第81話 幼馴染みの帰還
新しい季節を迎えて、俺は社会人としての生活をスタートさせた。
「本日付けで市場開発部に配属されました西です。一日でも早くみなさんのお力になれるように頑張りますので、よろしくお願いします」
研修を終えた俺たち新入社員は、各部に配属されて本日から本格的に始動することになった。
朝のミーティングで軽く挨拶をするが、先輩たちの視線は俺ではなくもう一人の新入社員に注がれていた。
オンザマユゲにオカッパロングとでも言うのか? 市松人形かよ! とツッコミたくなる容姿の同僚は見た目だけは完全なる大和撫子だった。
「京都から参りました京極織姫と申します。若輩者故、ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願い致します」
折り目正しくお辞儀をした同期……、いや、幼馴染み。あまりの展開に開いた口は塞がらない。しかも左隣の席だと? どんな嫌がらせだよ!
「うふふ。よろしくね、陣」
「お、おう」
本人はお淑やかを装ってるつもりなのだろう。席に座ったまま柔和な笑顔を向けてくる織姫は、他所行きに擬態した仮初の姿だった。
「西くん」
俺の右隣に座るのは入社3年目の
「あっ、ご挨拶が遅れてすみません。西です。本日よりお世話になります」
慌てて席を立ち挨拶すると、川地さんは右手をスッと差し出し握手を求めてきた。
「君の教育係りの川地だ。はじめのうちはわからないことだらけだ。恥ずかしいとは迷惑とか考えなくていいからなんでも聞いてくれ。よろしくな」
身長は俺よりも高く185センチくらいはありそうだ。身体つきもガッチリしていて格闘技が似合いそうな風貌だ。
「隣の京極さんも。君の教育係りは酒井だけど誰に聞いても問題ない。困ったことがあれば聞いてくれ」
さすがに女性には気楽に握手できないようで、軽く右手を上げて織姫に話しかける川地さん。
「京極です。そう言ってもらえると心強いです。いろいろとご指導よろしくお願いします」
織姫の教育係りは2年目の
「西くん。川地先輩が怖かったら私を頼ってくれていいからね」
織姫の影からひょこっと現れた酒井さんがウィンクしながら話しかけてくれた。
「はい。よろしくお願いします」
背後で川地さんが「おいおい」とツッコんでいるのを聞きながら、酒井さんに返事をすると、何を思ったのか織姫が突然、酒井さんに詰め寄る。
「先輩! 絶対に陣に惚れちゃだめですよ? いいですか? 絶対に、です!」
あまりの勢いに酒井さんは後退りながら頭をコクコクと動かした。
「え、ええ〜っと。ひょっとして2人は付き合ってるのかな?」
織姫をさけながら酒井さんは俺に向けて聞いてくるのでしっかりと否定を「付き合ってないですが、将来的には結婚するつもりです!」……する前に織姫が暴走した。
「戯言です。僕には他に将来を誓いあった彼女がいます。これはただの幼馴染みです」
こういうことははじめが肝心。
間違ったことを覚えてしまうと、訂正するのは難しい。
「京極さんの方はただの幼馴染みとは思ってないわけだ。まあ、仕事しにきてるわけだから程々に頼むよ」
川地さんは苦笑いをしているが、織姫の表情は至って真面目そのもの。
「大丈夫です。こっそりと愛を育んでいきますので温かく見守っていてください」
両手を頬に当て、照れくさそうに身体をクネクネさせる織姫。
「育まないし。 紫穂里と育んでる真っ最中だ」
出勤初日からこんな状況で、俺の今後を考えると頭が痛くなる。
♢♢♢♢♢
「えっ? 京極さんがいるの?」
その夜、一人暮らしを始めた俺の部屋で紫穂里と晩ご飯を食べながら昼間のことを話した。
俺の職場まで電車で20分。
紫穂里の家までは10分、俺の実家までは20分の距離にあるアパートの1室。久しぶりの紫穂里の手料理を堪能しているところだ。
越してきて4日目。
紫穂里が来たのは引っ越しの日以来、2回目。
実家に戻っている紫穂里は外泊を禁じられており、日付が変わるまでには帰らなければいけない。そこに寂しさはあるがその分、一緒にいる時間を大切に思っている。
「なんかパワーアップしたというか、自重することがなくなったというか。勘違いモードは不気味だけど、心配の必要はないぞ」
今日の織姫の言動を思い起こしてみても、紫穂里が心配するようなことはない。まあ、俺には厄介なことが増えるけどな。
「だから、さ」
テーブルを回り込み紫穂里の隣に行き抱き寄せる。
「心配するなよ。俺には紫穂里だけなんだからさ」
一瞬、驚いた表情をした紫穂里が目を閉じて頷く。
「うん。私が陣くんの彼女で、その……婚約者、だもんね」
最後の方の言葉は自信なさげで消え入るような声になってしまったが、もう少し堂々と言って欲しいなと苦笑いしてしまう。
「ちゃんと将来を誓いあった彼女がいるって言ってあるからな。大丈夫」
小さな身体を抱きしめながら背中をさする。
「なんか私、小さい子みたいじゃない? もう少し大人の扱いを要求します」
イタズラを思いついたような表情で見上げてくる
「んふっ! ちょっと予想に反して激しいよ? でも、うん。いまさら京極さん相手に心配することはないよね?」
実家にでも戻らない限り、織姫とは仕事以外で関わることはないだろう。
「あのね紫穂里。付き合い出してから今日までの俺の頑張りをもう少し評価して欲しいな。一応、紫穂里の隣にいられるようにって頑張ってきたつもりだぞ? いまさら紫穂里以外の女なんて考えられる訳ないだろ?」
だから朱音みたいな女性にだって目移りするようなことはなかった。
「うん。私だって陣くんの彼女にふさわしくなれるように頑張ってきたよ? 今はその、お、お嫁さんになれるように……頑張って、ます」
照れくさそうに笑う紫穂里だけど、そこにはプライベートだけの努力ではなく、仕事での努力も含んでいることを、俺はちゃんと理解しているはずだ。
「……早く、一緒に暮らしたいなぁ」
思わず呟いた俺を、バツが悪そうな表情で紫穂里は見てくる。
「ごめんね。結婚までは許してもらえなさそうなの」
最近の紫穂里の話を聞く限り、お母さんは結婚どころか交際まで反対しているのではないかと勘ぐってしまう。高校時代、俺たちの背中を押してくれてたのはお母さんだった。
そのお母さんが反対しているのなら、それは俺が見限られたということなのかもしれない。
♢♢♢♢♢
「ねぇ、陣。お昼一緒に行かない?」
最近では毎日の様に聞くフレーズだ。
「あ〜、わりぃな。さっきコンビニでパン買ってきたから」
「も〜! 同僚なんだからご飯くらい付き合ってくれてもいいと思うんだけど?」
お前の場合、一回付き合うと毎日付き合わされることになりそうだからな。
「あっ、西くん。金曜の夜に親睦会やろうと思うんだけど、予定どうかな?」
膨れっ面の織姫の影から、総務部に配属された同期の
「のりちゃん! 陣は女の子と一緒に飲みには行かないんだよ?」
お前が勝手に断るなよ。
「社会人は付き合いも大事だからたまには顔出さなきゃダメだよ」
社会人になるにつき
「そうなの? ひょっとして姫ちゃんも欠席かな? せっかくだから2人一緒に参加して欲しかったんだけどな」
その言葉を聞いた織姫の眉がピクッと動いた。
「し、仕方ないなぁ。陣のお目付役として一緒に参加しようかなぁ? ね、ねぇ陣。どうかな?」
縋るような表情で見上げてくる織姫。
「うん。お前は行ってこい。俺は……不参加だ」
さすがに
「なんでよ〜!」
織姫の叫び声がオフィス内に響き渡った。
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