第80話 かたち

「陣くん!」


 人垣をかき分けて朱音が駆け寄っきた。

 赤い着物に牡丹の花が描かれており、白袴が合わせることにより彼女の美しさを演出しているようだった。

 

「おう、お疲れ!」


 乱れた髪型を直してやると、少し照れながら「ありがとう」とお礼を言われた。


「謝恩会出ないって本当⁈ もう帰っちゃうの?」


 いつもは外向きにクールな表情をしてるのに、今日の朱音は周りに他人がいても人懐っこい表情をしている。


「サークルの追い出し会には出ただろ? 今日は紫穂里がお祝いしてくれるって言ってたし、研修はじまるまで、あまり時間ないしな」


 卒業式を終えた俺は、仲の良かった友人達に挨拶して帰ろうと講堂内をうろついているうちに、朱音に捕まってしまった。


 朱音とは最後に話そうと思ってたんだけどな。


「もう会えなくなるのに冷たい人ね」


 不満気に睨みつけてくる朱音だが、会えなくなるは言い過ぎだろ?


「お前だって地元帰るだろ? いつでも相手してやるから連絡してこいよ」


 地元の証券会社に就職することになった朱音は、一旦実家に戻り、貯金をしてから職場のそばで一人暮らしをしたいらしい。


「ほんとに? 言質とったからね?」


 そんなうれしそうな表情をされると、思わず罪悪感に苛まれてしまう。


「おう。……前みたいに3でまた出かけようぜ」


 卒業してからも2人っきりで会うのはなんとなく不味いような気がして、俺は無難なセリフで逃げてしまった。


 朱音の好意に気付けないほど鈍くはない。


「……3人で、ね。……うん、そうだね。しほちゃんにも連絡するね。……でも、さ。最後くらいお願い聞いてもらっていい?」


 申し訳なさそうに俺を見上げてくる朱音は意を決したように口を開いた。


「一緒に、お茶しよ? 最後に2人っきりで、ね」


「……いいぞ」


♢♢♢♢♢ 


 卒業式の後ということもあり、キャンパス内のカフェは混雑していた。


「席探してくるから人が少ないところで待ってろよ」


 綺麗に着飾った朱音を人混みの中に長時期いさせるのも忍びないので、席が見つかるまでは待機してもらうことにした。


 周りをキョロキョロしていると、窓際のテーブル席が空いたので朱音を呼び寄せた。


「ありがとう。なんかさぁ、陣くんって席取り名人だよね。探しに行ってもらうとさほど待つことなく見つけてくるもんね」


 俺自身、意識したことはなかったけどそうなのか?


「あまりうれしくない特殊能力だな。もっと役立つ能力が欲しかったわ」


 トレイに乗せてきたホットコーヒーを店員さながら朱音の前に置く。


「ありがとう。自然と給仕できるところも素敵よ」


 言葉通り受け取っていいのか? からかい半分の朱音に恭しく頭を下げる。


「お褒めに預かり光栄です」


 これからはこんなくだらないやり取りもなくなるんだろうなと思うと、少しセンチメンタルな気持ちになる。


「あ〜あ。卒業しちゃったね。一応成人はしてるけど学生のうちはまだ緊張感がないというか。これからはって言葉が重くのしかかってくるね。……陣くん、気をつけてね?」


「なんで俺に振ってくるんだよ。お前もだよ」


 まあ、言いたいことはわかってるけどな? 元からそのつもりだからいいんじゃないか?


「順番は……守ろうね」


「よ〜〜〜く、わかってるよ! 焦る気持ちがないとは言わないけど、紫穂里のお母さんにも何度も念押しされてるよ」


 だから尚更、バカな真似はできない。


「えっ? ……っと、そ、そうなんだ。もう結婚秒読み段階なんだと思ってた」


「……まっ、いろいろとな」


 はぐらかすように話題を変える。


「それより、お前はいつまでこっちにいるんだ? そろそろお前も研修は始まるだろ」


「うん。来週からだね。あっ! そう言えば織姫から連絡きた?」


 前のめりで聞いてくる朱音の圧力に思わず後退りながらもスマホを確認。昨日送られてきた最新のメッセージは明日、実家に戻ってくるという内容だった。


「明日、実家に戻ってくるらしいな。ちょうど俺とは入れ違いだな。って、これで良かったか?」


「えっ、と、違うんだけど、まあいいや。いずれわかるだろうから」


 朱音の言い方からあまりいい内容ではないような気がした。


「なんだよ、自分で話振っておきながら」


 コーヒーをひと口飲みながら朱音にジト目を向けた。


「いや、織姫から伝えてないのに私から伝えるのも違うかなって思って」


「ああ、それならしょうがないか」


「うん、そういうこと。それより昨日ね?———」


 朱音との大学での最後の話も特別な内容ではなく、いつもと変わらない他愛ないものだった。でも、それが心地よくて。ホッとできる時間を過ごすことができた。



「送ってこうか?」


 カフェを出た俺は謝恩会の会場まで送る提案をしたが「ううん」と首を横に振られた。


「ありがとうね。最後だし、電車に乗っていくよ。陣くんの車にはまた乗せてもらうからね」


「そうかよ。じゃあ、気をつけてな」


「陣くんこそ。運転気をつけてね」


 朱音が一歩近づき、手を伸ばして俺の胸に触れた。


「セクハラだぞ?」


「いいじゃない。逆はだめだけど。……陣くん?」


「ん」


 上目遣いで俺を見る朱音は何かを迷っているようだった。


「先に進むために……いいかな?」


 朱音にを言われる日がくるとは思ってなかったなぁ。でも、俺はそれを受け止めないといけない。


「ああ」


 居住まいを正して朱音と対峙する。


「好きよ、陣くん。あなたが、好き」


 真っ直ぐに向けらた言葉は、朱音に触れられている胸にドスンと突き刺さる。


「ありがとうな。お前の気持ちには応えられないけど、素直にうれしいし誇らしい」


「うん。ちゃんと断ってくれてありがとう。二股提案されたらどうしようかと思ったよ」


 朱音がいつものからかうような表情を向けてきた。


「ああ、その手があったか。じゃあお二号さんでも……」


 朱音のジト目が突き刺さり、そのあとが続けられない。


「な〜んて。陣くんにそんな甲斐性ないもんね。さ〜てと。私も職場で素敵な恋愛しようかな?」


 軽口を言ったあと、朱音は右手をスッと離して自分の胸に置き、キュッと目を閉じた。


「じゃあね」


「ああ。またな」


 駅に向かう朱音の背中を、俺は見えなくなるまで見送った。

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