マスク越しだから、キスじゃないよね?

さとみ・はやお

第1話

《前口上》


新型コロナウィルス禍による外出自粛が続くこんな緊急事態のさなかでも、ラノベ作家という人種はおバカなことばかり考えているという見本です。ご笑覧ください。


単発の短編ですが、読者のみなさんのレスポンスが良いようでしたら、シリーズ化もありです。


なお、本作品はあくまでもフィクションですので、リアル高校の現状とは若干異なる点がありますことを、あらかじめお含みおきください。



《前編》


二〇二〇年六月一日、朝八時過ぎ。


僕、鳥越とりこし久郎くろうは、都立水際みずぎわ高等学校の校門前にたたずんでいた。


そこには「水際高等学校 入学式」という立て看板がしつらえられていた。


僕のわきを、カジュアルな服装をした十代の少年少女たちがひっきりなしに通り過ぎ、校門の中に吸い込まれていく。


もちろん、この学校の生徒たちだ。


『ここが、きょうから僕の学舎まなびやとなる、水際高校かぁ。


思えば二か月、休校の解除をじっと我慢して待っていたけど、ようやくその日がやって来たなぁ』


二か月待ちに待って、晴れて入学式の日を迎えられたことに感無量の僕だった。


『高校に入ったら学業に励まなければいけないのはもちろんだけど、それだけじゃなくて未来のパートナーとなるような女子をここで見つけられたらいいんだが。


かわいい子、いるかな?』


そうして、周囲の校門の中へ入って行く生徒たちをしばらく眺めていたのだが……。


しかしどの女子も、というか男子もそうなのだが、判を押したように白いマスクで顔半分を覆っていたのであった。


そう、緊急事態宣言の解除で学校は再開になったものの、依然収束を見ていない新型コロナウィルスの感染予防対策として、誰ひとりとしてマスク装着を解いていないのだった。


というか、僕自身もしっかりマスクを着けていた。ひとのこと、言えねーな。


声にならない声で、僕はこうつぶやいた。


『これでは、女子生徒のご尊顔を誰ひとり拝むことは出来ないではないか!


目しか見えないなんて、ここは中近東かよ!』


コホン、いささかアブない発言があった。聞き逃していただきたい。


ともあれ、校門前でいつまでも女子生徒のチェックのためにうろついているわけにいかない。入学式の時間も近づいて来た。


まずは案内板に従って、式場となる体育館まで向かうことにした僕だった。


体育館に着くと、入口で一枚のプリントを渡された。


それは「水際高等学校 令和二年度入学式 クラス別着席表」と題され、各生徒の苗字が記された四角形(これは形状から考えて椅子のことだろう)の行列が並んだ配置図だった。


僕は一年三組に所属することをあらかじめ文書で通知されていたので三組のところを見ると、確かに「鳥越」と記された席があった。


あったのだが。


僕は実際に体育館のフロアにパイプ椅子が並べられている様子を見て、唖然とした。


普通、朝礼とか全校集会がある時って、これまでは生徒たちが、ほとんど左右のひとと距離を取らずに、いわゆる「肩を並べた」状態で並んでいたものだった。

着席状態であれ、起立状態であれ。


少なくとも小学校や中学校では、それが当たり前だった。


ところが、きょうはまるで違う。


各椅子の左右の間隔はおよそ一メートル半、椅子三つ分以上取られていたのだ。


また、前の席、後ろの席との間隔も、同様に一メートル半くらい取られていた。


だから、だだっ広い体育館も、新入生用の椅子をこういうスカスカな置き方をしたせいで、ほぼほぼ埋まった状態だった。


『そうか、こいつがいうところの、密集・密閉・密接を避ける“ソーシャル・ディスタンス”ってやつかぁ』


僕はそう理解したのだった。


そういえば、通知の文書にも「今回の入学式は会場設営の事情により、ご父兄のご参加はご遠慮願います」と書いてあった。


こんな状態じゃあ、父兄の入る余地なんてまるでないもんな。


とりあえず僕は、指示通り自分の席に座って、入学式が始まるのを待った。


定時の八時半になると、先生と思われる三、四十代の方々が登場されて、生徒たちの前にずらりと並んだ。


これもまた見事に、一メートル半の間隔を取って並んでいた。


ソーシャル・ディスタンス、すげー徹底ぶりだ。


開会までの短い時間、僕は着席の姿勢を変えずに目線だけを動かして、周囲の生徒を観察した。


右隣りには女子。えらく緊急した面持ちで、ひたすら前を向いている。


そりゃそうだろ、こんな異様な雰囲気の入学式に参加したのは誰しも初めてだからな。


彼女の戸惑いが、僕にもよくわかる。


左隣りには男子。この男はといえば、顔面が完全にこわばった鉄仮面状態。

判断停止って表情をしている。


たぶん、僕もそんな顔つきをしていたのだろうな。


開会のアナウンスがあり、講壇上に年配の校長先生らしき男性があがり、入学式が

始まった。


彼、校長の挨拶は、われわれ新入生への祝いの言葉に始まり、高校の歴史や校風の紹介など、ごくごく一般的な入学式の挨拶の域を出るものではなかったので、特段書き残すべきことはなかったのだが、最後にひとつだけ、今回ならではの発言、もしくは訓示があった。


「今回、二か月遅れという異例な事態の中入学されてきたみなさんは、本日の入学式の運営スタイルにも大変驚かれ、戸惑われていることと思います。


ですが、新型コロナウィルスの猛威がいまだ終息していない現状におきましては、この大袈裟と思われるかもしれないひととの距離の取り方も、必要不可欠なものなのです。


どうか今しばらくは、校内のすべての場において十分なソーシャル・ディスタンスを取るよう、心がけてください」


そうして式が終了すると、ため息にも似た息遣いが、新入生のほぼ全員から漏れ出たように感じた。


なんとも息苦しい、新学園生活の始まりだった。


僕はその閉塞感を少しでも紛らわせようと、右隣りの女子に声をかけてみた。


「大変な時期に入学しちゃったね、僕たち」


その声を聞いて、女子は僕の方を向いてくれた。


彼女はセミロングの髪を、青いカチューシャでまとめていた。


もちろんマスクは着けていたが、その上の少したれ気味の黒目がちの瞳が、僕の視界に飛び込んできた。


「そうね、さっきからびっくりしてばかりよ。


新入生と先生がただけ、先輩生徒や父兄もいないし、音楽の生演奏とかもない入学式なんて、生まれて初めてよ。


わたしたちって、感染者の集団って認定されているのかしら?」


マスクこそ着けていたが、彼女が口をとがらせているさまが目に見えるようだった。


「まぁまぁ抑えて。それくらい、今回のコロナの脅威はしぶとく続いているってことなんだろうね。


こりゃ、今年中に解決するかどうかも危ぶまれるよな」


「そうかもね。いやだわ、そんなの。


……あっ、言い忘れてたけど、わたしは神谷かみや菜摘なつみというの。


神様の神にたに、菜っ葉の菜に指摘の摘ね」


「僕は鳥越久郎。鳥越とりごえ神社の鳥越をとりこしって読むんだけどね。名前は久しいの久に太郎の郎。


これからよろしくね、神谷さん」


「うん、よろしくね、とりこしくん」


とりあえずひとり、同じクラスで顔見知り(といっても顔半分だが)が出来て、ホッとした僕だった。


以上のようにシンプルな入学式だったこともあるのだろう、「本日はこのままただちにホームルーム、そして通常の授業に入ります」とのアナウンスがあった。


まぁ、そんなものだろう。すでに二か月スタートが遅れている以上、そうそうのんびりしているわけにもいくまい。


そして、実のところをいうと、新学期の授業はウェブ上で四月からすでに始まっていたのだった。


インターネットの普及のおかげで、テレスタディというのだろうか、在宅学習が楽に出来るようになった。


おかげで、二か月遅れの通学開始とはいえ、僕たち新入生の授業はさほど遅れずに済んでいるのだ。


僕たちはさっそく、一年の教室に向かった。


『入学式と同様、神谷菜摘と席が近くだったら心強いんだがな』という淡い期待を抱いていたのだが、それは残念ながら叶わなかった。


教室の入口で「一年三組暫定着席表」というプリントを今度はもらったのだが、そこに書いてあった僕の席は前から三分の一あたり、神谷の席は三分の二あたりだった。


それより何より、ふたたび「えーっ、マジかよ?!」と言いたくなる事態に直面した。


パッと見て、どうも机の数が少ないように見えた。


ざっと数えてみたが、三台かける八で二十四台。


明らかに、高校の一般的なクラスの人数である三十人より二割も少ない。


いったい、なぜ?


これも「ソーシャル・ディスタンス」実現のため、わざわざクラス人数を減らしたのだろうか。


さらにである。その机ときたら、右がわの机は壁際いっぱい、左側の机は窓際いっぱい、真ん中の机は左右の机と等間隔に置かれているのだ。


その間隔、おおよそ一メートル半。


(前の机、後ろの机との間隔は、それよりもう少し短めの一メートル強という感じだが、それはいたしかたないのかもしれない。なにしろ、三台掛ける八列の机を、ひとつの教室に押し込めないといけないからね。実際、最後列の机は、教室の後ろの壁にギリギリだった。)


つまり、これまでありとあらゆる学校の教室では通例にして鉄則だった「二つの机をくっつけて配置する」というルールが、「ソーシャル・ディスタンス」の大義名分のもとに見事なまでに改変されてしまっている。


これじゃあ、学園ものストーリーに共通の「忘れてきた教科書を隣りの子に見せてもらう」とか、「消しゴムを貸してもらう」みたいなイベントが成立しなくなっちゃうじゃん!


なんだかとてもがっかりな学習環境だった。


『それもこれも、ソーシャル・ディスタンス実現のためかよ。くそ、コロナの馬鹿野郎!』


と歯噛みしたところで、「コロナ感染拡大防止」の御旗みはたには逆らいようがない。


先ほどの校長の訓示が、いよいよ恨めしく感じられた。


ほどなくひとりの女性教師、歳の頃なら三十前後だろうな、黒のタイトなスーツにメガネ、頭はお団子ヘアといういかにもなルックスの女性が教室に登場した。

当然ながら、マスク装備で。


「はじめまして、みなさん。


わたしはきょうから君たち一年三組を担任することになった、矢澤やざわだ。


教科では数学を担当している。これから一年間、よろしくな」


と、チョークで黒板に「矢澤永子えいこ」という名前を書きながら、かなり男っぽい口調で挨拶をした。


「矢澤先生、いきなりですみません。


ひとつ、質問があるんですが」


後ろの方から女子の声が上がった。なんとなく声に聞き覚えがあるなと思って振り返ったら、果たして神谷菜摘だった。


「なんだね。言ってごらん」


矢澤先生は、そう答えた。


「わたしたちの席数って、どうも普通の教室より少ないような気がするんですが、これはどのクラスもそうなんですか?


あ、申し遅れました。わたしは神谷と言います」


と、神谷は僕が抱いていた疑問をそのまま矢澤先生にぶつけたのだった。


彼女はどうやら、気になったことをそのまま胸にしまっておけない性分みたいだった。


矢澤先生は軽く笑いながら、こう答えた。


「やはり、気になっていたようだな。神谷さん。


その通りだ。このクラスだけでなく、すべてのクラス、すべての学年でこの新学期を機に、全面的に編成替えを行って一クラスの人数を減らしたのだよ。


当然ながら教室数が足りなくなるから、これまで休眠状態だった旧校舎の教室までフル稼働させて、ようやく実現した、という次第さ。


あと、これも気付いているだろうが、通例なら四つの机で一列というレイアウトも三つに減らしてあるし、机の間隔も等距離になっている。


それもこれも、『ソーシャル・ディスタンス』実現のためであることは、言うまでもないよね。


新型コロナウィルス感染者数は以前に比べて大幅に減少したとは言え、まだまだ油断出来る状況ではない。


今君たち全員がそうしているように、当分マスクの装着はやめることは出来ないし、手洗いやうがい、消毒も忘れてはならない。


たとえ、同じクラスの仲間であっても、握手みたいにじかにひとの肌に触れたりすることは、つつしんでもらいたい。


もちろん、一生ずっとそうしていろってことじゃあないよ。


そうだね、コロナウィルスに有効なワクチンが見つかるまでは、ということになるのかな」


僕はその言葉を聞いて、気が楽になったというよりはむしろズーンと重くなったって感じだった。


ウィルスの特効薬、それはいつかは見つかるのかもしれないが、それがいつ見つかるのかは、誰だってまるで見当がつかないからだ。


「おやおや、みんな、表情が暗いよ」


と、僕らの様子を見て先生は言うけれど、それって貴方のせいですから!


「まぁ、こんな不自由な状況でも、しばらく続けばそのうち慣れるんじゃないかな、うん」


かなり大雑把なまとめ方をする矢澤先生だった。


「それにだ」


先生は、チョークを振りかざしてこうのたまった。


「高校生の本文は、勉学だ。


今ぐらい、勉学に集中して打ち込めるときはないぞ。


むしろ、喜んでこの状況を受け入れて欲しいものだ」


これには、クラスの生徒全員が深くため息をついたことは、言うまでもない。


どうやら「高校に入ったら彼女を作って大いにエンジョイする」という僕の構想は、実現にはほど遠いもののようだった。


(中編に続きます)

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