番外編 夫に猫を被るワケ⑭

「旦那さまはお仕事に真摯です、決して先ほど閣下が述べられたようなことはありません。事実無根ですわ!」


仁王立ちのままびしりと言い切るが、目から涙が次々と溢れ出しているのがわかる。

恰好がつかないのはよくわかっているけれど、悔しくて仕方がない。


「あ、アイリシア…?」


茫然と名前を呼ばれ、くるりと顔を横に向けて睨みつける。


黒髪の美丈夫が困惑したようにアイリシアを見ているが、今はその紫紺の神秘的な瞳に映っているとわかっていてもちっとも怖くはない。

恥ずかしいとかそんな感情も吹っ飛んで、悔しさに眩暈がしそうだ。


鋭く睨みつければ、はっとジルクリフが息を呑んだのがわかった。


「旦那さまも! 部下の方もひいては騎士さまが侮辱されているのだから、きちんと怒ってくださいませっ」

「…すみません」


大の男が年下の妻に叱られて、衒いもなく謝っている。

素直な様子に、思わず心の片隅で感心してしまうが、やはり怒りに似た悔しさは治まらない。


「いや、それは悪かった…反省するから。とにかく、あの、アイリシア、呪いは大丈夫なのか?」

「今はそんな話ではありません!」


自分の異なる色の瞳が呪いを受ける話など、今優先すべきことではない。

この国を守る騎士が、誇るべき方たちが侮辱されたことに比べれば些末だ。


ジルクリフは、だが言いづらそうにまだ口を開く。


「いや、俺は被り物が脱げたら死ぬ呪いだって聞いていたんだが…?」


被り物?

被り物とはなんだったか、ときょとんと瞬く。


「え、被り物、ですか? え、あれ? そういえば、私———きゃああああああっっっっつ!!!」


アイリシアは顔に両手をあててペタペタと触り、それが素肌だと知ると一瞬にして真っ赤になった。


被り物がない!


そういえば、さっき怒りに任せて放り投げてしまった。

というか、被り物を被った妻がジルクリフが馬鹿にされた原因だと思って、何も考えずに反射的に脱いでしまったのだ。


つまり、今、自分はジルクリフに素顔を晒しているのだ。


二色の異なる瞳を彼に向けている!


目まぐるしく回転する頭で、そのまま悲鳴をあげて会場を逃げ出した。

走るのは得意ではないけれど、今はそんなことを言っていられない。


会場を飛び出して、人気のない方へとひたすら向かう。

頭の中ではやってしまった、と後悔しかない。


あんなに隠していたのに、知られてしまった。

もともとは猫の被り物で左右の瞳の色が違うことに慣れてもらってから明かすはずだった。彼が瞳に慣れてくる時間をかければ、自分も彼に慣れるだろうと考えていたからだ。

だが全然アイリシアはジルクリフに慣れることはなく、心臓はドキドキするし被り物なしで隣に立つことなど恥ずかしくてとてもできそうにない。


アイグラムにも話したけれど、意気地のない自分が本当に嫌になる。


なのに、慣れる前に瞳の呪いのことがばれてしまったのだ。

完全に夫から嫌われてしまったに違いない。

呪いを隠していた愚かな妻だと軽蔑されるだろう。

ジルクリフは嘘つきが嫌いだと聞いている。

彼が人間嫌いなのは嘘をつくからだ。建前と本音を感じてしまう鋭い感性が、人と接していると疲弊してしまうのだろうと彼の親友である国王はアイリシアに説明してくれた。

だからこそ被り物を被れば、彼は表情を読むことができなくなるので安心感を与えるだろうと太鼓判を押して勧めてくれたのだが。


浅ましい想いを彼に気づかれてしまっただろう。


人気のない方へ向かって進めば、王宮の中庭にやってきていた。

中庭には真ん中に噴水と小さな東屋がある。舞踏会も始まっていない刻限に中庭を利用する者もいない。


アイリシアは噴水の縁に腰かけると、俯きながら静かに涙をこぼすのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る