公然の秘密

御茶ノ水 公彦

第一編 本当の私

やる気のなさそうなアナウンスが流れる。少しこもっており、また雑音も聞こえる。肝心な次の駅の名前を聞き逃してしまった。




「まぁ、いい、どうせ駅が近くなったらまた流れる。もしくは、電工掲示板にも書いてある。」そう思っていると隅の方で何か鈍い音が響いた。




目を物音がした方にやると、男が1人倒れていた。周りも私の真似をするように倒れた男に目をやるが状況を理解するやいなやまた自分の世界にもどっていった。無論私もそうした。会社に送らなければならないメールを打っているのだから。




メールを送り終わると先程と同じようなやる気のなさそえなアナウンスが流れだした。




目的の駅にそろそろ着くので私は座席からたった。その時なぜか周りからの視線が多かった気がした。だか、そんなことは気にせず私は電車から降りたのであった。




――――――――――――――――――――




翌日、会社に行く準備をしていると、突然数名の警官が私の家を訪ねてきた。話を聞いてが、なんの心当たりもなかったので帰ってもらうための言い訳でも考えていた。




「あなた昨日の午後15時30分頃、◯◯線に乗っていましたよね?」


「確かにそうですが……」


「そこで何か変わったことはありませんでしたか? 例えば事故があったとか、あるいは人が倒れたとか。」と警察は何か意味ありげに言ってきた。




そこで私は昨日、電車内で男が倒れていたことを思い出した。そしてすぐさま


「そうです。そうです。そういえば昨日、電車のなかで男が一人倒れていたんです。仕事のメールを打っていたので気にしていませんでしたが。もしかして、その方に何かあったんですか?」


「えぇ、まぁそんなところです。その時の状況などを詳しく聞きたいのでよろしければ署までご同行ねがえますか?」


「かまいませんが、先程も言ったように自分はメールを打っていたのでその時のことはあまり見ていなかったので、とても参考になるとは……」


「いえ、そんなことは構いません。 では、ついてきてください。」




私は警察官に囲まれ、言われるがままに車に乗り込んだ。車が動き出してから数分後に


「あの、会社にだけでも連絡してもいいですか。」と思い出したように言うが返事は予想外のものであった。


「いえ、事前にこちらで連絡をしておいたのでその必要はありません。」


「あ、そうなんですか。会社からは何も連絡来なかったのになぁ。」


車の中はとても静かになった。時折車内に無線の音がなるが、ほとんど砂嵐のような音でとても聞けたものではなかった。そして車は一定のスピードを保ったまま、まっすぐ確実に警察署に向かっていた。




車に乗って15分が過ぎた辺りで警察署が見えてきた。




「降りろ。」


先程までとはうってかわって厳しい口調になる。


「ついてこい。」


そしてまた、いわれるがままに警察官のあとをついていき取調室に入っていった。


「そこに座れ。」


そこには刑事ドラマでよく見るような机とパイプイスが二脚置かれていた。


まず、警察官が馴れた口調で、マニュアルでも読むかのように淡々と事務的な話を済ませた。そうすると先程まで案内してくれた警官は部屋から出ていった。しばらくして、スーツを着たこれまた刑事ドラマとかで出てきそうな少し太った警官とノートパソコンを持った男が入ってきた。




咳払いをして、席に着くと


「それでは取り調べの方を始めさせていただきます。単刀直入に聞きます。あなたは昨日、15時30分頃、◯◯線の車内で倒れていたA氏を殺害しましたね?」


はじめ、何を言っているのか理解ができなかった。


「殺害だって? 何を馬鹿なことを言っているのだ! 確かに私はその時にその電車に乗っていたこと認めます。しかし、それがなぜ殺害と繋がるのですか?」


「まぁ、そう声をあらげないで落ち着いてください。」


「自分が犯罪の犯人だと疑われているんですよ! 落ち着けるわけがないでしょう! と、言うより、そんなことを言うということはそれなりの証拠があるんでしょうね? 無いのならば馬鹿馬鹿しくて話にならないよ。」


「えぇ、もちろん証拠ならあります。」


「では、早速聞かせもらおうじゃありませんか。」




(実に不愉快だよ。 こんなことなら来なければ良かった。早く無罪であることを証明して家に帰ることにしよう。全く、最近はずっと不幸なことばかりだ。彼女には振られるし、会社では後輩のミスであるのに「上司である君の責任だ!」なんて言われて怒られる。まったくついてない。今日は適当な理由をつけて会社も休んでしまおう。そして久しぶりに高い肉でも買って美味しいご飯を食ってやる。)




「では、まず、あなたは彼を助けることが出来ましたよね?」


「どういうことだい? 僕は人口呼吸とか心肺蘇生法なんて高校の授業で受けて以来したこともないからとっくの昔に忘れちまってる。 それに救命士の資格なんて持っていない。だから、助けられる訳がないだろう。 他にも彼、えっと、Aさんだっけか。今日はじめて聞いたんだよ。彼の名前を。 いってしまえば赤の他人なんだよ。 それなのにどうやって助けろって言うんだい!」


「いえ、救命士の資格だとかそんなことは関係ないんです。ただ、周りの方々が口を揃えてこう言うのです。『あの人が助けていたのならば私も助けようとしました。』と。」


「すみません。何をおっしゃっているのかわからないのだが? どういうことだい? 『あの人』って、まさか僕のことをじゃないだろうね?」


「いいえ、あなたのことですよ。」


「僕が助けようとしていたら、みんな助けただって? そんなことがあるのか? ならばもっと早くに、例えば隣の人とかが助けるべきなんじゃなあのか?」


「いえ、そうはいきません。」


「なぜだい?」


「それは……… あなたが彼を救うべき運命だったからですよ……」


ふっ、と僕が鼻で笑ったあと


「そんなことが通るのかい? ならば今の警察はかなり無能だね。 まったく話にならないよ。 僕は帰らせてもらうよ。」


「そうは出来ません。あなたには逮捕状が出ていますからね。」


「僕に逮捕状だって!? はは、冗談はよしてくださいよ!」


「いえ、冗談ではありません。 ほらこちらに。」


そこには確かに私の名前が書かれていた。


「あきれた、日本はもう終わりだね。初めて聞いたよ。」


「初めてのはずがありません。 取り調べを始める前に先程出ていった警官が説明しましたよ。」


「そんな馬鹿な……」と、弱々しく吐き捨て数分黙りこんでしまった。そのあいだ僕は人差し指を曲げて上唇に当てていた。僕が困ってるいるときにやる癖みたいなものだ。まさかこんなところで話を聞いていなかったことのつけがまわってくるとは思ってもおらず、少し動揺してしまった。それでも僕は強く否定し続けた。




「いい加減認めたらどうなんですか? あなたはA氏を助けることが出来たのになにもせずに殺したんですね?」と、もういい飽きたよと言わんばかりの顔で僕を見てくる。

それに対して

「だから僕は殺してなんかいない。だいいち、僕と彼との間はかなり離れていたんだ。 助けにいくなもっと別の人がすべきではないかったんじゃないですか?」と決まった言葉を返すことしかできなくなっていた。


「いいえ、ですから、先程も言ったように周りの人は口を揃えて『彼が助けようとしたら自分も助けた』と供述してるんですよ。」


しばらくし沈黙が続く。僕の頭のなかではこの会話にはたして意味があるのだろうかとか、あのとき助けていればこんなことにはなっていなかったのに、など、とても言い尽くせない思いが逃げはの無い怒りとして沸々と堆積していった。


そんなことお構いなしに、刑事は腰をあげ座り直す。キィっという古びたパイプイスの音が部屋のなかで響く。こんなたいしたこともない音に対しても無性に腹が立ってくるのであった。



――――――――――――――――――――



そんな話を何回も繰り返した。途中で休憩を挟んだりしたがもうかれこれ6時間は続いている。何度も同じような話をしたせいで、もうすでに頭が混乱し始めていた。「もしかしたら、本当は助けられたのではないのか?」と何度も考えた。しかし、その度に「いや、そんなことはない。僕は間違いなく無罪だ。」と言い聞かせてきた。




しかし、ついに僕も疲れはててしまった。自分でも無意識に


「あぁ、そうだ。 僕は確かにA氏を殺害した。 間違いない。」


と、言っていた。すぐに発言を撤回しようとしたが無駄であった。そんなことをする力は僕には残されていなかった。だらしなく机に伏せて、あとは時が経つのをただひたすらに待っていた。

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