#27 レッツ・プリテンド
元恋人、
それには、こう書いてあった。
「ヨシトくん、久しぶり。わたし、みつ子です。
このメール、書いていいのかどうか、しばらく悩みました。
でも、うじうじと考えていても何も生み出さない、何も前に進まないことに結局気づいて、思い切って書くことにしました。
ヨシトくんに、今のわたしが考えていることをはっきり伝えるために。
だから、返事は要りません」
そこまで読んで、僕は感じた。
以前の、僕と付き合っていたころのみつ子ならば、うじうじと考えた末に「しない」「やらない」方を選んでいたはず。
まちがいなく今の彼女は、しっかりとした決断力を持ったひとに変わっていると。
僕は、メールの続きを読み進めた。
「きょう午後3時に
父いわく、
姫子ちゃんに『じゃあ、パパやお姉ちゃんとも同じ大学だね』と言われました。
彼女は、ご存知かと思いますが、明応が第一志望なんです。
だから、新しく来る家庭教師さんにはとっても期待を寄せていました。
父がその話をしたとき、家庭教師さんのお名前とかは特に言わなかったので、わたしはその数時間後に起こることをまるきり想像できませんでした。
わたしと同じ大学で、年格好も似たようなかたがいらっしゃるんだ、ただそう思っていて、それがヨシトくんかもしれない……なんてみじんも思っていませんでした。
来客の時間になって、父や母、姫子ちゃんがヨシトくんのお相手をしているときも、『わたしは直接教えていただくわけじゃないし、先生に挨拶するのは最後でいいんじゃないのかな』とのんきに構えていました。
家族に呼ばれたら、そのタイミングで出ていけばいいや、そう考えていました。
そして、その呼び出しは、4時台に姫子ちゃんから唐突に来ました。
バタバタとわたしの部屋に飛び込んで来て、彼女はこう言うのです。
『新しいカテキョの先生、お姉ちゃんと同い年だって。ルックスもまぁ悪くはないし、それに今のところ、彼女もいないみたいだよー』
そうして、わたしをその先生をわたしの『交際相手候補』として引き合わせようとするのです。
『そういうのじゃなくて、これから妹がお世話になるかたにご挨拶するということなら行くけど』とわたしが食い下がると、じゃあ引き受けてくれたんだねとばかり、そのままわたしの手を引いて、ヨシトくんのいる部屋に連れて行ったのでした。
姫子ちゃん、まるでわたしの言うこと、聞いてませんよね。
わたしがヨシトくんの姿を発見した時は、本当に自分の目を疑いました。
他人の空似ってやつじゃないかとも思いました。
でも、次の瞬間、『はじめまして、
本物のヨシトくんなんだなと、思いました。
ヨシトくんがわたしの姿を見た時の表情、はっきりと覚えています。
ふだんはほとんど表情の変わらないヨシトくんの眉や目が、微妙に動いていました。
わずかにまぶたが上がって、半開きが四分の三開きぐらいになっていました。
これはまちがいなく、ヨシトくんが驚いた時の表情です。
他のひとにはたぶん気づかれることのないぐらいの微妙な変化ですが、しばらく付き合っていたわたしにはちゃんと分かるのです。
これで『ヨシトくんもわたしのことをかつての
わたしはといえば、もう、あからさまに驚きの表情を出してしまっていたかと思います。
いきなり、何の予感も伏線もなく、ヨシトくんと遭遇してしまったのですから。
その驚いた顔を、姫子ちゃんに見られていなくて本当によかったです。
もし勘づかれていたら、その後、彼女から根掘り葉掘り、どれだけ追及されていたか分かりません。
あくまでもおたがい初対面であるように装うのがこの場合一番賢明なやり方であることを、とっさの行動をもって教えてくれたヨシトくんに感謝します。
そして、ヨシトくんのほとんど変化しない表情にも(笑)。
これから先、時には家の中でヨシトくんと会う機会があると思いますが、わたしはあくまでも『今回初めて知り合った』というスタンスを取り続けたいと思っています。
ヨシトくんも、そういう風にしてください。お願いします。
さて、あとは最近のわたしのことについて、お伝えしておきたいと思います。
ヨシトくんとお別れをした後のわたしは、ヨシトくん同様、ライト文芸サークルを去りました。
でも、イラストを描くこと自体はやめませんでした。
ラ文での活動を通して、描くこと自体の楽しさに目覚めたというのでしょうか。
以前、美大進学を目指していたころのわたしは、絵を楽しみというより義務感で描いていたように思いますが、楽しいから描く、そういう風に変わってきたと思います。
一生の楽しみとしての絵描き、そういうことです。
幸いイラストは、今は大学サークルだけでなく、いくらでも発表の場があります。SNSしかり、投稿サイトしかり。
わたしも、姫子ちゃんから聞いたと思いますが、『ピクリブ』というサイトを拠点にして、イラストレーター、みっこの活動を始めました。
みっこって、ラ文時代のペンネームそのまんまですね。
相変わらずネーミングのセンスなくて、ごめんなさい。
で、その活動が最近少しずつ成果を上げて来て、3、4か月ほど前に、ある出版社の編集者さんからお声掛けをいただきまして、ライトノベルのイラストを担当することになりました。
張り切って描いて入稿、無事本にまで仕上がったようです。
そのデビュー作は今月発売だったかな。そろそろわたしのところにも見本が届くころです。
そんな感じで、わたしは大学生としての学業のかたわら、イラストもコンスタントに描いています。
このイラスト描きが、将来のわたしの職業になるのか?
それはまったく分かりません。
とりあえず一作書いてみて評判が良ければ、また次のお仕事が来るのでしょうが、それがうまく続いたところで、定職にできるだけの十分な収入になるのか?
それもやってみないことには分かりません。
イラストレーターになりたいと思っているかたの多さから考えれば、ネットで作品を発表して一年足らずで商業出版デビューなんて、夢のような話です。
以前のわたしは母子家庭で、母が楽になるよう頑張っていい企業に入らなくちゃというプレッシャーが強かったのですが、今は父という後ろ
このチャンスを無駄にすることなく、しばらくイラストレーター・みっことして頑張ってみようかと思っています。
だから、今もわたしはひとりですが、当分の間、恋愛はおあずけにしてイラストに賭けてみたいと思っています。
ヨシトくんも、どのようなかたちにせよ、ヨシトくんが一番望む人生、ベストな人生を選びとって欲しいです。
声にこそ出していませんが、いつも心の中であなたを応援しています。辰巳みつ子」
メールは、そこで終わっていた。
「そうか。あの別れの日以来、みつ子は自分自身と向き合い、みずからが本当に望む人生を追求するようになったんだな」
僕は深い感慨にふけっていた。
すると、キッチンにいるおふくろから声がかかった。
「夕飯の用意、出来たわよ!」
メールへの返事をどうするかは食事の後に考えることにしようと、僕はとりあえずダイニングに向かったのだった。
⌘ ⌘ ⌘
自室に戻り、僕はみつ子のメールに返事をした方がいいのか、あるいはやめた方がいいのかを考えた。
が、それこそみつ子と同様の、無意味なループにハマりそうに感じたので、思案をやめてとりあえず思いを
「ヨシトです。メール、読みました。
もはやこういうメールでしか、みつ子と一対一で話すことは出来なかっただけに、きみが僕のアドレスを削除しなかったことには感謝です。
きょうの思いがけない出会いの件、だいたいきみが推察した通りです。
僕ももちろん、辰巳家におじゃまするまでは、きみがそこにいることをまったく知らなかった。
最初に予兆めいたものがあったとすれば、きみのお母さんと玄関でお会いしたときに既視感のようなものを抱いたのだけど、それがきみ由来のものだとはまるで気づけなかった。
お母さんも、僕のことをまったく知らないようだったしね。
はっきり『予感』と言えるものを感じたのは、姫子ちゃんの部屋に行ってしばらくしてから、そこの壁に張ってあるイラスト、ポニテ姿のポートレートを見つけて、それがお姉さんの描いた作品だと姫子ちゃんに聞いてからだ。
あの作風、絵柄がきみのではないかという予感が押し寄せて来た。
そして、その通りであると判明した。
だから、突然の再会とはいえ、きみほどいきなりのものでなく、ちゃんと伏線とその回収があったのです。
だから、その後の対応も混乱なく、わりとスムーズに出来たのだろうな。
何の伏線もなくきみに再会していたら、おたがいパニックの
そこは神の配慮だと思って、感謝しているよ。
そして今後のことだけれど、きみの判断通り、『ふたりは知り合ったばかり』という設定の関わり合いをずっと続けていけばいいと思います。
それから、イラストレーターとしてのメジャーデビュー、本当におめでとう。
実はたまたま帰りに立ち寄った紀伊国屋書店で、「いもうとが僕の恋をジャマばかりするんですけど!」を見かけたんだ。
画風とペンネームで、すぐきみのイラストだと分かった。ラ文時代のペンネームにも、取り柄はあったってことだね(笑)。
あっ、この話は姫子ちゃんには内緒にしておいて。
木曜日にそちらにおじゃまするときに、姫子ちゃんからこの自慢話を聞かされるだろうから、初耳を装って驚いてあげた方が姫子ちゃんが喜ぶと思うんでね。
最後に、きみの将来についての話。
読んでいて、『そうか、絵を描くことを単なる趣味でなく、ライフワークとすることを選んだんだな』と、きみの決意の堅さを感じたよ。
僕も自分の将来について、明確なビジョンを持たないといけない時期に来ているなと感じている。
まぁ、きみほど『自分はこれがやりたい』というものがはっきりしていないし、『何だったら自分が出来るのか』についても、全然見極めることが出来ていない。
だから、今後の課題だな、それは。
さしあたっての僕は、ちょっと家庭の事情があって、アルバイトをいくつも掛け持ちしてガンガン稼がないといけなくなってしまった。
僕のほうも、当分恋愛をしている余裕はなさそうだよ。おあいこ、だね。
そんな僕のことでも、応援してくれてありがとう。
もちろん、僕も常にきみの応援団長のつもりです。ヨシト」
僕はこのように書き上げて、気が変わってまた削除したりしないうちに送信したのだった。(続く)
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