狂愛クインテット

Ryoooh

 生まれて初めて、恋人ができた。


 桐生 和葉。

 中学校からの同級生ではあるが、言葉を交わしたのはせいぜい二、三回くらい。それも挨拶程度の簡素なもので、会話なんて呼べるようなものじゃなかった。


 それも仕方ないことだとは思う。

 なにせ彼女はここら辺じゃ知らない人はいないくらいの有名人だ。

 緩くウェーブした亜麻色の髪に、病的なくらい真っ白な肌。すらっとしたスタイルは女子生徒からいつだって羨ましがられているし、テレビの中でだってあれ程の美人はそうそう見たことはない。


 何にせよ、自分と彼女とでは全く釣り合いがとれていないのは分かっていた。遠巻きに眺めているだけの関係で十分で、それ以上は望むことすら夢のような話だった。


 そう。

 『だった』、である。過去形。今は違う。


 始業式の放課後、夕日の差す教室で告白された。

 呼び出しは下駄箱に入った手紙で。

 何万回も使い古されたような方法だったけれど、僕にとってはかなり効果的だった。最初はイタズラだろうと思っていたが、教室で佇む彼女を見て本物なのだと確信した。


 それからは怒涛の展開で、はっきり言ってあの日のことはよく覚えていなかったりする。ただ一つ鮮明に覚えているのは、返事は即答で「よろしくお願いしましゅ」と噛んでしまったことくらいである。


 なにはともあれ、僕と桐生さんは付き合うことになった。


 あの日から一週間。

 毎日一緒に登下校して、恋人になって初めての休日にデートをした。

 手も繋いで、別れ際にキスもして、この一週間は浮かれっぱなしだった。今までの不幸も忘れるくらいに、これからは最高に楽しい日々が送れるんだろうと思っていた。



―――思っていた。これも過去形だ。









 初めて恋人ができた。

 

 相手は柊木 明楽くん。

 話したことはほとんど無いけれど、彼のことはなんでも知っている。身体的なことや、それこそ彼が必死になって隠そうとする秘密まで。彼に限って言えば、私の知らないことなど無いのだ。


 彼は歴とした十六歳の男子高校生ではあるものの、見た目はまるで可憐な少女である。

 私服では高確率で女の子と間違えられるし、実際間違えてナンパされる事だってあった。彼の見た目に誘われて、気安く近づこうとする女たちも多かった。


 その上、彼は聖人かと思うくらいに優しい性格をしている。

 怒ったところは見たことがなく、頼み事は断らない。誰かのために泣いて、誰かのために喜ぶ事が本気でできるような子なのだ。私には到底真似できそうに無い。


 そんな彼と付き合い始めたのは、一週間前のこと。


 はっきり言って、本当に苦労した。

 彼を狙おうとする雌猫がかなり多かったのだ。クラスメイトはもちろん、癖のある奴らも結構いるのである。

 そんな奴らを彼から遠ざけるのは、一瞬の油断も許されない長い戦いであった。


 彼を徹底的に調べ上げ、私の印象を良くするように操作もした。こういった時、家が金持ちで本当に良かったと思う。おかげで私は、外面を保つだけで彼を手に入れることが出来たのだから。


 あとは末長くお付き合いをして、彼が十八歳になった日に籍を入れればいい。

 大学なんて行く必要はないし、働くなんて以ての外である。家の外に出すなんて狂気の沙汰だ。目に映る女は私だけで良い。


 兎にも角にも、私は彼を手に入れたのだ。


 問題はまだ山積みではあるが、恋人同士になる、という大前提をクリアできた。あとは一生離さなければ、どうとでもなるだろう。

 離れる、とか別れる、なんて考えすら思い浮かばないくらいに愛してあげれば良いのだから。


 堪えられず、私はくすりと笑ってしまった。

 隣を歩く彼がこちらを向く。大きな目で真っ直ぐ私を見上げていた。「あぁ、もう」と心の中で舌打ちする。ここが外でなければ、今すぐ押し倒すのに。


 先週末のデートではキスまでで終わってしまったが、今週末はもう少し踏み込んでもいいだろう。

 せっかく恋人になったのだし、こっちは何年も我慢しているのだ。彼は奥手なのだから、ちょっと強引に迫るくらいの方が良いはずである。

 頭の中で可愛らしく身を震わせる彼を想像して、繋いだ手に力が篭った。

 相変わらずニコニコしている彼に、胸が締め付けられる。



———手の平の熱だけでは、どこか物足りなく感じていた。


 







 弟に恋人ができたらしい。


 最近コソコソしてると思ってスマートフォンを覗いてみたら、吐き気がするくらい甘いメッセージのやり取りがあった。長いスクロールを遡って見れば、一週間くらい前から付き合う事になったようだ。

 

 そういえば、と思い出す。


 先週末は、男友達と遊びに行くと言っていた。

 それ自体は珍しくないのだが、妙に身なりに気を遣っていたような気がする。高校二年になってやっと色気づいたかと思っていたが、アイツの性格を考えるとちょっと腑に落ちなかったりする。男友達と遊びに行くのに、やけに体臭や口臭を気にするのはおかしいだろう。


 メッセージを見返すと、案の定この女と二人きりで出掛けていたようだった。

 

 これは保護者として、色々と把握しておかなければならない。

 アイツはかなり抜けているから、変な女に騙されやすい。見た目にしたって、「そういう女」が寄ってくるようなタイプなのだ。近づこうとする奴らは大抵変態かなんかなのである。


 アイツにはもっとこう、精神的にも肉体的にも成熟した女が合うと思う。

 歳上で、仕事もしてて、それなりに成功しているような女が。まさにこの雪那お姉様のような。


 と言うかそもそも、弟に恋人なんて百年早い。

 誰の金で生活出来てると思っているのか。その女とのデート代も私が汗水流して稼いだ金だろう、と正直思う。もちろんそんな事面と向かっては言わないけど。


 両親が離婚して、母親に引き取られた弟。

 その後虐待や育児放棄をされ、ボロ雑巾のようになって私の元へ来た可愛い弟。その姿を見て、私が守ってあげなければと決心したのは良い思い出だ。


 幸いな事に、私は仕事も上手く行っている。金銭面ではかなり余裕もあるし、弟との関係もとても良い。

 女を作ってどこかへ消えた父のおかげで、姉弟二人で仲良く暮らしていけるのも感謝である。


 となれば、それを邪魔しようとする虫は許すわけにはいかない。


 弟にはきっともっと相応しい女がいるのだ。いなければ仕方ない。私が一生面倒を見ればいいだけなのだし。

 鼻歌まじりに、コップに水を入れる。一気に飲み干して、また水を注いだ。

 


———とりあえず、話を聞かないと。


 

 私は笑って、弟のスマートフォンをコップの中に沈めた。










 後輩に、恋人ができたと聞いた。


 相手はあの桐生の娘らしい。

 陰でコソコソと下らない事をしているとは思っていたが、いきなり告白とは。ああいう成金の考える事はよく分からない。


 彼との関係は、間違いなく私の方が深く親密であった。


 同じ生徒会役員として一年を過ごし、生徒会長選挙の時も私の為に働いてくれた。色々な相談事だって受けてきた。彼が頼るのは私だけで、それに応えられるのも私だけのはずだった。


———なのに。


 ギリ、と歯が鳴った。

 思わずへし折ってしまったシャープペンシルが机の上に散る。

 その様子を見て、談笑していた生徒会メンバーが口を噤んだ。しまった、と眉を潜める女生徒が、明楽に恋人がいると口を滑らせた男子生徒の肩を小突く。が、今さらどうしようもなかった。


 余程恐ろしい顔をしていたのだろうか、何人かの目尻に涙が浮かぶ。

 黒川先輩、と泣きそうに話しかける女生徒を見て、私は我に帰った。

 

 シャープペンシルだった物を払って、努めて何もなかったように笑う。ごめんね、と優しく言って、ガタガタと鳴らしていた脚を組んだ。

 これくらいで動揺してなるものか。それこそ、あの女に負けを認める事になってしまう。それだけは許せない。


 正直言って、私があの女に負けているとはカケラも思わない。


 顔も、家柄も、成績も、人望も。

 むしろスタイルは私の方が絶対に上だ。あんなスレンダーといってコンプレックスを誤魔化す女とは違うのだ。


 皮のペンケースの中から、新しいペンを取り出す。

 ほんの少しだけ緊張の解けた空気の中、私は目の前の書類に向かった。ペンを走らせ、機械的に判子を押していく。少しは気が紛れるかと思い、しばらく無言で仕事を続けていた、が。


 ばきり。


 二本目のペンが真っ二つに折れる。

 滲んだインクが紙を汚し、破片が指先を裂く。私は大きくため息を吐いて、指先を流れる赤い線を眺めた。


———あぁ、やっぱりダメだ。


 認めよう。

 先を越された事に、苛立っているのだ。

 まともに話すことも出来ないだろうと舐めていたあの女に、先を行かれた。この事実がどうしようも無く腹立たしい。もう少し関係を深めて、確実に、だなんて考えていた愚かな私をブン殴りたい。


 ひとしきり後悔をして、赤い指先を口に含む。舌に広がる鉄の味は戒めだ。この屈辱の味を忘れるな。


 心配そうな視線を送る生徒たちを無視して、私は立ち上がった。

 今日はもう集中できないだろうし、さっさと帰ってしまおう。色々とやる事もできたのだし。


 今日は帰るわね、と一言を残して、早々に生徒会室を後にした。

 途中、窓から校門が見えた。仲良さそうに歩く二人の男女に、私は思わず笑ってしまった。


———そんな女が好きなのね、貴方は。


 はは、と嘲笑めいた声が漏れる。

 女を見る目がないとは思っていたが、これ程とは。こんなにいい女が傍にいたって言うのに、そんな上辺だけの女に靡いてしまうなんてバカな子だ。


 だんだんと、怒りの矛先が少女から少年へと向かっていく。奪った女よりも、奪われた男に問題があるのだ。


 で、あれば。

 今一度、どっちが良い女なのか分からせてあげる必要がある。

 そうすれば目も覚めて、私の元へ戻ってくるだろう。誰が一番彼を愛していて、想っているのか。当然、私といるほうがあんな女よりも何千倍も幸せになれるのだから。


 それに、略奪愛っていうのも悪くないかも。


 笑いながら、私は曇った空の下、帰路についた。

 








 噂話を聞いた。


 入学から数日。友達も随分と増えた。

 元々コミュニケーションスキルは高いほうだったし、見た目だってかなり良い方だと自信もある。早速四人ほど告白されたのだから、それは間違っていないだろう。


 とは言え、いきなり付き合う気にもなれなかった。


 見た目ばかりに気を遣って、流行り物ばっかり追いかけるような男に興味はないのだ。人の事言えないけど。


 そんな男子生徒たちが、口々に話しているのである。

 それは私のグループの友達にも波及して、気付けばここ最近はこの噂話ばかりを耳にしていた。


———桐生先輩、彼氏できたんだって。


 桐生先輩。

 アタシも良く知っている人だ。

 綺麗で、スタイル良くて———アタシの方が胸はあるけど———超金持ちで、人間が出来てるヒト。

 あんまり近寄りたいタイプではないけれど、羨ましいな、と思った事はあった。


 そんな完璧に近い先輩に、彼氏が出来たらしい。そんな噂で持ちきりだった。


 最初は「らしい」だったのだけれど、すぐに「できた」に変わっていく。

 瞬く間に学校中に広がって、近隣の高校にまでそのニュースは広がった。面倒な事に、アタシにその真偽を確かめるメッセージやら電話やらが何件もあったり。なんでアタシがこんな目に、ってちょっとムカついたりもした。


 それよりも、私の興味はその彼氏さんにあった。


 あれだけの人が告白したっていうのだ。

 相当なイケメンか、金持ちか。とりあえず、半端じゃない男なのは間違いないだろうと思っていた。


 が。

 アタシの描いていたイメージは、早々に崩される事になった。まるっきり正反対だったのだ。


 見た目は女の子みたいで、背だって桐生先輩より低い。

 ズボンよりもスカートの方が絶対似合うと思う。ウズウズする内心を隠して、アタシは二人を眺めていた。


 見れば見るほど、仲の良いカップルである。

 楽しそうに笑い、人の目が少なくなったらすぐにキスしようとする。彼氏さんはそう言うのが苦手なのか、時折嫌がってはいたけれど。


 ちょくちょく目にするタイミングがあったからか、それからアタシは二人を目で追うようになっていた。


 純粋に羨ましいな、と思った。

 桐生先輩は良い人だし、彼氏さんはその上を行く超良い人だったりするし。あんな人今時いるんだ、って感じではあるけれど。


 ただ、毎日楽しそうにしているのは羨ましいな、と本当に思う。

 この一週間、言い寄ってくる香水やワックス臭いチャラ男にはいい加減ウンザリだったのだ。そんな奴らと付き合った所で、あんな風に笑い合うのは無理だろう。


———あの彼氏さんだったら、アタシもちょっとは楽しく思えるのかなー。


 そう頭に過って、アタシはぶんぶんと振った。

 いくらアタシでも、あの先輩の彼氏にちょっかい掛けるのがマズイことくらい分かっている。っていうか、下手に噂になったら立場だって悪くなるし。ヤダよアタシ、あの人の彼氏取った女とか思われるの。


 ないない、と笑って、アタシはパンを囓る。お気に入りのチョコクリームパンも、なんだか今日は味気ない気がした。


———まぁでも、友達とかならいいよね。


 そういえば彼氏さんは生徒会役員らしい。

 もし仮にアタシが生徒会に入って、先輩後輩の間柄だったら、色々教えてもらって仲良くなるのも不思議じゃない。好きとか嫌いとかそんなんじゃなくて、ね。


 言い訳じみた考えがまた頭を渦巻いて、そのまま机に突っ伏した。

 なんだかんだ言いつつも、結局仲良くなりたがってるじゃん、と自分にツッコミをいれる。ヤりたいか、とかではないけれど、仲良くなりたいなと思っているのは自覚できた。


 友達が心配して声をかけてくれるが、アタシは「ヘーキ」と言うのが精一杯だった。

 伏せたまま、窓の外を眺める。と同時に、沸々と沸き上がるものが胸を占めた。


———なんか、ムカつく。


 喋った事もない先輩相手に、なんでアタシがこんな調子狂わされなきゃいけないわけ。

 あんな女の子みたいな、喧嘩だってアタシに負けそうなくせに。まあ、アタシが勝手に悶々としてるだけなんだけど。


 気が付けば、最近は先輩のことばかり考えている自分がいた。

 好きも嫌いも分からないけど、なんだか気になる感じ。このままでいるのは、正直もうしんどかった。


———あーもう、めんどくさい。


 そもそもそんな事気にしてウジウジするなんて性に合わないのである。

 行動力なら負けないし、どうなろうが後のことなんか知った事じゃない。別に良いだろう。気になってるくらいなら、当たってみても。その結果どうなっても、その時考えればいいだけなのだ。


 急にスッキリした顔のアタシに、友達たちが怪訝そうな表情を浮かべていた。

 なんでもない、と笑って、残りのパンを頬張る。うん、やっぱり美味しいじゃんこれ。


 入学早々楽しくなりそうな予感を胸に、アタシはくすくすと笑った。

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