第63話 届いたよ
控え室に戻ると重苦しい雰囲気に包まれた。もっとも点が入りやすい最初の5分と最後の5分。その両方で失点してしまったのはキツい。
「おいっ、まだ半分終わったばかりだぞ」
静寂に包まれていた控え室に監督の声が響いた。自然とみんなの視線が集まる。
「下を向くのはやめろ。ハーフで3点だ。なあ唐草、お前のハットで逆転だぞ?」
「ふぅ〜」とため息をついた後、帯人は監督に笑顔でサムズアップをした。
「後半やることは明確だ。前半サボってたヤツはしっかり働けよ」
監督は俺と帯人を見て笑う。2失点は一応、最悪の想定内だ。前半は左サイド中心に攻め、宮町に東野の裏を狙わせるように長い距離を走らせた。どこまで効果があるかはわからないが、こっちの余力は十分だ。
「はい、陣くん」
紫穂里からレモンの蜂蜜漬けをもらい口に入れる。
「サンキュー」
笑顔で応えてくれた紫穂里は、みんなに声をかけて回り始めた。
「陣」
帯人に呼ばれたので近づいていくと、何かを思いついたようで下卑た笑みを浮かべていた。
「なんだよキモいな」
「うっせいよ。それよりもいいこと思いついたから耳貸せよ」
♢♢♢♢♢
『ピー』
後半は俺たちのキックオフでスタート。ゆっくりとしたボール回しで相手の出方を伺うが、2点のリードをしているので無理にボールを取りに来ることもしない。
チラリと帯人を見ると周りをじっくりと見渡しながら徐々にラインを上げていく。
俺はハーフラインまで上がると南雲先輩にボールを要求する。
「先輩!」
右サイドでボールを受けた俺はゆっくりと中央へ侵入。コンパクトになっている相手守備陣を確認するとすかさず強めのバックパス。
『ドンッ!』
直後、背後から相手ゴールに向けて帯人のロングシュートが放たれた。
キーパーはオフサイドトラップを意識して最終ラインとの距離を詰めていたために、ペナルティエリア中央付近に陣取っていた。
「! 甘い!」
バックステップで賢明に伸ばした指先に当たったボールはポストに阻まれ、ゴール前に……いや、下田の前にポトリと落ちた。
「にははは。ナイスパスだぜ」
キーパーを嘲笑うかのようにインサイドで流し込み、1点を返すことに成功した。
まあ、当初の予定では宮町のように帯人がロングシュートを決める予定だったんだけどな。ディフェンダー陣がロングシュートに呆気に取られていたおかげで、下田がゴール前でフリーになれたんだけどな。
「さすがごっつぁんゴーラーだぜ!」
小さな下田がみんなに揉みくちゃにされながら祝福されている。
時間は後半12分。相手としても守りに入るには早い時間だ。
「時間はまだ十分にあるからな! 焦らず組み立てて行くぞ」
さっきのような奇襲攻撃が何度も通用するような相手ではないだろう。
リスタートしてからの愛和高校はゆっくりとしたボール回しで、俺たちが前がかりになるのを狙っているようだ。
一瞬の隙をついて宮町が飛び出してくるだろう。静かな展開ながら中盤では激しい削り合いが行われているようだ。
「の、やろう!」
帯人の罵声の後、俺はものすごい勢いのパスを受けると、そのままサイドラインを駆け上がった。
前川先輩には体格差で勝るディフェンダーがマンツーマンでつき、先程のゴールで警戒された下田にもしっかりとマークがついていた。
そうなるとパスを出す先は決まってくる。中央に短いパスを出すと、後方から走り込んできた帯人がドリブルを開始。フットサルのように足裏も駆使しながら相手ゴールに迫るが、さすがに単独突破は難しく、ペナルティエリアへの侵入は許されなかった。
「ちっ!陣」
右後方でサポートしていた俺にボールを渡した帯人はゆっくりと前線へと向かっていく。時間は刻刻と過ぎていく。
仕方ない。前半抑えていた分、走るか。
南雲先輩に縦パスを入れた俺はそのまま、先輩を追い越して前線に駆け上が……らずに中央に切り込んでいく。
南雲先輩から植田先輩、そして左サイドの東野に渡ったところで、帯人が左サイドに流れてボールを要求。
チラッと時計を見ると、いつの間にか残り時間は僅か。俺のマーカーにはエースの宮町がついてきた。
一旦外に膨らんだ俺は、帯人が前を向いた時点でゴール前に猛ダッシュ。たぶん、これがラストプレーになるだろう。
背後から迫る宮町のプレッシャーを感じながらも帯人からシュート性のパスがゴール前に送られる。
「くっ!」
滑り込みながら賢明に伸ばした右足は、僅かにボールに届かず。
ボールがラインを割ったところでホイッスルが吹かれた。
『ピー、ピー、ピー』
♢♢♢♢♢
『準優勝、私立栄北高等学校』
グラウンドに整列しているみんなを、涙を堪えながら見つめる。この光景はもう見れない。だから、しっかりと目に焼き付けておかなきゃ。
中西くんが前に出て賞状を受け取る。
3年間一緒にやってきた仲間。悔しい思いをしてるのは私でもよくわかる。
準優勝は学校としても快挙。それでも、次のステージを目指していた私たちには満足できるものではない。それはもちろん3年生のみならず後輩たちも……。
陣くんは俯いたまま顔を上げれない。ラストプレーを悔やんでいるのかもしれないけれど、あれはミスじゃない。だから責任を感じる必要なんてないんだよ?
表彰式が終わり控え室に戻るとベンチ入りできなかった同級生と後輩マネージャーたちが集まっていた。表情はみな冴えない。
「……みんな、お疲れ様。結果は残念だが恥じることは何一つない。ここまでこれたのはお前の努力の賜物だ。だから……下を向くのはやめろ」
監督がみんなに労いの言葉をかける。時折、言葉が震えているのは先生も堪えているから。この3年間、先生がどれだけみんなのために頑張ってきてくれてたかを、1番近くで見てきたのは、たぶん私。だから、先生だって悔しい気持ちを押し殺しているのはよくわかる。
「3年生。中西と有松を中心によく頑張ってくれたな。お前たちの思いは後輩たちが引き継いでくれるだろう。とりあえずは……お疲れ様」
その言葉を聞いた瞬間、堪えきれずに涙が溢れてきてしまい、顔を両手で覆った。これ以上は我慢できなかった。
「しーちゃん……」
同じ3年生マネージャーの
「うぅぅ、きょうちゃん……」
すすり泣く声が控え室の所々から聞こえてきた。
♢♢♢♢♢
スタジアムからバスで学校に戻った俺たちは、ショートミーティングの後、解散となった。
さっきまでの興奮が嘘のように静まり返った街の中、いつものように紫穂里と並んで歩いていた。
「……ごめんな、紫穂里。全国連れて行けれなくて」
今まで、紫穂里には何度も『全国に連れて行ってね』と言われてきた。きっと発奮材料として言っていたのだろうけど、そこには本音も混じっていた筈だ。その証拠に、紫穂里の瞳は涙の跡が残っている。
「……みんな、頑張ってたのは知ってるよ? だから謝らないで? 陣くんも頑張ってた。後悔してるかもしれないけどね? それでも私はいっぱい褒めてあげたいな」
トンと身体をぶつけてきた紫穂里は、少し背伸びをして俺の頭を撫でてきた。
「エライエライ、よく頑張りました」
「……バカにしてる?」
わざと明るく振る舞ってくれてるのがわかるからこそ、俺も同じように明るく返した。
「本音だよ? でもね陣くん。もう一つ頑張ることがないかな? 人によっては不謹慎だとか思うかも知れないけどね? 私は悲しみをよろこびで上書きして欲しい、な?」
両手で腰に抱きつく紫穂里が上目遣いでアピールしてくる。
「まあ、負けたら落ち込んでなきゃいけないってルールはないけどね? こんな道端でするの?」
「場所はどこでもいいの。大事なのは言葉で伝えること、だよ?」
胸に顔を埋めて紫穂里はじっと何かを待っている。
「まあ、そうだね」
肩を抱くと、紫穂里はビクッと顔を上げた。身を屈めて柔らかい唇に唇を重ねる。
「……好きだよ紫穂里。付き合ってくれる?」
真っ直ぐ俺に向いている瞳が涙で潤んできた。
「……はい。私も、大好き」
再び重ねた唇は、いつまでも離したくないと思うほど柔らかかった。
「ちゃんと、届いたかな?」
試合では届かなかったから……
「……届いたよ」
紫穂里への……想い
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