理念の愛から生身の愛へ ~ 禁断の愛のゆくえ 完全版

第8話 理念の愛から生身の愛へ1 ~ 柔道の受け身

 この「理念の愛から生身の愛へ」シリーズは、××ラジオ代表大宮太郎氏と妻でアナウンサーのたまき氏が取材した記事を基に作成したものです。

 当シリーズ「禁断の愛のゆくえ」をさらに加筆していったものです。


 今、義男君が申上げた網戸の話ですけど、翌日、職員会議でそのことが早速、話題になりました。稲田園長から、あんたの担当の義男が、よう、言ってくれた。この暑いさなかに、冷房もないのに窓を閉め切って寝るとか、いくら大人でも、そんなことは無理だ。ここは法令上、児童を収容する施設かもしれんが、それでも、住んでいる子どもたちの「家」なんだ、その家をよくするのは、大人の役割ではないか。

 彼がそこまで言えたのも、合田先生、あなたがしっかりと子どもたちを見守ってくれているからです、とね。

 夫は、いえ、当時の義男君は、なかなか、しっかりした子でした。自分より小さい子どもたちの面倒もしっかり見てくれていたし、他の子どもたちからも、上級生からも、頼りにされる子でした。でも彼は、そのときまだ中2です。22歳の私からすれば、可愛らしい少年の一人に過ぎませんでした。でも、この件があってから、義男君に対する見方が、少しずつですけれども、変わってきたように思います。ゆっくりと、雪が解けて春になって流れていくような感触を味わっていました。そんな歌、あの年、流行りましたよね。


 その翌年、昭和52年は、キャンディーズの全盛期でした。アイドルの追っかけが社会現象になっていたちょうどその頃、私たちは、新年度の準備にいそしんでいました。養護施設の部屋割には、「縦割り」と「横割り」の二通りがあります。「縦割り」というのは、上から下まで、様々な年代の子どもたちを同じ部屋や寮に振り分ける方法で、「横割り」というのは、ほぼ同世代の子を同じ部屋に入れたり、あるいは男女自体を完全に寮ごとに振り分けたりするやり方です。私の担当をしている部屋では特に問題は起きていませんでしたが、全体的に、縦割りならではの問題がいくつか起きていました。例えば小学生と中学生、中学生と高校生では、生活リズムが違います。学校もありますからね。ですから、どうしても行き違いが起きてしまいがちです。その点、横割りで同世代の子どもたちを同じ場所に入れることにすれば、そのような行き違いはある程度回避されます。職員の立場としては、正直、その方がやりやすいところがありましたね。子どもたちにしても、その方が面倒もなくてよい半面、どうしてもそこだけで固まってしまうようなところが出てきます。縦割りと横割り、どちらもそれぞれ善し悪しがありますから、どの養護施設でも、そのどちらにするかで、毎年、模索していると聞いています。

 その年度は、義男君らの担当を離れ、小学生の女子児童の部屋の担当になりました。今度は、義男君の妹の愛美ちゃんたちを担当することになりました。担当を外れれば、それまで毎日のように接触していたのが、同じ施設内にいるにも拘らず、接触がほとんどなくなることも結構ありますが、妹の愛美ちゃんが私の担当になったこともあって、義男君との接触は、しばしばありました。義男君はその年、中3で、高校に行くべきか、それとも就職すべきか、それを選択しなければいけない時期に差し掛かっていました。彼はもともと賢い子でしたが、くすのき学園にいる間は、ほとんど勉強していなかった。ですから、学校の成績も、お世辞にはいいとは言えなかった。もともと、勉強できるような環境じゃなかったからだろうと言われればそれまでですが、それにしても、もう少し勉強すれば、彼の上の伯父さんのように大学、それも難関大学や国公立大学に、とまではいかないにしても、高校ぐらいは十分行けるのに、もったいないなと、私は思っていました。


 義男君は、M中学校の柔道部に入っていました。実は私も、中学まで柔道をしていました。柔道の大会が、7月にあると聞きました。6月のある土曜日の昼過ぎ、義男君に柔道の練習をしようと、私から持ちかけました。

 「義男君、今度の大会、がんばってよ。実は先生、中学まで柔道をしていたことがあるから、ちょっと、練習してみない?」

 別に下心があったわけではありません。

 「いいけど、どこでやる?」

 「この部屋で、やってみようよ」

 部屋には、他の男子中学生たちもいました。

 「え、ここで?」

 「いや?」

 「・・・」

 「いいから、みんな見ていて。じゃあ、義男君、やろう」

 他の子どもたちを部屋の端に座らせ、私たちは、畳の上で取組み合いを始めました。

 中3にもなっていて、しかも柔道をしている義男君の力は、思ったより強かった。

 程なく私は、義男君に技をかけられました。苦しいはずが、なぜか、それとは別の感覚が自分の体にほとばしっているのを感じました。義男君は、ただ淡々と、私に技をかけていただけだったはずですが・・・。

 たまたま兄に会うべくやってきた愛美ちゃんが、私たちが「柔道の練習」と称して何やらやっているのを見てビックリして、職員室に駆け込んでいったそうです。

義男君に技をかけられているそのとき、愛美ちゃんが稲田園長を連れてきました。

 「君たち、何をしている?」

 元校長先生らしい威厳ある声に、義男君と同級生の稔君が、稲田園長に答えました。

 「柔道の練習です。合田先生が、義男を誘って、練習をしていました。まあ見とけと言われて、ぼくら、見ていましたけど・・・」

 稲田園長は、私の顔を見て、唖然としていました。

 「合田先生、あなたは、義男君と柔道の練習をしていたのですね?」

 「はい」

 「いくつかお尋ねしますけど、お答えいただけますか?」

 「はい」

 「柔道という競技には、男女の区別はないのですか?」

 「男女で一緒に練習をしたことならあります」

 「そういう問題ではありません。競技として、性別不問の試合や大会があるのかと、聞いているのです。論点をすり替えないように」

 「ありません」

 「ないのですね」

 「はい」

 「いくら「練習」と称しても、こんなところで柔道の練習は、ないでしょう。しかも、義男君は中3です。力だけなら、あなたよりはるかについています。あなたは義男君を柔道で鍛え上げるだけの力を、持っているのですか?」

 「いえ・・・」

 「義男、柔道に熱心なのはいいが、おまえは、合田先生とこんな場所で練習と称してじゃれあって、そんなことで柔道の力が身に着くと思っているのか?」

 「・・・」

 「もういい。こんなところで柔道の練習と称して暴れるのは、おやめなさい」


 稲田園長は、その場を去っていきました。

 私はその日、住込みの自室で、悶々としていました。学生時代には、何人かの男性とお付合いしたこともあり、男性経験もいくらかはありました。しかし、今回ばかりは、そのときよりもはるかに複雑で、何とも言えない気持が湧き出てきました。

 義男君は、キャンディーズのファンでした。彼がくすのき学園に入所してきたのが1973年の9月でしたから、キャンディーズがデビューしたのと本当に同時期です。それから彼は、キャンディーズがアイドル歌手として活躍している間、ずっと、くすのき学園で過ごしていたのです。

 私は特にキャンディーズの歌を意識して聞いていたわけではありませんが、テレビで、彼女たち3人が歌うのをしばしば観ていましたから、どんな曲を彼女たちが歌っているのかはもちろん知っていました。

 「年下の男の子」って曲がありましたよね。

 宿直明けの翌日の昼、私はレコード店に行って、そのレコードを買ってきて、聞きました。その後何枚かのレコードを買って、私は、県北の自宅に戻った折にカセットテープにダビングして、くすのき学園の自室に持帰り、毎日のように聴いていました。


 義男君とは、その夏の間、特段の接触はありませんでした。彼には父方の叔母がいて、そこで夏の間、妹の愛美ちゃんと一緒に過ごしていました。しかし、2学期が始まる前にくすのき学園に戻ってくると、彼は稲田園長に勧められて、職業訓練校に行くための勉強を始めることになり、夜中に勉強する機会が増えました。私も、月に何日か宿直の勤務が入っていました。彼との接触が、また増えました。

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