第78話 雨

 ポツポツとフロントガラスを叩く雨粒は、一向に収まる様子もなく、ともすれば激しさを増すような空模様だ。


「止まねぇだろうなぁ」


 紫穂里がボストンバックを両手で大事そうに抱え、その隣にはお母さんが傘をさしてくれている。

 そういえばお母さん会うのはいつぶりだろうか? 記憶にあるのは紫穂里が実家に戻ってきたときに挨拶したのが最後かもしれない。


「おはよう。もうっ! せっかくの旅行なのに嫌な天気!」


 助手席に滑り込んできた紫穂里はやはり少し濡れてしまったらしく、ご機嫌ななめだ。


「おはよう。まあ、仕方ないさ。お母さん、おはようございます。娘さん、お借りしますね」


 助手席のドアを閉めて、挨拶するために少し窓を開けると、お母さんも少し屈んで隙間から覗き込んできた。


「おはよう西くん。雨女が一緒でごめんなさいね。それと、内定おめでとう。ワオンなんて大手じゃない。頑張ってね」


 この言葉をどう受けったらいいのか? お母さんの真意を測り知ることはできないが、俺は敢えてポジティブな意味に受け取ることにする。


『自分自身で頑張りなさい』と。


「ありがとうございます。期待に応えれるように頑張ります」


 そう。これはただの返事ではなく、俺からの決意表明だ。


『紫穂里にふさわしい男になります』と。


 お母さんは軽く頭を下げ「一言だけ」と前置きした上で俺に注意を促した。


「間違いだけは、ないようにね」


 その言葉をかけられるのは初めてのことではない。付き合い始めた高校時代。半同棲生活だった昨年。

 茶化すような声色でかけらてきたこの言葉が、今回は真剣味を帯びている。


「……はい」


♢♢♢♢♢


 東海北陸自動車道を走り目指すは岐阜県にある下呂市へ。

 やはり雨脚が弱まることはないのでスピードを控えて安全運転に徹する。


 隣の紫穂里は有料道路に入ってからも口数が少なく、その表情はいまにもこの空模様と同じになりそうだ。


 原因はさっきのお母さんの態度だろう。俺同様、お母さんの言葉を聞いた紫穂里は目を見開いて固まっていた。


 昨日の洗車で全ての窓にコーティングを施したので、雨粒は面白いようにガラスの上を走って視界をクリアにする。


「すげっ」


 思わず呟いた言葉に紫穂里も顔を上げて前を見つめる。


「……」


 やり場のない感情を持て余しているのだろう。紫穂里の目にはガラスの上を走る雨粒など見えてないかのようだ。


「……紫穂里、コーヒー取って」


 助手席の足元に置かれた保冷トートにはあらかじめ購入しておいた飲み物と、紫穂里がセレクトしたチョコ系のお菓子が入っている。


 差し出した左手はいつまでも空のままで、紫穂里の思考はどこか別のところへ行ってしまっていた。

 

 仕方ないか


 俺よりも物事を深刻に捉えてしまっている紫穂里を引き戻すために、少々粗療法だが効果的な手法を用いることにした。


「紫穂里」


 再度、名前を呼んだが反応がないため、左手を伸ばして「むにゅ」っと軽く掴んだ。


「……ふぇっ?」


 何度かにぎにぎしていると、やっと紫穂里から反応があったので、そのまま手を下げてシャツの裾を捲り、紫穂里の柔肌をスーッと撫でながら上に上げていくと、バッと手を止められた。


「……ちょっ! えっ、と? ど、どうしたの陣くん? さすがに運転中はだめ、だよ?」


 紫穂里にとっては突然のことだったようで、驚いてくれたようだ。


「何回呼んでも返事がなかったから、刺激を与えてみたんだよ」


 固いワイヤー部分から、そっと手を離すと申し訳なさそうに紫穂里が「ごめんね」と呟いた。


「いいよ。とりあえずコーヒーくれる?」

 

 紫穂里のごめんねが、どのことを指しているのかわからないが、せっかくの旅行を暗いままでなんて終わらせたくない。


「あっ……、はい」


 慌ててコーヒーを取り出した紫穂里が、ペットボトルのフタをキュッと捻ってから俺に手渡してくれた。


「んっ、サンキュ」


 一口飲んで紫穂里に手渡すとギャップをして保冷バックに戻した。


「うん。あの、陣くん……」


 俯き加減で言いづらそうに口ごもる紫穂里のためにも、先手を打って話を切り出した。


「うん。紫穂里の言いたいことは、なんとなくわかるよ。それに何とも思ってないと言えば嘘になる。でも、それと同時に俺自身が半人前の自覚もある。だから、俺は自分に付加価値をつけれるようにするよ。お母さんからすれば、俺はまだ紫穂里に相応しいと認められないんだろう。でもな? 諦める気はさらさらないからな? 絶対にお母さんにもお父さんにも、もちろん紫穂里にも認められるようになるから。だから、それまで待っててくれ」


 運転しながらだから紫穂里の表情を見ることはできないが、かえって良かったと思う。

 

 ちょっとクサい台詞。


 でもやっぱり認められたいし、諦めたくない。そして、紫穂里に余計な気を使わせたくない。

 これは2人の問題かもしれないが、俺がなんとかしなければならい問題だ。そうだよな? 俺が紫穂里の両親の求めるレベルに達してないのが原因なんだから。


「うん。……ごめんね陣くん。辛い思いさせて。私が両親から後継者に認めてもらえてればこんなことに……」


 紫穂里の言葉に思わず笑みが溢れる。


「えっ?」


 俺を見たのだろう。紫穂里は不思議そうな声を上げる。


「いや、似た者同士だなって。俺も自分が認められてればって思ってたんだよ。だからさ。……でも紫穂里。紫穂里が謝る必要はないぞ。これは俺たちの将来の問題だ。だから、2人で解決していこうな」


 助手席の紫穂里の頭に手を伸ばして頭を撫でた。


「うん。ごめ……、ありがとう、ね。私とのこと、しっかり考えてくれててうれしいよ」


「当たり前だけどな。……さあ、そろそろ切り替えようぜ。こんな天気でもせっかくの旅行だ。楽しまなきゃ」


 2人でいられる時間は有限だ。だからこそ一緒にいる時間は有意義なものにしたい。


「うん! ……あっ! でも、運転中にえっちなことはダメだよ? その、旅館着くまでは我慢、ね? お互いに」


 帰りの運転は慎重にと心に刻み込んだ。

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