ではないが、小学生の頃食べたものの味を大人になっても覚えているなんて、よほど印象的だったのだろう。ジビエとしては比較的クセが少なく、出来るものならもう一度食べたいと、幼いころよく聞かされた。
私は食べたことのないヤマバトの味を想像して、口の中に含んだ唾液を飲み込んだ。
山の春はよく冷える。特に朝方は、室内にいても冬のような寒さが身に染みる。首の周りに布団の縁をかき集め、少しでも暖気を逃すまいと体を丸める。
しばらくそうしていると、リリリ、と目覚ましが鳴った。ほかの部屋に響かないよう素早くボタンを押して音を止める。布団から腕だけ出してファンヒーターのスイッチを入れ、再び頭から布団を被る。こうして十分も待てば、昨日のうちにファンヒーターの前に用意しておいた洋服が多少温かくなる。
祖母が営んでいたこの民宿を譲ってもらって、もう五年になる。街道の要所として山間に栄えたこの元宿場町で、今も宿泊業をしているのはここだけだ。
山と山の間は一キロにも満たず、その麓に田んぼや畑を開き、さらに小さな町を築いた。その田畑も今ではすっかり耕す者が減り、私がここへ越してきたときにはそのほとんどが休耕地となっていた。
民家も空き家が増え、そのまま放置しては危険だと取り壊しになった古い家屋は数知れない。
いわゆる、限界集落にある今時流行らない民宿。私が住んでいるのはそんなところだった。
長いような短いような五年間に思いを馳せていると、ファンヒータの暖かい空気が布団越しにも伝わってきた。思い切って掛布団を跳ね除け、一気に着替えを済ませる。布団を押し入れにあげ、意を決して廊下へ出た。
あまりの寒さに腕まくりした両腕から、鳥肌が全身を駆け抜ける。民宿を譲り受けるときに多少手を入れたが、もともとが古い建物のためあまり大掛かりな改装はできなかった。せめて台所と居間に床暖房くらいは入れたかったが、空調機器に関しては客室にエアコンを設置するので精一杯だった。
洗面所で手早く顔を洗うと、まずは風呂掃除に取り掛かる。ここがリノベーションをした際に大きく建て替えた場所だ。もとは一つの大きな浴室で時間ごとに男女を入れ替えていたが、それを半分にして男女で分けた。その分一つの浴室は狭くなり掃除の手間も増えたが、家族で泊まる人も少ないので好きな時間に入浴できる方が良いと判断してのことだ。
デッキブラシで一気に風呂場を洗い上げると、急いで台所へ向かう。昨夜のうちに仕掛けておいた炊飯器のスイッチを入れ、外に出る。
私が外に出てくる気配を察知していたのか、「ポチ」がすでに小屋から起き出してきていた。手元にあるリードを確認すると、今にもちぎれんばかりにしっぽを振る。
空はすでに薄っすらと明るくなり、雪をかぶった西の山は真っ赤に燃え上がっていた。この光景が好きだ。何度見ても見飽きることがなく、毎回新鮮な感動を覚える。
ポチが待ちきれない様子で、私の足元にすり寄ってきた。いつもの散歩コースを、ジョギング程度のスピードで進む。頬は冷気で切れそうなほど冷えているが、体はじんわりと汗ばんでくる。
散歩から帰ると台所に置いた石油ストーブに火を点け、そこにたっぷりの水を入れたやかんを乗せ、大急ぎで朝食の支度を始める。今日の味噌汁の具はシンプルに白菜と油揚げ。冬の間雪の下で寝かせた白菜や大根、長ネギなどの越冬野菜は、この時期果物と紛うほど甘くなっている。その白菜がくたくたになるまで火を通すと、さらに甘みが増す。私の好物の一つだ。
主菜の鮭をグリルに入れ火をつける。石油ストーブの上のやかんと、昨夜の残りの煮物の鍋を入れ替える。すっかり沸いたやかんのお湯を魔法瓶へ移し、冷蔵庫からご飯のお供を出し机に並べる。そうこうしているうちに焚きかけのご飯の匂いを嗅ぎつけたのか、宿泊客のうちの一人、ロベール夫人が起きてきた。
『おはよう、ヨシノ。すがすがしい朝ね』
朗らかに挨拶してきた彼女は、一週間ほど前からここに滞在している。フランス人のいかにも品のいいご婦人で、数年前ご主人を亡くしてから世界中を旅しているそうだ。
『おはようマダム。今日もとても冷えますから、ストーブの近くへどうぞ』
そう言った私の言葉に礼だけ言って、手伝うことはないかと問いかけてくる。ちょうど炊き上がったご飯を混ぜて蒸らしてくれるよう頼むと、夫人は自ら引き出しからしゃもじを取り出し作業に取り掛かる。この一週間でこの作業はすっかり夫人の仕事になった。窯の底からご飯を返す仕草も手慣れたものだ。
ご飯を夫人に任せ、私はボウルを持って勝手口から再び外に出る。庭に置いてある樽の前で膝をつき漬物石と蓋を外すと、意を決して薄く張った氷を割り樽の中に手を突っ込む。割れた氷の破片がチクチクと肌を指す痛みと冷たさに、思わず小さな悲鳴を上げた。野沢菜を一束引きずりだすと、大急ぎで室内へ駆け込む。何度やってもこの作業が慣れない。
休む間もなく野沢菜を切り出すと、自分の仕事を終えた夫人が、私の肩越しにまな板を覗き込んできた。
『相変わらず、冬なのにそんなに冷たいものを食べるのね。それがまた美味しいんだけれど』
そう言った夫人の前に、私は切った野沢菜を一つ差し出す。彼女はそれを受け取ると口に放り込み、少し肩をすくめた。彼女に渡した野沢菜漬けは凍り付いていたため、相当冷たかったはずだ。
この時期の野沢菜漬けは、すっかり味が滲みて酸味がまた味わい深い。凍り付いてシャリシャリとした触感も、樽から出してすぐに食べられる生産者ならではの特権だろう。
夫人と二人で朝食の準備をしていると、画家先生が寝ぼけ眼で起きてきた。彼女は祖母がこの民宿を仕切っていたころからの客であるから、私よりも長い時間をここで過ごしている。現にその証左として、土間の空きスペースはほぼ彼女のアトリエと化していた。そこで絵を描き、それを売ったり個展を開いたりして収入を得ているらしい。一泊食事付きの料金が七千円とはいえ、長期で泊まり続けているところを見ると、それなりに売れているようだ。
「おはようございます、ちょうど呼ぼうかと思っていたところです」
彼女は頭を掻きながらおはよう、と返すと、こちらも慣れた手つきで人数分のお茶を淹れた。頼まずとも勝手に急須と湯飲みを出し茶葉の場所も分かっている辺り、もはや勝手知ったる、といったところだろう。
全員が席に着くと、二人がこちらを見つめる。手を合わせていただきます、と言うと二人もそれに倣った。
朝食を摂りながら、二人に今日の予定を問う。ロベール夫人が、今日で滞在最終日だから最後にもう一度散歩をするつもりだと言うと、画家先生もそれについていくという。お弁当用の簡単なおにぎりは朝食の準備とともに用意してあったので、自分で包んで持って行ってくださいと伝えた。
朝食の片付けを終えると、一階の掃除を済ませる。部屋の間取りは、一階は居間やダイニング、浴室に広めの客間と私自身の居室で、二階にお客さん用の部屋が四室並ぶ。二階にも簡易的なキッチンと冷蔵庫が用意されているが、ここへ来る宿泊客は大抵食事付きのプランを選ぶため、せいぜい流しを歯磨きや洗顔で使うくらいだった。二階は廊下だけ手早く掃除機をかけ、家中の掃除を終えた。掃除の前に回しておいた洗濯機から洗濯物を取り出し、二階の干場に干せば、一通りの家事が終了する。
時計を見やるとおよそ九時半過ぎ、悪くない時間だ。温かいお茶で水筒を満たし、簡単なお菓子を持って畑へ向かう。この時期は最後の冬野菜と、春夏の野菜の種まきが始まるため俄かに忙しくなる。とりあえず今日のところは、春菊と水菜と小松菜を植え、冬の間使っていなかった畑を耕そうと、頭の中である程度の算段をつける。
畑へ着くと脇に建てられた小屋から鍬を持ち出し、早速仕事に取り掛かる。畝を作り種を撒き、薄く土を被せていく。単純な作業だが、ずっと前傾姿勢をとらなければならないためなかなかの重労働だ。ときどき伸びをして背中をたたく。そうしてまた、ひたすら同じ作業を繰り返していく。
一時間ほど経ったところで持ってきたお茶とお菓子で簡単な休憩をとる。ふと空を見上げると、雲がゆったりとしたスピードで流れ、それがまた気持ちよさそうだった。朝も早かったためうっかり寝てしまいそうになるが、慌てて頭を振って作業に戻る。
昼頃一度家へ戻り、一人きりの昼食を簡単に済ませると、一寝入りする。寝て起きると風呂に湯を溜めておく。私の外出中に帰ってきた二人が風呂へ入ろうとするかもしれない。画家先生がいれば勝手に溜めて勝手に入るだろうが、さすがに夫人は遠慮するだろう。今日は男性の宿泊客はいないので、女湯だけだ。
夕飯用の米を仕掛け、洗濯物を取り込んでお茶を持って再び畑へ出る。
午前中は結局種撒きしかできなかったため、午後いっぱいはできるところまで畑を耕す。小屋からトラクター型の耕運機を出し、一気に耕す。農業器具のほとんどは父の代から使われているもので、一番古いものはもう三十年ほどになる。そろそろ買い替え時かとも思うが、一台が数百万単位の買い物のため、なかなか踏み切れない。
途中休んでいると、近所のおじさんがやってきて世間話に興じる。今年は雪が少なかった、稲は何枚頼むつもりか、今月は公民館の掃除があるからよろしく。そんなとりとめもない話を二十分ほどして、再び作業に戻る。
しばらくして時計に目を向けると、時刻は三時半前だった。太陽はすでに山の端近くまで落ちている。大慌てで家へ戻り、洗濯物を寄せた。
ここからは宿泊客の送迎がある日は街へ車を走らせ、なければゆっくりと過ごす。今日は特に予約もないのでこたつで一息つく。といっても仕事は山積みなので、十分も休んだら洗濯物を片し、コーヒーを淹れて出納帳をつける。
六時になると、夕食の準備を始める。今日は夫人のリクエストでおでんだ。夕べのうちに仕込んでおいた鍋を石油ストーブにかけるだけなので、いつもより簡単に支度が済む。彼女がお酒を嗜むということは初日に聞いていたので、燗を付けるためのお湯も同時に沸かす。
画家先生はお酒を飲まないので、おでんだけでは物足りないだろうと簡単な野菜炒めと酢の物も拵える。といっても、私の父と同様彼女も食に頓着する質ではないので、おでんをおかずにご飯を食べられるだろうが。
七時前には二人とも居間にやってきて、こたつに入ってテレビを見ていた。ちょうどバラエティが始まる前の、ニュース番組の天気予報が流れている。キャスターによれば、明日も冷え込むが天気は快晴の予報だ。
「今日はこっちでテレビを見ながら食べましょうか」
そう言ってお箸や取り皿などの食器をこたつの上に並べていく。
夫人にも同じように、こたつに入ってテレビを見ながら食事を摂ろうと提案する。彼女はあまりテレビを見ながら食事をする機会がなかったのだろう。どこか居心地が悪いような表情をしていた。私がおでんの前の簡単な乾きものと燗の準備をしている間、画家先生と夫人の会話が聞こえてくる。
『なんだかお行儀が良くないような気がするけれど……』
『昭和の伝統的な食事風景だよ』
画家先生は適当な英語で適当なことを言っている。こうして誤った日本文化が広まっていくのだろう。
おでん以外の料理をこたつの上に並べ終え私が席に着くと、朝と同様二人がこちらへ視線を向ける。いただきます、と手を合わせると、二人がそれに倣う。
乾きもので程よくお酒が進んだどころで、いよいよおでんだ。大根、たまご、こんにゃく、ちくわと、おでんの王道を夫人の器によそう。自分の器へもいくつか種を取り分ける。大根に箸を通すと、なんなく二つに切れる。それを口に運びかみしめると、大根にしみ込んだ出汁がじゅわっとあふれ出し、続いてふんわりと大根の風味が口の中に広がる。
画家先生は思った通り、おでん種をご飯の上に乗せおかずとして食べている。おでんと炒め物と酢の物をぐるぐるとおかずにご飯を食べられるとは、流石だとやや感心する。
リクエストの張本人である夫人はというと、どの具材も一口大に切って少しずつ口へ運んでいる。大根、ちくわ、こんにゃくを一口ずつ食べ、お猪口をくいっと傾け、またおでんへ箸を伸ばす。こんなに上品におでんを楽しむ人がいまだかつていただろうか。彼女は特にがんもどきが気に入ったようで、二つ目を自らの器によそった。
食事も中盤に差し掛かるとこの形式での食事に慣れてきたのか、夫人はテレビの内容を私や先生に質問しながら食事を楽しんでいる様子だった。
食事が済むと三人で片付けをし、再びこたつへ戻る。夫人のここでの滞在の感想を聞きながら、また杯を傾ける。
話に興じているとすっかり夜も更けていた。やはり二人は私が帰宅する前に風呂を済ませていたようで、酒盛りの片付けをすると自らの部屋へ帰っていった。
私自身も風呂を済ませ、家中の戸締りを確認してから自室に戻り、簡単な日記をつける。今日の天気、宿泊客の人数、やったこと。大したことを書くわけではないが、これだけは毎日続けている。こちらへ越してきてからの習慣だ。
布団に潜り込むと、すぐに睡魔に襲われる。今日も一日良く働いたと、胸の内でそっと自身を労いながら深い眠りへと落ちた。
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