第64話 こらっ!

「陣くん? 陣くん?」


「ん〜?」


 まどろみの中、紫穂里の声が聞こえる。


「そろそろ起きて!」


「ごめん、紫穂里。もう少しだけ。昨日……今朝までレポート書いてたんだ……」


 再び睡魔に襲われた俺の頭を、紫穂里がポカッと叩く。


「もうっ! 知ってる? そのレポートの提出期限午前中でしょ? 早く大学行かないと単位落とすよ!」


 その言葉にハッとして無理やり目を開けると、紫穂里がベッドの横で両手を腰に当てて俺を覗き込んでいる。


「かわいい」


 その姿が可愛すぎて、思わずベッドに引き込んだ。


「ふぇぇ〜! も、ちょっと陣くん! 朝からダメだよ! 時間もない、んっ!」


 騒がしい紫穂里の口を物理的に塞いでそのまま抱き寄せる。もぞもぞと動いてる紫穂里のシャツの中に手を入れて肌に触れた瞬間、今度は頬を力一杯つねられた。


「こらっ! いい加減にしなさい! そういうのは大学行ってから! って言っても大学でって訳じゃないからね?」


♢♢♢♢♢


「はい、西くんご苦労様」


 教授にレポートを提出した俺はキャンパス内のカフェに向かった。


「あっ! 陣くんこっち」


 先にきていた紫穂里が手を振っている。


「お待たせ。それにしてもいまどきペーパーで出せっておかしくない? それも手書きだぞ?」


 他の教授ならメールで送って終わりだっていうのに、経済学の室岡むろおか教授は手書きのレポートにこだわっている。


「あはははは。おじいちゃんだからパソコンは苦手なんだって。私も去年苦労したけど講義はわかりやすいから、意外と人気なんだよ?」


「まあね。今季は応募多数で抽選だったからな」


 話好きで有名な室岡教授の講義はわかりやすいんだけど、話が脱線しがちで去年は夏休みに補講をしなきゃいけない事態に陥ったそうだ。と、目の前の先輩に聞いた。


「ところで陣くん。誰かさんのせいで朝ごはん遅くなっちゃったけど、お昼はどうする?」


 テーブルに片肘つきながらニコニコと俺を見ている紫穂里。これは少し怒ってらっしゃるようで。


 紫穂里と付き合い出して4年。


 将来、父親の会社を引き継ぐために経営学部に入学した紫穂里を追う形で、俺も隣県の濃尾のうび大学の商学部に入学した。 

 現在は大学から車で20分のアパートで一人暮らし……まあ、紫穂里が毎日のように寝泊りしてるので半同棲と言ったところかな?


「学食で食べてく? それともどこか食べに行くか?」


 お目当てのお店でもあるのだろう?

 

「食べるの? さっき食べたのに? それより陣くん。私、明日から実家に行くんだけど?」


 知ってるよ? だからバイト休みにしたんだろ?


『あかいろトマトの宅配便』という全国でも有数の運送会社で俺は荷物の仕分け、紫穂里は事務のバイトをしている。


「だな。あっ、送ってけってことか? 出発遅らせてくれるなら送るぞ。久しぶりにドライブデートできるしな」


「うん! やった! ってそれも有り難くお受けしますけどね? そうじゃなくて! レポート出しにきただけなんだから早く帰ってさっきの続きしようってことだよ?」


 テーブルの上の俺の手を握ると、上目遣いでみつめてくる。

 やれやれと思いながらも素早くキスをする。


「まっ、帰るか」


「うんっ!」


 頬をかきながら紫穂里の手を握り立ち上がると、目の前に小さな壁が立ち塞がっていた。


「また、こんなところでイチャイチャして〜。しかもサークルサボって帰ろうとしないでくれる?」


 綺麗な金髪に……、いや、根本が黒くなっているなぁ。黒縁のメガネに胸を張っているのもわからないくらいに控えめなサイズのバストの女性が行手を阻む。


「きょうちゃん、どいて! 明日からの帰省のために私は早く陣くん成分を補給しなきゃだめなの!」


 商学部4年の冴島京子先輩。高校時代からの紫穂里の同級生で、元栄北高校サッカー部マネージャー。現在は俺と紫穂里が所属するフットサルサークル『rouletteルーレット』の副代表だ。

 このサークルはエンジョイ系でミックスの大会にもよく参加している。その際には紫穂里も京子さんもプレイヤーとして参加している。


「しーちゃん? 西くんと付き合い出してから自重出来なくなってるよ? 大丈夫?」


 先輩ながら失礼な人だ。付き合う前から人前でもくっついたりと紫穂里に自重という言葉は当てはまらないぞ?


「仕方ないじゃない! 1分1秒たりと離れたくないんだもん。大学初年度の遠距離がどれだけ辛かったか、きょうちゃんだって知ってるでしょ?」


 顔を歪め、辛そうな表情をする京子さん。気持ちは痛いほどわかりますし、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 高校卒業と同時に免許を取得した京子さんは、ガソリン代と高速代を払うからと毎週末、紫穂里を実家まで送ってくれていた。


「よく、覚えてるよ? そののこと」


 せめて、早く忘れて欲しいと……、そんな目で俺を見ないで。

 紫穂里には何を言っても仕方ないと悟った京子さんが俺を睨み付けてくる。


「そ、それはそうと、京子さん。俺たちはメシ食いに行ってくるので、また後で……」


 紫穂里の手を引いて京子さんの横をすり抜けようとすると、紫穂里が急ブレーキ。どうやら京子さんに腕を掴まれたらしい。


「はぁっ、仕方ないですね。ここでイチャイチャするので待っててもらえますか?」


 紫穂里の腰を抱き寄せ、額をコツンとぶつける。目が合うと幸せそうに紫穂里が微笑んでくれた。


「紫穂里」


「陣くん」


 数センチ顔を動かせばそこには紫穂里の魅惑の唇が待っている。


「だ・か・ら! カフェ内でイチャイチャしないの! 注文がブラックばっかりになるでしょ!」


「やれやれ。注文の多い客だ」


 少しオーバーにため息をつくと、京子さんのハンドバッグが飛んできた。


「っぶね! 佐久間さんに言いつけますよ! 京子さんが後輩いじめてるって」


 すんでのところで躱すと彼氏に言いつけると警告。

 roulette代表、佐久間剛士さくまつよしさんは京子さんがゾッコンの彼氏だ。


「ちょっ! つ、つーくんは関係な……くはないけど、サボろうとした2人が悪いんでしょ!」


 紫穂里と顔を見合わせ肩を竦めるすくめる


「「2人の時間が大事」」


 紫穂里の頬を撫でるとくすぐったそうに目を細める。こんな表情を見れるのは俺だけの特権だ。他の奴らに見せるのはもったいない。


「も、もういいかな、きょうちゃん。さすがに私もこんなところで脱ぎたくないんだけど」


 我慢できなくなってきた紫穂里がギュッと抱きついてくる。


「さ、さすがに家まで我慢しような。と、いう訳で京子さん……」

「なにが、という訳でだ」


「つ、つーくん!」


「げっ」


「お前、さすがにげっはないだろ」


 紫穂里を抱き寄せたまま逃げようとしたところに今度は高い壁が現れた。


「も〜、佐久間くんまで邪魔しないで。私はこれから明日の帰省に備えて陣くん補給をするので帰ります」


 俺の左脇からヒョコっと顔を出した紫穂里が佐久間さんにかわいらしく敬礼しながら言い放った。


「待て待て2人とも。前々から今日の新歓は出てくれとお願いしてあっただろ?」


「前々からお断りしてましたよね? 原則飲み会は不参加です」


 行きたい気持ちがない訳ではないんだけどね? 行った後がヤバいんですよ。紫穂里が。もうね? ずっと甘えてくるんですよ。ずっと。男同士で行ったとしても「……かわいいバイトの子、いなかった?」って。

 

 紫穂里よりかわいい子なんていないのにな。

 一緒に参加? 周りがね嫌がるんですよ。


『2人だけの世界にするな!』

『うぅぅ、いつまでたっても彼女ができないっていうのに』

『ちっ! イチャイチャしやがって! うらやましいから私も彼氏のとこに行く!』


 『飲み会クラッシャー』

 

 なんて異名までつけられてるんだから行くわけないでしょ?


「いや、それでもな? 新歓ってのはサークルにとって一番大事なイベントな訳だ。特に有松には新入生獲得にぜひとも協力して欲しいんだよ」


 パンと両手を合わせて紫穂里にお願いする佐久間さんを、俺と紫穂里は白い目で見る。


「まさか……、紫穂里を客寄せパンダにするつもりじゃないっすよね?」


 俺の冷たい声にビクっと肩を震わす佐久間さん。


「い、いや。そこはほらっ。サークルメンバーとしてだな?」


「目が泳いでますよ?」


  紫穂里も白けた顔で……、惚けた顔で俺の背中に張り付いてるな。


「はいっ! 話は終わりです。無駄な時間を取られたので家まで我慢できません! よって車からイチャイチャします! それじゃあ、きょうちゃん、佐久間くん、またね!」


 両手でグイグイと俺を引っ張る紫穂里は潤んだ瞳で俺を見つめてきた。

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