LOVE & LEARN ー教えてモブ先生ー
さとみ・はやお
#01 緊急事態(エマージェンシー)
それはある日突然、やって来た。
というか、突然やって来たから、緊急事態なんだが。
あらかじめ予告してやって来るんだったら、おおよそ「緊急」とは言えんだろが。
そんな
生まれてこのかた二十年あまり、危機らしい危機、修羅場らしい修羅場に直面したことのなかった甘ちゃんの僕にとっては、初めての、本格的なクライシスだったと言っていい。
きょうの大学の授業は午後からだからいいやと、正午近くまで朝寝を決め込んでいた僕のスマホを、オヤジ、つまり僕の実の父親がジャックした。
けたたましい、サイレン音。
情緒もへったくれもない。
これはオヤジからの着信時専用のSE《サウンドエフェクト》だ。
どんな状況下にあってもオヤジの電話だけは取り忘れることのないよう、自分で設定した。
オヤジ、電話に出ないと激オコになるタイプなのだ。
果たしてスマホのディスプレイには「
あわてて、「応答」の丸いボタンを押す。
「俺だ。ヨシト、起きたばかりか?」
父はスマホだろうが固定だろうが、電話では自分の名前を名乗ったことがない。
俺の声で誰だかわかれよということなんだろうが、会社でもそんな調子なんだろうか。
それから、ヨシトというのは僕の名前だ。
ん?名前がどう見てもモブキャラっぽいって? やかましいわ。
好きでこんな名前を名乗っているわけがない。
百パーセント、わがオヤジの趣味による命名だからな。
とにかく僕は、寝起きの腑抜けた声で、オヤジに返事をした。
「うん、今起きた。何か用?」
「ああ、今からちょっと大事な話を伝えたいと思うんだが、時間は大丈夫か?」
「大学の授業開始まで二時間はあるから、大丈夫だけど」
「そうか、じゃあ、心して聞いてくれ。
さきほど、うちの会社の取締役会を開いて、重大事項を決定した。
今から半年後、7月の末日をもってわが社、『モブアンドカンパニー』は解散することになった。
これは、ここ数年のわが社の業績不振、そして今後さらに広がるであろう赤字、負債の増加を鑑みて、まだ資金力に余裕のある現時点で解散としたほうが賢明とみての、苦渋の決断だ」
寝起きでいまだに頭の回転がよろしくない僕にも、おおよそかんばしくない話ってことは、はっきり伝わってきた。
「わかったよ。それはとても残念なことだと思うけど、僕にも何か直接関係があるのかい?」
「ん……それは、あるといえばある」
オヤジは一瞬、口ごもった。
不吉なフラグが、ひらひらと
「ってことは?」
「当面の生活は変わらない。俺たち家族は、今住んでいる家にもそのまま住んでいられる。
だが、今後、会社の資金はすべて解散のために回さざるを得なくなる。つまり、少ないとはいえ十名近くいる社員の給料も払い、他社への支払いも済ませ、借入金も全額返済しないといけない。
つまり、資金はそういった『清算』最優先で使われないといけないのだ。
さしあたってヨシト、お前には気の毒だが、来月中に支払うことになっている来年度の学費、これはお前に払ってもらわないといけない」
「!!!!!」
ただただ、絶句する僕。
「おーい、聞こえてるか?」
と、頼りなげな声で確認するオヤジ。
僕の通っている
その年間の授業料は、一般的な私大の5割増し近くもするのだ。
ざっくり言って、両手ぶん。
それを、今回は僕ひとりの力で全額払わないといけないとは、太平洋のど真ん中でいきなり大型旅客船から降ろされて、「ここから目的地までは手漕ぎの船で行ってください」と宣告されてしまった旅客の気分だった。
少し追加で説明しておかないと、いけないかな。
これまでの話で、だいたいわかったと思うけど、僕の父親、茂部壮一郎は小さい会社の社長をしている。
業種はIT系、大企業の下請けでソフトウェア開発をしている会社だ。
人数は彼を含めても、両手で足りるぐらい。
でもこれまではそこそこの業績を収めてきていて、将来は上場も確実、なんて言われていた時期が五年ぐらい前にはあった。
だが三年前にやたらと営業力のある「ファビュラス・スター」というやたら派手な名前のライバル会社が登場して以来、クライアントからのオーダー横取りが続いていた。
昨年の実績は、五年前の半分以下にまで落ちたとかいう噂をつい先週ネットで見て、心を痛めていたところだったのだ。
そこまで、絶望的な状況になっていたとは。
だが、いまの僕には「モブアンドカンパニー」の解散よりも、授業料を全額払わないといけない事態が、より重大で深刻な問題に思えた。
高校生の頃までの自分だったら、もしこの状況を聞かされても、「えー、絶対無理!」とひたすらゴネていただろうな。
まだ、アルバイトも許されていない身分だったし。
だが、いまの僕は、時々飲食店でアルバイトをしていて、そこそこ小遣い銭を稼ぐぐらいのことはしている。
貯金もアルバイト収入やら、過去お年玉やら入学祝いやらでもらったお金の一部を貯金に回していて、ざっと片手ぐらい、あるにはある。
そしてもうひとつ、僕は最近おふくろ、つまり僕の実の母親から、昔のオヤジのことを聞かされていた。
彼は大学に入学して間もない頃にその父親が亡くなってしまい、その結果昼間部から夜間部に転籍、大学の学費も全部自分が働いて稼いでいたというのだ。
オヤジはそのことを、自ら僕に語ることはなかった。
「自分が苦労したぶん、子供にはその苦労を味わわせたくない」と考えていたようよと、おふくろは語った。
要するに、オヤジはなかなかの苦労人、苦学の徒なのだ。
今ここで僕が「いやだぁ」とゴネたら、ただのわがまま息子、親のありがたみも知らないドラ息子になってしまう。
それはカッコ悪すぎだろ。
僕は覚悟を決めることにした。
「わかった。オヤジの大変なときは、僕も手伝わないとな。
なんとか、自分の力でやってみるよ」
そう、オヤジに伝えた。
オヤジは日頃の強気な態度とはうって変わって、妙に優しげな声でこう言った。
「そうかー、助かったよ、ヨシト。
これで当面の資金繰りはなんとかなりそうだよ。恩に着るよ」
オヤジ、嬉しそうである。
だが、ノリと勢いでオーケーしてしまったとは言え、これからどうすりゃいいんだ、僕。ノープランじゃん。
マジ、ヤバいって!(続く)
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