第11話 理念から生身の愛へ4 チョコレートケーキと紅茶
「三宅さんは、その後、どうされたのですか?」
ぼくの質問に、義男さんが答えた。
「稲田園長と伯父たちとの話合いの結果、職業訓練校の受験は中止して、伯父の会社の仕事を手伝うことになりました。大工仕事の手伝いもあるにはありましたが、私はまず、女性事務員から経理や資金繰りの仕事を教えられました。時には、営業の仕事に行くこともありました。中学出たてでは自動車の運転免許が取れませんので、バイクの免許を取って、あちこちの営業に回りました。高校生の年代の頃から、信金の営業マンのようなスタイルで動いていましたね。伯父の会社に入ったと同時に、岡山の通信制高校にも入学し、毎週日曜、スクーリングに通いました。あれは、いい思い出です。大検を受検しようとも考えましたが、高卒資格というわけではなく、大学などに行かないと意味を持たない資格でもあるし、何より、一発勝負の試験に立て続けに合格できるだけの勉強をする時間は、伯父に言えば何とかなったかもしれませんが、さすがに、気力が続きそうになかった。幸い、仕事も楽しくなってきましたし。そんなわけで、とにかく、通信制高校だけは確実に卒業できるようにしました」
「くすのき学園には、いつまでおられたのですか?」
たまきちゃんが、三宅さん夫妻に尋ねる。
「中3の3月末までです。その後、叔母夫婦の家に住込んで、仕事を始めました。実は、あの正月以降、くすのき学園でも、いろいろありましたからね」
「もう少し、そのことでお話させてください」
義男さんの言葉を制して、愛子さんが、話を続けてくださる。
正月休みが終わり、中3生は受験に向けて毎日勉強していました。義男君は通信制高校に行くことになったので、それほど勉強をする必要はなかったはずですが、とにかく、高校受験をする人たちと同じだけの勉強はしなければということで、最後の期末テストまでは、毎日夜遅くまで、勉強していました。私が宿直の日は、必ず、夜も勉強しました。
私の宿直日を、各務先生が機転を利かせて、義男君に秘かに教えてくれていました。表立って彼だけに特別な夜食を出したりしたわけではありませんが、それでも秘かに、なにがしかのお菓子などを出してあげたりしていました。
1月末頃、M中学では中3生の期末テストがあります。これで少しでもいい点を取ってやろうと思って、義男君は、いつになくしっかり勉強していました。
試験直前に迫ったある日、私は、義男君だけでなく、2人の中3の女子にも、私が買ってきたチョコレートケーキと紅茶を差入れました。
その日の宿直は、私と各務先生でした。この日私は、着物は着ていませんでした。それに、義男君だけでなく、他の子たちにも「平等に」夜食を出してあげました。各務先生は、そのくらいしてあげてもいいかな、みんな頑張っているし、時期も時期だしと、特に問題視されていませんでした。
それから2日ほど経った日の朝、私は園長室に呼ばれました。
「合田先生、おとといの当直の日、義男君と、それから中3の女子二人にも、ケーキと紅茶の夜食を差し入れたそうですね」
「はい。間違いありません」
「脇田先生が、女子の部屋で翌日にお皿とカップを見つけて、私に報告してきました」
脇田さんは、幼児担当の保母でした。正直、仲は良くなかった。
「何か問題でも?」
「あなたは、あの日、義男君だけでなく、他の女子児童にも、ケーキと紅茶を差し入れました。夜遅くまで勉強している子たちに対しての対応としては、一概に悪いとは言えません。ただ、脇田先生は、あなたが義男君だけに特別扱いをしていると言われるのが嫌だから、今度は3人みんなに出したのではないかと、言っていました。私は、そういうとり方はしたくありませんし、特にこの件でどうこう言うつもりもありません。ですが、私がこれから問題にするのは、あなたが、三宅義男君という男子児童に対して、どんな感情を持っているかということです。義男のことを、あなたはどう思っているのですか?」
「嫌いでは、ありません・・・」
あとは、言葉になりませんでした。稲田園長も、その日は、それ以上のことは聞きませんでした。後に稲田先生から、あんた、あの時泣いとったで、と言われましたが、涙を流していた記憶も、私にはありません。
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