#03 適材適所
一年半ほど前まで僕が家庭教師として教えていた女子中学生は、学業的にはなんの問題のない子で、教える側としてもとても楽な相手だった。
性格的にはおとなしく、やや引っ込み思案なところがあり、思ったことをなかなかストレートに言えない子だった。
だが、それが特に欠点だとは、僕には思えなかった。
頭のいいひとは、おおむね思慮深く、慎み深いものだろう。
僕はそう考えて、そのことを格別気にとめることはしなかった。
そして、家庭教師を始めて半年近く経った秋のある日、彼女から僕への「思い」を突然告白された。
その日までずっと、彼女が僕に思いを募らせているなど、想像だにしなかったのである……。
おっと、ボーッと回想にふけっている場合などではなかった。
この「相手として男子、女子どちらを希望する?」という伯母の問いに、きちんと答えないといけない。
僕はこう答えた。
「そうですね。前回起きた残念な出来事を
ですが、今の僕は、相手についてとやかく注文をつけられる立場にはありません。
出来る限りペイのいいところを希望する以上、相手がちょっと手間がかかるタイプの子でも文句は言えないと思っています。
男子でも女子でもかまいません。どうか条件のいいところを紹介してください」
そう言って僕は、頭を下げた。
それを聞いて、
「そう。それこそがわたしが望んでいた答えだよ。
一年余りの間に、だいぶん成長したじゃないか、ヨシトくん。
もしきみが、『以前の出来事に懲りたので、今回は男子だけにして欲しい』と言ってきたら、その意向に応えられるとは限らないと、きっぱり言うつもりだった。
なぜ家庭教師はわざわざオーダーされるのか、その背景について前にもきみに話したことがあると思うが、それを思い起こして欲しい。
男子の場合、出来のあまり良くない生徒を出来るようにするというよりは、もともとある程度勉強の出来る子をよりグレードアップさせるために、家庭教師を付けるケースが多いように思うよ。
第一志望校にあと少しというレベルの生徒を、確実に合格するレベルまで引き上げるために呼ぶ、そんな感じだ。
だから、中途半端な実力の家庭教師はお呼びじゃない。
きみの通う
だが、こう言っては失礼かもしれないが、カリカリと勉強をして入ってきた学生は少数派で、どちらかというとリア充な、勉強も遊びもバランスよくソツなくこなすタイプが多数派のように見える。
その点、国内大学のトップにいる帝都大学や、私立最難関の西北大学の学生のほうが、学業を極めて世の中の最前線に出ようという勉強家タイプがより多いと言えそうだ。
もし、親御さんがたが自分の子供に帝都大学に入って欲しい、西北大学に受かって欲しいと考えたとして、目的達成のため、それらの大学の学生を家庭教師に迎えたい、それ以外のはいらないと判断したとしても、おかしくはない。そうだろ?」
僕は、そのことばに無言でうなずいた。
「わたしにも娘がひとりいるが、実際あの子が受験のときにも、西北大学が彼女の第一志望校というので、同じ西北の学生さんに付いてもらった結果、なんとか合格することが出来た。
覚えているよね?」
「ええ、もちろん。五年ほど前でしたね」
僕は即座に答えた。
伯母さんの娘とは、僕にとっては従姉にあたる
僕より三つ年上で、昨年春、西北大学文学部を卒業して、今は大手出版社でバリバリ働いている。
この母にしてこの
「帝都や西北を目指す生徒の家庭教師には、まずもって明応やそれ以下のランクの学生は選ばれない。
厳しいことを言うようだが、それが現実というものだ。
知っておいて欲しい。
どこの大学を目指すかによって大学名で家庭教師を選ぶというのは、どちらかと言うと、男子生徒のケースだ。
ちょっとイヤな言い方になるけど、男の子の場合は、学歴が人生の成功不成功に直結してくる。
出身校のいかんによって、生涯賃金の額がかなり変わってくるということさ。
けれど、女子の場合はかなり事情が違ってくる。
女子の場合はどちらかと言えば、男子より早く遊びを覚えてしまったリア充系の子が多いのだが、親御さんとしてはそれでもせめて高校は卒業して欲しい、大学ぐらいは入って欲しいという要望から家庭教師を付けるケースが多いようだ。
そのためにはガリ勉、こんな言葉今どきほとんど聞かないだろうけど、大学入学まで勉強ばかりしてきてあまり対人的コミュニケーションが得意ではないガリ勉タイプが多い帝都や西北の学生よりも、附属からのエスカレーター進級組も多い、明応に代表されるお坊ちゃま学校の学生のほうが、会話も上手、したがって教えるのもうまいということで、けっこう人気があるんだよ。
予備校だって、イケメンで話の面白い男性講師、アイドルばりに可愛い女性講師が人気が高いのと同じさ。
女子生徒は、帝都みたいな大学に入るために猛勉強しようと考えているタイプはごくまれで、大半の子は家庭教師のことを『話し相手、兼、ときどき勉強も教えてくれる人』ぐらいに考えているんだよ。
だから、真面目一辺倒で雑談のひとつもしない家庭教師は、男性であれ女性であれウケは悪い。
きみのように、学業はごくごく普通の出来でも、見た目がそこそこよくて、割りと女性にもモテるような学生にも出番はあるってことさ。
そう、適材適所ってやつだな」
そう言って、伯母さんはいたずらっぽく笑った。
「もちろん、そこで気を付けて欲しいことはある。
女子生徒の中には、家庭教師を『話し相手』のレベルを通り越して、『火遊びで交際する相手』と勝手に考えていたり、逆に『生涯の伴侶の候補』と真剣に思い詰めたりするようないささか危ない子、これをわたしは各種ひっくるめて『地雷』と呼んでいるんだが、そういう子たちに遭遇してしまうこともある。
年齢差こそあるものの、きみぐらいの年の男性はまだ十分に若いから、彼女たちから恋愛の対象と見られてしまう。
そのことをよく意識しながら、行動して欲しい。
たとえそれが、女子生徒のほうから先に仕掛けたことであったとしても、もし何か間違いが起きたときは、百パーセント、男のほうの責任になる。
ゆめゆめ、忘れないことだ」
「はい。そのことは特に肝に銘じておきます」
真剣な顔つきで忠告する伯母さんに、僕も真顔で答えた。
すると、彼女は「ハハッ」と破顔一笑してこう言った。
「もっとも、わたしとて人情はわかっているつもりだ。
年ごろの男女が二人きり、密室の中で数時間過ごすんだ。
そして、それを何か月も、場合によっては何年も繰り返す。
そこになんらかの男女としての親密さが生まれても、ある程度いたしかたないと言える。
事実、わたしが紹介した男子学生のひとりに、自分がかつて教えた女子生徒と、彼女が大学を卒業して間もないころに結婚したというカップルがいたなあ。
あれにはビックリしたよ。
いま思えば、彼は家庭教師をやっていたころから、彼女のことを見染めていたのだろう。
直接教える立場から離れて、ようやく本当の交際が出来るようになったのだろうな。
そうして、四年、五年の歳月をかけてその恋を実らせた。
そう思うと、なかなかロマンチックな出会いの場にもなりうるんだよ、家庭教師という仕事は」
「それはいい話ですね。そんなケースもあるんだ。
でも、もし告白するタイミングを早まったら、大変なことになっていたでしょうから、くれぐれも服務期間中の行動には慎重でないと、ですね」
僕がそう率直な感想を述べると、伯母さんはにっこりと笑った。
「そういうことだ。きみも成人を迎えたのだから、大人としての自覚を持って、責任ある行動をとって欲しい。
最初に家庭教師をやっていたころの経験もあるから、今度はうまくいくんじゃないかな」
「ありがとうございます。励みになります」
そこで伯母さんは、ちょっとだけ黙ったのだが、すぐに口を開いて、こう僕に尋ねてきた。
「ところで聞きたいんだが、いつぞや、そう、きみが以前に家庭教師をやっていたころは、同い年の『彼女』がいたじゃないか。
その子と付き合っていた最中だったこともあって、教え子の中学生とは残念な結果になってしまったという……。
その子とは、今も付き合っているのかな?」
まさか、そのことをここで伯母さんに聞かれるとは……。
予期しない突然の問いに返す言葉もなく、ただただ困惑する僕だった。(続く)
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