第66話 あるべき未来

「へぇ〜、じゃあ、つむつむは学童でバイトしてるんだ」


 久しぶりに会ったつむつむは、トレードマークだったツインテールをやめて、セミロングになっている。もう一つのトレードマークは……ボリュームアップしているんじゃないかな?


「は、はい。小学生の男の子くらいなら、だ、大丈夫ですので」


「でも、つむつむ来年から社会人でしょ? 保母さんとは言え男性職員も父兄もいるけど、大丈夫?」


 静と同じ短大で保母さんを目指している、つむつむ。いまだに男性恐怖症は治っていないようだ。


「が、頑張ります」


 胸の前でグッと拳を握るつむつむだが、やはり拳よりも、その後ろが気になる。


「ところでお兄ちゃん。今日は泊まって行く? ごはんどうしようか?」


「あっ、あの! せ、先輩と飲みに行きたい、です」


 ソファーから立ち上がり、期待の眼差しで俺を見つめてくる、つむつむ。


「いや、つむつむまだ19だろ」


 俺の記憶が確かならば、つむつむの誕生日は3月のはず。


「だ、大丈夫です。たぶん飲めます、よ?」


 あからさまに目を逸らすつむつむ。かろうじて罪の意識はあるようだ。


「つむつむ? 胸に手を置いて考えてみな?」


「ふぇっ? 胸に手を、ですか? 少し恥ずかしいですけど、せ、先輩なら」


 赤い顔で俺の隣に座ったつむつむは、両手をソファーにつけて、胸を突き出してきた。


「いやいや。自分の手を胸にだよ。俺がつむつむの胸に触ったら問題だよ?」


「わ、私は、全然問題じゃないです」


 しばらく会わないうちにいろいろポンコツ成長してしまったようで。俺はつむつむのこれからが少し心配になってきた。


「はいはい。問題だからね? それと静。明日もバイトだからすぐに帰るよ。今回は紫穂里を送ってきただけだから」


 つむつむの頭を撫でつつ、ソファーを立った俺の手を、つむつむはなかなか離してくれなかった。


♢♢♢♢♢


「お疲れ様でした」


 翌朝、バイトが終わり車に戻った俺がスマホの着信履歴を確認すると、10分前に紫穂里からの履歴が残っていた。


「紫穂里? おはよう」


『うん! おはよう陣くん。まだバイト中だった?』


「今、終わったよ。帰りの時間決まったの?」


 こちらに戻ってくる時、駅まで迎えに行くつもりでいたので、紫穂里から連絡してくれることになっていた。


『うん、実はもう名駅なんだ。あと1時間後ってところかな? 慌てなくていいからお迎えお願いね』


「了解」


 思わず笑みがこぼれる。

紫穂里のことだから用事が終わればすぐに帰ってくるだろうと思っていたけど、久しぶりの実家なんだから昼は過ぎると予想していたのに。


「仕方ないな」


 会いたい気持ちは俺も同じ。

行き先を変更して名駅へと急いだ。


♢♢♢♢♢


「陣くん!」


 新幹線の改札で待っていると、両手で鞄を持った紫穂里が足早に近づいてきた。


「お帰り」


 荷物を下に置き人目も憚らずはばからずに俺の胸に飛び込んでくる紫穂里。一晩離れていただけなのに、その温もりを懐かしく感じてしまう。


「えへへへ、ただいま。ひょっとしてバイトから直行してくれたの? 早く私に会いたいと思ってくれた?」


 俺の腕の中から見上げてくる紫穂里は、うれしさを隠しきれないほどの眩しい笑顔だった。


「直行。ごめんシャワー浴びてないから汗臭いよな」


 紫穂里の肩に手を置き、少し距離を取ろうとしたが、両手で腰をしっかりとホールドされていた。


「は・な・れ・な・い! もっとちゃんとギュッとして? あっ? なんならどこかでシャワー浴びていく? 一緒に」


 瞳を輝かせながらピタッと身体を密着させる紫穂里。魅力的なお誘いではあるが無駄遣いは厳禁だ。


「家まで我慢。0距離じゃ済まないから覚悟しておいてね?」


 冗談ぽく紫穂里に言うと、少し頬を赤らめて俺の胸に顔を埋めた。自分からはグイグイくるのに、受け身になると弱い部分は付き合い出した当初から変わらない。


「……えっち」


 紫穂里相手にならセクハラになることもない。そして、紫穂里だけにしかこんな風に思わない。

 

 人の行き交う駅構内。アナウンスや旅行にい行くのであろう団体客の話し声なども気にせずに、俺は腕の中の紫穂里にキスをした。


「続きは後で。とりあえず帰ろう」


「うん」

 

♢♢♢♢♢


 この時の紫穂里はいつもと様子が違った。端的に言うといつも以上の「甘えたさん」だった。


 いつもなら「恥ずかしいから」と言ってすぐに服を着るのに、俺の腕の中にいる紫穂里は生まれたままの姿でピッタリとくっついている。


 実家で何かあったな?


『いいことも悪いことも隠しごとはせずに、些細なことでも話してね』


 紫穂里と付き合った当初に交わした約束を、4年を経過したいまでも守っている。2人で分かち合おうね。ってこと。

 

 だから、実家で何かがあったのならば紫穂里のタイミングで話してくれる。俺はそれを待つだけでいい。その間、紫穂里が望むことは叶えてやるから。


「なぁ、紫穂里」


 視線を下げると「んっ?」という表情で見上げた紫穂里の顔が、ゆっくりと近づいてきた。目線を合わせて額をコツンとぶつけながら見つめ合う。


「ふふっ。いっぱい甘えちゃった」


「本当だな。でも、甘えてくれるのはうれしいよ?」


 額にチュッとキスをすると、すかさず首筋にキスをされた。


「見えるところにキスマークはやめてね?」


「むうっ! わかってるもん。でも陣くんは私の彼氏なんだからね。みんなにもいっぱいいっぱいアピールするんだから」


 かわいらしく口を尖らせた紫穂里は、それならばと俺の胸に吸い付いてきた。


「ふっふっ。くすぐったいよ」


「ふ〜んだ。私だけの特権なんだからやめません」


 こんなことばかり繰り返していたせいで、ベッドから出る頃にはすでに陽が傾いていた。


「あははは。やっちゃったね」


 昼ごはんを食べ損なった上に、冷蔵庫の中にロクな食材が入ってなかったので、近所のスーパーに歩いてやってきた。


「まあ、たまにはいいけどね? かわいい紫穂里を見れるのは眼福だよ」


 頬をかきながら苦笑いの紫穂里だが、反省する気はさらさらない。


「……子供できたら、こんなこともできないよ?」


 紫穂里の中では、俺との将来は当たり前のことになっているのだろう。それは俺も同じだ。大学を卒業し、就職して、紫穂里と結婚する。疑いようのない、俺たちの未来だ。


♢♢♢♢♢


「ごちそうさま」


思いがけずに遅い時間になってしまったので、夕食は弁当を買って食べた。


「ごめんね、陣くん。朝、バイトしてきてるのにしっかりとしたもの食べさせてあげれなくて」


 申し訳なさそうにする紫穂里を膝の上に座らせて後ろから抱きしめる。


「毎日、頑張ってくれてるんだから、たまには手抜きでいいんだよ?」


 抱きしめている俺の手を、紫穂里は愛おしそうに包み込んでくれた。


「うん。……あの、ね、陣くん」


 なにかを言い淀んでいだ紫穂里が、意を決したように俺と向き合う。その表情から、あまりいい話ではないことが容易にわかった。


「うん」


 紫穂里の手を握り、次の言葉を待つ。


「……お見合い、しろって言われた、の」

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