42年ぶりの再会
第24話 立会要請
「米河君、お呼び立てして済まないが、ちょっと、話に付合ってくれるか。ただ、今すぐ酒というわけにもいかんから、駅前のGホテルのラウンジで、話そう」
元養護施設くすのき学園児童指導員の日高淳氏は、知人の養護施設出身者である米河清治氏を呼び出していた。何でも、相談があるという。彼らはGホテルのラウンジに入った。平日の昼過ぎで、客はそれなりにいる。彼らは、コーヒーを注文した。
「どうした、ビールは飲まないのか?」
「勘弁してください。ここじゃ高すぎです。あとで駅前の立飲みに行きますよ」
「そうかな。あんた、最近、くしやわでも飲み放題をやめて焼酎のボトルを飲むだけにしているそうだが、じゃあ、ビールは、立飲みの中山酒店で飲んでいるというわけか?」
「ええ。あそこなら、大瓶でもほぼ原価です。ただ、キリンラガーかスーパードライしかないのは残念ですが。ヱビスビールがあれば、いいのですけど・・・」
「あんた、学生時代からヱビスビールとか、酒には、ぜいたくやなぁ・・・」
「ええ、酒と散髪と風呂には、金に糸目を付けぬが人生訓でして。あと、服と眼鏡はとことんこだわる。これが、私の人生を「ガッチリ!」にするコツなのであります」
「もうええ、わかった、わかった(苦笑)。それで、早速、相談じゃ。まあ、あんたにも悪い話じゃないから、ちょっと付合ってくれるか。どうせ締切り前の仕事は、全部昨日までに終わらせておるのだろう。取材を兼ねて、頼むわ」
日高氏は、用件をさっそく切り出した。
今回もまた、悪いが、わしがくすのき学園に勤めておった頃のことじゃ。
去年はわしのことを散々しゃべらせてもらったが、今日は、わしのことじゃない。
わしの元同僚で保母だった中元美香さんという方がおって、あのとき4年目で、わしと同時に結婚を理由に退職された。
その彼女が正味4か月ほど担当した子で、小田英一君という子がおってなぁ、あのとき満3歳で、あんたよりはいくらか年下の子じゃ。その子のお父さんって人に、先日お会いした。寿司屋の大将で、気さくなオッサンじゃ。確か昭和24年の早生まれと言っておって、わしより5学年ほど上の人になるな。
その人の店に、わしの校長時代の知合い何人かに連れられて、初めて入ったのだが、そこでなぁ、ひょんなことから、くすのき学園の話になってしもうたのよ。
わしが校長の頃、別の学校長をしとった、英語の古賀政男先生が、たまたま何かの拍子でわしに向かって言ったのよ。
「そりゃそうと、日高さん、あんた、くすのき学園って養護施設に、教員になる前に勤めておったことが、あったろう」
まあ、事実には違いないから、別に隠すこともない。
「ああ、あったよ。それで、古賀さん、何か、あるのか?」
「そのなぁ、ここの大将、小田さんっていう方じゃが、息子さんが二人おられて、上が英一君、下が真二君と言うのだが、その、英一君のほうが3歳ほど上なのだけど、その子が3歳の頃、4か月だけ、くすのき学園に預けていたことがあるって。いつ頃のことかと聞いていくと、どうも、あんたがおった時期と重なりゃせんかと思ってなぁ・・・」
とは言われたけど、君、わしは前にも言ったとおり、中高生男子の担当だったから、小さい男の子まで覚えてないぞ。でも確かに、わしが勤めとった時期と重なるのよ。
「じゃぁけど、古賀さん、わしゃ、その時期、中高生男子の担当じゃったから、小さい男の子のことまで、覚えてないぞ・・・」
「まあ、ちょっと聞いてくれるかな。その小田英一君って子じゃが、実は、わしがK中学におったことがあったでしょ、その時に、担任したのよ。中3のときの英一君を。中学の教師って、大体、3年サイクルで学年を担当するでしょ、それでナ、彼の卒業と入れ違いで入学してきた弟の真二君が中1の年と、それからその後中3の年にも担任したのよ。まあ、それだけとれば、別に、どうということはなかろう。よくある話のうちじゃ。それでなぁ、真二君が中3のときだったか、家庭訪問に行ったとき、ふと、古賀先生にお母さんがおっしゃったわけよ。『この子の兄の英一ですけど、3歳ぐらいの頃、くすのき学園という養護施設でお世話になりまして・・・』ってな」
なんでも彼らのお母さんは、その頃病気がちで、英一君をうまく育て切れておらなんだの。そこに加えて、下の子が生まれたわけよ。これではあまりに負担が重すぎるし、旦那さんもまだ店を出したばかりで、とても幼い子どもらの面倒を見切れないというので、しばらくの間、児童相談所を経由して、くすのき学園に英一君を預けた。そのときの担当だった保母さんが、中元美香先生という短大を出て4年目の人だった。彼女は、英一君の発育が遅れているのを熱心に面倒見て、トイレも、一人で行けていなかったのをきちんと行けるようにして、本当に頑張っておられた。言葉もいささか遅れが目立っておって、単語しか言えない状態から、少しずつしっかりした言葉がしゃべれるようになってきた。
そのうちに、お母さんのほうも体調を戻して、精神的にもしっかりしてきたからというので、正月明けに英一君を一度自宅に帰省させたの。かなりしっかりして来ていて、母親がずっと面倒を見切らなくても大丈夫なところまで来ていることが分かったから、程なくして、英一君を自宅に引取ったわけよ。それからは、その店の上の住居で、親子4人で生活して、子どもさんらは、もうすでに独立して二人とも結婚しておる。息子さんらはまだ二人とも40代じゃ。どちらも子どもはいるから、小田の親父さんにしてみれば、孫じゃ。ただ、お母さんのほうは、やっぱり病弱気味であったのもあって、去年、亡くなられてしまったってことよ。それでな、古賀さんが言うには、校長仲間に日高先生って人がおられて、その人、教員になる前にくすのき学園で児童指導員として勤めていたことがあると言っておられたから、ぜひ一度、お連れするという話になった。それで、古賀さんらと一緒に何人かで、小田さんの店に行ってきたってわけだ。H町の近辺の店じゃ。
君はほとんど行ったことがないようじゃから、ぜひ一度、行ってみないかな。
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