第73話 夢のかたち
「えっと……、あの辺でどう?」
まばらな観客席に見える緑の集団。
手摺りに横断幕を括り付ける人や、フラッグを丁寧に立てかけている人たちを見ながら、全体が見渡せるコーナーフラッグ付近の席に腰を下す。
本日は磐田スタジアムに、磐田vs岐阜の試合観戦に来ている。参加メンバーは俺と紫穂里、朱音に京子さんと佐久間さんだ。
「なんか、この中で知ってる人が試合やるなんて違和感しかないよ」
京子さんは観客席を見渡しながら呟くように言った。
「でも選手権の決勝もトヨタだったじゃない?」
キョトンとした表情の紫穂里が、俺に同意を求めるように見つめてきたので、「う〜ん?」と考える素振りをした。
「まあ、雰囲気は違うよな。あんな熱狂的なサポーターはいなかったし」
俺は最前列で上半身裸で太鼓を叩いているサポーターを指差した。
「な〜に言ってるのよ西くん。ベンチにいたでしょ? 熱狂的なサポーターが」
京子さんが隣に座る紫穂里の顔を覗き込みながらニヤニヤ笑っている。
「な、なによ〜。ちゃんとみんなのマネージャーやってたじゃない」
京子さんの視線から逃げるようにピッチに目を向けた紫穂里が何かを見つけたようで、俺の袖をクイッと引っ張った。
「唐草くん、出てきたよ」
紫穂里の視線の先を追うと、アウェイ側からグレーのシャツに身を包んだ選手たちが現れた。
「前に行こう」
通路側にいた朱音が俺の袖を引っ張るので、みんなを促して最前列まで移動した。
『唐草! 唐草!』
太鼓の音と共に帯人に声援が送られる。
選手たちがサポーターの前にやってきて声援に応えている。もちろん、帯人もその中にいた。
「帯人!」
「唐草くん!」
マフラータオルを振り回して帯人を呼ぶと、こちらに気づいたらしく、不敵に笑い軽く手を挙げて応えた。
「いい顔つきしてたね」
手摺りに頬杖をつきながら感慨深く帯人の背中を見つめる朱音。彼女なりに思うところもあるのだろう。
高校卒業と同時に岐阜に加入した帯人は、高校時代同様、レジスタとしてプレーしていた。しかし、それはチーム事情でのポジションで、彼が活きる本来のポジションではなかった。
そのために、この2年は控えに甘んじていたが、今季より岐阜の監督に就任した元日本代表のカリオカ監督は、帯人にセカンドトップのポジションでプレーさせた。攻撃的なポジションになった帯人は、チーム内でのポジション争いを制し、ここまでレギュラーの座についている。
12節を迎えた現時点で8得点と結果も出している。
「さてさて解説の西さん。元相棒として最近の唐草選手の調子はどう見ますか?」
京子さんがパンフレットを丸めてマイクに見立てて質問してくる。
「え〜、そうですね。ここまで苦しいチーム事情でも得点に絡めてるのは彼自身の調子がいいからではないでしょうか? 最近はストイックにサッカーに打ち込んでるみたいだし、今季は結果にこだわってるみたいですしね」
帯人とはちょくちょくメッセージのやり取りはしている。
チームで控えに甘んじていたために、昨年のオリンピック代表を逃した帯人は、再来年開催されるワールドカップに出るために、肉体改造から取り組んでいるらしい。
「まあ、元々練習中は真面目だったからね。それ以外はチャラい部分もあったけどね」
京子さんが思い出し笑いを浮かべる一方、俺の隣に座る朱音は真剣な表情でピッチを見ている。
「どうした朱音。そんなに気になるか?」
俺の言葉にしばらく反応のなかった朱音の肩がピクッと震えて、俺を見つめてきた。
「あ! ごめん。なんて言った?」
どれだけ集中してたんだ? 話しかけてから3分は経ったぞ?
「いや、随分と集中して見てるなって思ってさ」
俺の指摘を聞いた朱音は、恥ずかしくなったのか、頬を掻きながら愛想笑いをしている。
「いや、ね? 私たちの中で一番に夢を叶えたでしょ? まあ、本人はカッコつけてまだ途中だぁとか言いそうだけど」
「まあ、あいつなら言いそうだよな」
「うん。でね? すごくいい表情してたじゃない? でもその裏には私たちじゃわからないくらいの苦労があったと思うよ? だからね? すごいなと思うと同時に遠くに行っちゃったなって思ったの」
朱音のその言葉には、羨望、焦燥感、期待感などの感情が込められていた。その気持ちはわからなくはない。少なからず俺だって抱いてる感情だ。
それでも、俺は将来に向けて牛歩並みには進めてるはずだ。
不意に紫穂里から腕をツンツン突かれる。
「陣くんもプロに憧れたりした? 唐草くんをうらやましいと思ったり、する?」
「そりゃ小さい頃はプロになれたらなって気持ちはあったよ。でも、自分にそこまでの才能はないと思ってたしね。それにいまの自分が幸せなのに、他人をうらやむ必要ないでしょ?」
紫穂里を抱き寄せて額に軽くキスをすると、不意打ちに対処できなかった紫穂里が珍しく真っ赤な顔になった。
「おっ! 久しぶりに照れてる紫穂里が見れた。最近じゃあ当たり前でうれしそうにするだけだもんな。もちろん、うれしいけどな」
紫穂里の顔を覗き込みながら言うと、両手で顔を掴まれ、勢いよくキスされた。
「お、お返しです! これくらい、全然問題ないんだからね!」
俺から距離を取りわざとらしくフイっと顔を背ける。私は不貞腐れてると言いたいらしい。
「こらこらバカップル。まだ試合前だから結構見られてるよ?」
ため息混じりに京子さんに指摘されるが、紫穂里は納得してないらしく、顔を背けたまま背中でぐりぐり押してくる。
「ほらほら、試合はじまるよ」
反対からは呆れた様子の朱音が袖を引っ張っきた。
『ピー』
スタジアムの大部分がサックスブルーに彩られた中、帯人は前線からプレッシャーをかけていく。帯人曰く、カリオカ監督はディフェンスができないフォワードは使わないらしい。こういうところはレジスタをしていた時の経験が活きてくる。
試合はホームの磐田がポゼッションを高めて試合を優位に進める。対する岐阜は少ない好機で鋭いカウンターを繰り出す。
『唐草! 唐草!』
得点ランキング上位に名を連ねる帯人に、サポーターも期待を寄せる。
「すごい声援ね」
紫穂里が岐阜サポーターで埋め尽くされた渡りを見渡しながら呟く。
「やっぱり期待値は高いからな」
サポーターからの期待値の高さからもわかるように、帯人へのマークは厳しい。
時折、反則スレスレのチャージを受けるが涼しい顔でやり過ごす帯人。高校時代ならシレっとやり返しているだろう。少しは成長……してなかった。同じマーカーに倒された際に偶然を装って肘鉄を喰らわせた。
「……ガキね」
朱音の辛辣なセリフに場が凍る。
試合は終盤、スコアレスドローの空気が流れる中、帯人が勝負に出た。
左サイドでボールを受けた帯人がライン側を駆け上がると、サポーター席から帯人の応援歌が流れる。
『帯〜人、カモン! カモン! カモン!
帯人カモン! カモン! カモン!』
この日一番の声援を受けた帯人はエンドラインからクライフターンで中央に侵入すると、飛び出してきたキーパーを嘲笑うかのようなチップキック。フワリと浮いたボールは懸命に伸ばしたキーパーの腕を通り越してゴールラインわ越えた。
『うおぉぉぉ〜!』
終盤のこの得点を守り切ったアウェイの岐阜が貴重な勝ち点3を奪った。
♢♢♢♢♢
帰りの車の中、運転中の俺のスマホが震えた。運転席と助手席の間に置いてあったので、紫穂里が「唐草くんからだよ」と言うと、後部座席から朱音の腕が伸びてきて、俺のスマホを奪っていった。
「こらっ!」
まあ、見られて困ることはないのだが、一応注意をしてみたが、予想通り意にも介さずに通話を押した。
「誰?」
『はっ?』
いつのまにかスピーカーに切り替えていたようで、車内に帯人の声が広がる。
「だから誰?」
『ああ、朱音かよ。陣は? って紫穂里ちゃんがでるならわかるけど、なんでお前が出るんだよ!』
「陣くんのものは私のもの。私のものは私のもの」
『ジャイアンかよ!』
「失礼ね。あなたのかわいい元カノよ?」
『かわいいって……、まあ、その、綺麗になったな』
照れてるような声色の帯人にイタズラを思いついたかのように朱音が笑う。
「ふふっ。別れて後悔しちゃった?」
ああ、なるほど。帯人はスピーカーになってることに気づいてないな。
『あ〜、まあ、そうだな。それくらい綺麗に———』
「お義兄さ〜ん。妹の彼氏が浮気してるわよ? どうする? 今から連絡しようか?」
帯人の話を遮り爆弾を投下する朱音。
「悪魔め」
俺の声が聞こえたのか、帯人の慌てた声が聞こえてきた。
『はっ? あっ! スピーカーにしてやがったな? ハメやがって!』
「あら、人聞きが悪い。しほちゃん。静に電話しようか?」
巻き添いを食らった紫穂里は苦笑いでその場をやり過ごした。
「はいはい。朱音もその辺にしといてやれよ。帯人お疲れさん。MOMもおめっとさん」
『おう! 応援きてくれてありがとうな。京子ちゃんも来てくれてただろ? 一緒にいるのか?』
「はいはい。いるわよ。久しぶりね唐草くん。後輩にプロがいるなんてお姉さん鼻高々よ」
あざとくウインクをしているが電話で伝わる訳がない。
『まだまだこんなのを自慢してくれるなよ? そうだな? フル代表に選ばれるくらいになったら自慢してくれよ』
ああ、こういう人間が上へといけるんだろうな。誰かが言ってたっけ?
満足すれば成長は止まる
夢を叶えた帯人はすでに新しい夢に向かって走り出している。
道は違えど目指す先にあるのは「理想の自分」だろう。
この後も他愛のない会話をしながら、俺たちは家路に着いた。
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