第2話

Act.2



『探したぞ、イヴァンジェリン。いや、イヴというべきか』


 と、聞いたことのない名称でせいを呼びつけた、淡白く浮かぶ発光球体は、なんと自身は神だと名乗った。

 巨大頭蓋骨の化け物を倒したかと思えば、謎の発光飛行球体(自称・神)に話しかけられるとは。

 今日は厄日か。はたまた、やはり痛烈衝撃極まりない夢か。誠が思わず軽く天を仰ぐと、通りの向こうから人の声が聞こえてきた。

 問答無用でダッシュしたら、この自称・神から逃げ切れるだろうか。

 と、とっさに考えたが、ギリギリのところで理性が却下を下した。

 この自称・神は、おそらく自分に用がある。ということは、今逃げ切れても再び発見される可能性がある。それも、次は誠以外の人間にも目撃されるかも知れない。

 数秒熟考したのち、誠は自称・神を引っ掴むなり学生鞄に押し込んだ。

 途中で「何をする無礼者!!」「天罰食らわすぞ!!」などと聞こえた気がしたが、きっぱり黙殺する。

 そして誠は先程までの疲れも忘れて、施設までの夜道を全力疾走した。

 

 □

 

 夕飯までの門限は十八時だが、高校生である正式な門限は二十三時だ。

 ものすごい剣幕で帰ってきた誠を、今日の夜勤当番かつ園長の佐藤さとうさおりが目を剥いて出迎えた。

「どうしたの、誠ちゃん。心配しなくても、ひでちゃんから連絡もらったから、ちゃんとお夕飯残してあるわよ」

「あっ、いや、その……」

 心配されている内容は明後日の方角だが、まさかバカ正直に『鞄の中に自称・神を突っ込んできた』とも言えない。

「まさか、何か危ない目に遭ったとか…?」

 追撃のごとくさおりに迫られ、誠は内心たじろいだ。

 他の相手ならいざ知らず、育ての親として慕うさおりに嘘を吐くのはあまり得意ではない。

「……今日!! すっごい宿題出されたのに帰るの遅くなったから!! ゆっくり歩いてたら時間なくなるなって思って!! 夕飯は宿題終わったら取りに行く!!」

 三十六計逃げるに如かず。

 我ながら苦しい言い訳だとは思いつつ、誠は早口でまくし立てると、さおりの返事も待たずに階段を駆け上がって自分の部屋に滑り込んだ。

 高校生になってから与えられた部屋だが、ちなみに誠は今日ほど一人部屋になったことを感謝した日はない。

 中学生までは基本的に二人~四人部屋で過ごすことになっているが、退所後の将来が迫る高校生は、基本的には一人部屋が与えられるようになっているのだ。

 へたり込むようにして物の少ない自室に座り込みつつ、誠は重たい手で鞄を引き寄せる。できれば開けずにベッドへダイブして軽く一眠りしたいところだが、そうもいかないだろう。

 じりじりと鞄のチャックを開けると、案の定、自称・神は待ってましたとばかりに飛び出してきた。

「いきなり無礼ではないか、このような狭き場所に押し込むなど!! それも揺れるわ跳ねるわ……敬え!! 我は神だぞ!?」

「……すいませんね、生まれてこの方“カミサマ”なんて見たことも信じたこともないんで」

 誠が口元を引きつかせつつウンザリした目で見ると、光るバレーボールのような自称・神は『プンプン』という擬音が聞こえてきそうな動きで揺れた。

「全く、我の世界ではないとはいえ、本来ならば会話をするだけでも天啓と言われるものを、お前という奴は掴むは押し込むは雑に扱うわ……。そもそも、イヴよ。お前が我が世界ではなく異世界に転生したせいで、我は大変な苦労をしたのだぞ!?」

「いや、まずそのイヴって誰だよ」

 自称・神も憤慨しているようだが、誠も素で突っ込む。

 イヴというのが誠を捨てた(と思われる)実の親が命名した名、という説もあるが、そうであったら実の両親とやらとは、今後名乗り出てこられても、こちらから縁を切ろうと堅く心に誓う。

 そして百歩譲って『イヴ』でも抵抗があるのに、先程はもっと長ったらしい名称で呼びかけられはしなかったか。もしそちらが本名ならば、本気でセンスを疑うところだ。

 顔の造形や肌の白さからハーフっぽいと言われたことは多々あるが、髪も瞳も日本人らしい黒髪黒目であるし、何より個人的には日本人らしい名前がいい。

 ちなみに異世界というワードは、意図的に聞かなかったことにした。

 さすがに、巨大頭蓋骨、自称・神、転生ときたら、これ以上は誠のキャパオーバーだからだ。

「……そうか、やはり転生のショックで前世を全て忘れておるのだな」

「言っちゃなんだが、前世のことを覚えてる奴のほうが少数派だと思うぞ……」

 顔がないくせにやたらと表情豊かに思える自称・神は、突っ込みどころが多い。

 誠の心情など知ったことではない自称・神は呑気に「ふうむ……」と唸っているが、誠は強張った面持ちでその様子を観察していた。

 連れ込んでから気が付いたが、この自称・神に攻撃の意思があれば施設の人間全員の危機ではないか。

 思考力がかなり落ちていたとはいえ、人目につきづらそうなところなら他にもあっただろうに。

 普段なら絶対に犯さない愚行を、内心自責しつつ、誠はそろりと竹刀を傍らに置いた。

 鞄に突っ込んだとき、なんとなく掴めたから、物理攻撃は効くはず。

 いざとなれば場外乱闘に持ち込むことにして、誠は覚悟を決めて自称・神に居直った。

「えーっと、何がなんだか知らんけど、私はひじり 誠という名前だ。それ以外の名前で呼ばれても困るし、巨大頭蓋骨に突進されたり、光って浮かぶバレーボールがカミサマって言うぐらいだから前世云々ってのもあり得る話なのかも知れないけど、前世の私とやらに代わって言うなれば、死んだあとのことをぐちゃぐちゃ言われても困る」

 そして、まず何人だ。前世の私よ。

 という疑問は心の片隅に置いたが、自称・神はお見通しと言わんばかりに「イヴというのなお前の前世の名で、当時のお前はこの世界とは異なる世界の住人だった」と答えた。

「全く、でかい態度と性格は変わらんくせに、記憶がないとは……念のため準備をしておいて正解だったな」

 まるで駄目な子を見るような体で、自称・神はふわふわと誠の鞄付近に移動する。開けっ放しの鞄の中を覗き込むように、また軽く上下に揺れた。

「仕方ない、我が直々にもろもろ説明してやろう。ほれ、参考用に今日お前が渡された書を開け」

「渡された書ぉ?」

 自称・神の態度にいらっときていたのも相まって、思い切り胡乱げな声が出てしまう。

 自慢ではないが、誠は完全な置き勉派なので、鞄には基本的に教科書もノートも入っていない。

 しかし、言われて思い出したが、今日は思い当たる本が突っ込まれていた。

「……まさか、これ?」

「そうだ、それだ」

 自称・神が肯定するように大きく上下に揺れる。対して、誠が恐る恐る掲げた本のタイトルは『Hometown of tears~愛しのオンブラ~ 完全オフィシャルガイドブック』だ。

 表紙は、可愛らしい少女を囲むように複数人のイケメンがはべっているアニメイラストである。

 確かにこれは、本日学校で友人に渡された(正しくは布教のために押し付けられた)書ではある。しかし、転生、異世界というワードが飛び出し、これが参考図書になるとなれば――本能的にかなり嫌な予感がする。

 無駄かもしれないが抵抗はしておきたい。と、誠は一応、件の書とやらの説明をした。

「……詳しくない上にプレイもしてないからなんとも言えないけど、多分これは乙女ゲームと呼ばれるものの攻略本というか、資料とかが載ってる本なんだけど……?」

 ほんとにこれ? とは声に出さずに訊く。肯定されたくないという渾身の思いから、口が開かなかったとも言う。

 なんだ、これからこのゲームを購入してきてプレイしろとでも言うのか。

 それは嫌だ。とても面倒かつ金がかかるから嫌だ。誠はゲームをしない人種であり、複数人でプレイするパーティーゲームや格闘ゲームならいざ知らず、一人で黙々とやり込むタイプのRPG、さらに乙女ゲームなど完全に門外漢である。

 あからさまに嫌そうな顔を浮かべた誠など見えていないかのように、自称・神は「いいからちょっと開け」と命じた。

「ほら、もう少し先。そう、次のページだ」

 渋々言われたとおりに誠がページを開くと、自称・神が指定したのは登場人物の紹介ページだった。

 見開きで一人のキャラクターを紹介しているらしいページの表題は――やはりというかまさかというか「イヴァンジェリン・エインズワース」と書かれていた。

「……これが?」

「お前の前世だ」

 さも当然のように言われるが、誠は瞬時に「いやいやいやいや」と手を顔の前でぶんぶん振った。

「ゲームじゃん。これ、思い切りゲームじゃん。なんなら完全フィクション、ファンタジー物かつ去年出たゲームだよ。私、十七。このゲームよりかなり歳上なんだけど」

 せめて歴史ものだったら、まだ信じる余地はあった。

 そして友人がこの手のゲームに詳しいかつ、思わず誠が本を受け取ってしまうほどの圧で『Hometown of tears~愛しのオンブラ~』なるゲームを推してきたので、聞きかじり程度の知識なら脳内に残っている。

 このゲームは、いわゆる剣と魔法が物を言う世界で、聖女たる主人公が文字通り色とりどり数々のイケメンたちと魔物を倒し、艱難辛苦を乗り越えて愛を育むゲームだ。

 世界観は中世の西洋、貴族社会を匂わせているが、誠が知る限り中世の西洋に魔物が大量発生して、国の安全のために数人の若者が魔法で戦ったなどという歴史はない。

 このゲームが本当にあった事象を基に作られているというのなら、まだ魔法学校を舞台とした某大ヒット作が「実は一部ノンフィクションです」と言われたほうが頷く気になれる。

 ちなみに、ちらっと見た「イヴァンジェリン・エインズワース」の説明書きには、なんと『第一王子アレクシスの婚約者。闇魔法の使い手で、主人公を敵視する』と書かれていた。

 銀髪に桃色のハイライトが入った勝ち気そうな少女の横には、彼女の決め台詞なのか『庶民は下がってなさい』と大きな文字で入れられていた。

 闇魔法に主人公を敵視しているとくれば、もしかしなくてもこやつはライバルキャラクターとか悪役という奴ではないか。ああ、だから死んで今、私がいるとか?

 いや、それは別にこの際いいとして。

「残念ながら、人違いでは…?」

 もはや、キャパオーバーなどというレベルではない。

 ぜひとも人違いだったと言っていただきたいし、自称・神がこのキャラクターを誠の前世だと言って引かないのだとしたら、最初に言ったとおり終わったことだとして見逃していただきたい。

 この世界観を「はい、そうですか」と理解したところで、ごく普通の日本国民になっている現在の誠にどうしろとおっしゃるのか。

「まあまあまあまあ。ほら、本を見てピンとくるところはないか? ほら、この絵など中々当時の状況に忠実だぞ?」

「……ご存じないでしょーけど、この現代日本ではアニメイラストを見て『これ、私だわ!』って言う奴はヤベー奴って言われるんですが」

 おそらくそれは日本に限ったことではないが、それはさらに置いとくとして。

 友人曰く『スチル』と言われるイラストを見て、アルバムを見ているかのような反応を期待されても困る。

 思わず敬語になりつつ、誠がいよいよ『この自称・カミサマをどうやって穏便に追い出すか』と真剣に悩み始めると、自称・神はこともなげに爆弾発言を放り込んできた。

「お前に限っては何ら不思議なことはないぞ? 何せこのゲームは、私がこのような自体を想定して直々に天啓を用いて作らせたのだからな」

「はぁ!?」

「まず、お前が死ぬこと自体が我の世界ではイレギュラーだったし、異世界に転生するなど正直お前が初の事例だ。本来であれば、我の力で前世の記憶を戻すくらいわけないのだがな。こう、異世界に転生されてしまうと干渉できる範囲が狭まるらしい」

 そこで自称・神は考えた。物語風にしてごくごく自然に誠が前世の自分の記憶に向き合えるようにと。

「しかし、お前ときたら全くこの作品に興味を示さんではないか。どこまで神の裏をかけば気が済むのだ」

「それは生まれて早々陥った環境と、育った環境、ついでに元の素養に文句を言ってもらいたいんだが……」

 乳児院、養護施設と渡ってきて、幼児期はもちろん、小中学生のときは自分で自由にできる金銭など殆どないに等しかった。

 高校生になってからは施設の推奨に従う形でアルバイトをしているが、それらは携帯代やたまに買う衣服や消耗品、そして微々たるながらも貯蓄に回される。ゲームを買う余裕などどこにもないし、さらに言うなら現実でも恋愛に興味がない誠が、乙女ゲームを買う理由はない。

「我とてゲーム以外にもあれこれ手を尽くしたのだぞ。正直、お前の人生になぞらえた天啓を他者に下すなど最終手段だった。しかし、剣を取るように仕向けても、頭を強打させようとも、男女問わずにかしずかれようともお前は無反応だったから、まさかと思ってみれば……」

「ちょっと待て。あの小学生のときの頭の怪我も、やたらめったら他人に声をかけられんのも、あんたのせいか!?」

 今では髪の毛で隠れて全く見えないが、誠の頭にはそれなりに大きな怪我を負った痕がある。というのも、小学校のレクリエーションで男友達に混ざって、ロッククライミングもどきをしていたら、掴んでいた崖の一部が突如崩落したのだ。天性の瞬発力でなんとか一命を取り留めたものの、三日三晩病院で寝込んだ挙げ句に、しばらくベリーすぎるショートヘア――もとい坊主頭だったのだ。

 そして、誠は無意味に見ず知らずの他人から一方的に好意を寄せられることが多い。幼馴染や施設の人間はそうでもないのだが、中学生頃から急に、謎の信奉者が出来始めたのだ。

 今日のようにたまたま手助けした相手に礼を言われるならいざ知らず、入学して間もなく学校内に自分のファンクラブが出来るのは、正直かなり気味が悪い。

 思わず自称・神をむんずと掴んでがくがく揺さぶると、自称・神は「とはいえ我の干渉力は、この世界では僅かなものだ! 半分は自身の素養によるものだぞ!?」と言い張った。

 確かにロッククライミングもどきは、自分の不注意もあるかも知れない。しかし、ファンクラブ云々に関しては思い当たる節もないので、誠は乱暴に自称・神をぶん投げた。

「おまっ、神を投げるとは!!」

「人の意識を軽く操ることしかできん神が何をえらそーに。警戒して損したわ」

 要は本当に小さなことでしかこの自称・神は、この世界に干渉できないということか。

 となれば、これ以上下手に出る必要もなさそうである。

「まてっ!! 話は終わっとらん!!」

「わかったわかった、夕飯と風呂だけ済ませたら、じっくり聞いてやるわ。だからここで大人しく待ってろ」

 今日は悪党を二体も倒したのだ。

 いい加減空腹で限界だった誠は、相変わらず喚く自称・神を部屋に放置して、階下に向かった。

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