第37回
いったん墓守の小屋のなかに入れてもらい、私はポーリーとシャドウェルにこれまでの話をした。人間の世界での出来事については彼らにも想像しにくい部分が多々あったようだが、あえて省略せずにすべて伝えておくことにする。私の体験からして、向こう側とこちら側、両方の情報を持っていないと判断を誤ってしまうと思ったからである。
「――佳音はまだ人形館にいるのかな」ひととおり話を終えた私がつぶやくと、シャドウェルが自分の顎を撫でながら、
「いや、おそらくデイジーの城に移されているだろう。デイジーは常にお気に入りの人形を手許に置きたがるからな」
「私もそう思う。でもそう簡単には入れないよ、あそこは厳重に守られてるんだから。警備の人形もいるし、魔法の結界も張ってある」
「まあ――そうだよね。だけどグリフィンは入ったんでしょう?」と、私。
大切なものを手許に置きたがるという心理から考えるなら、デイジーが契約によって人間から奪った軀の一部も、城のどこかに保管されている公算が大きい。グリフィンがあれだけ人形たちから敵視されているのは、警備を掻い潜って盗みを働いた実績があるからではないだろうか。
「かもしれないが、俺たちと共闘してくれるかは微妙なところだな。仲間の失態で足を引っ張られるのを嫌うタイプの、いけ好かない奴だ。これまでのことから考えても、奴は君を遠ざけて、自分ひとりで片を付けようとしているんだろう。協力してくれと言って素直に応じてくれる相手ではないと俺は思う」
「徹底的に人形嫌いみたいだしね。私たちがいたら、ますます信用してもらえないんじゃないかな。グリフィンのことは計算から外して考えるほうがいいよ」
もっともだ。向こうからの救いの手を一度跳ね除けている以上、そう都合よく助けてもらおうなどと考えないほうがいいだろう。
私はポケットから人形の国の地図を出した。デイジーの城を捜す――一か所だけ周囲の土地と断絶し、浮島のようになっている場所に、それはあった。
「どうやって出入りするの?」
「デイジーは普段、遊覧船を往復させているな」
妖精の射手になったときに貰ったフリーパスはまだ持っているが、いま乗せてもらおうと思っても無理だろう。歓迎会で私の顔は知れ渡ってしまったのだし、人形たちは私を捜し回っているはずだ。船着き場に行ったところで捕まってしまうのが落ちである。
「ほかに行く方法はない?」
シャドウェルとポーリーは顔を見合わせてから、申し訳なそうにかぶりを振った。
「船でしか出入りできないんじゃ不便すぎるし、非常事態にも対応できないから、きっと別の道があるんだとは思うけど――側近しか知らないだろうね」とポーリー。
「危険だが、近づいて探ってみる以外になさそうだ」
ふたりが私のほうを向いた。最終的な決定権は所有者である私に委ねる、ということらしい。
「仕方ないね。行ってみよう」
私は宣言し、地図をしまった。墓守小屋の扉を開け、墓地の出口へと向かう。
「出るのはどのくらいぶりだろうな」と私の横でシャドウェルが嬉しそうに言う。「幽霊だったころには、このあたりまで来るともう駄目だった。明確に自分の濃度が下がってるのが判るんだな。これ以上離れたら消える、と厭でも感じるわけだ」
「今は大丈夫なんだよね?」
「まったく平気だ。ポーリーもだろう?」
「うん。ちなみに私の場合は、墓地から出ようとすると金縛りにかかる魔法だった。長らく脱出を諦めてたから最近は食らってなかったけど――あれ、かなり苦しいんだよね」
ポーリーとシャドウェルが門に手をかけた。
「ようやくこの陰気な墓場ともおさらばだな」
「ほんと、最高の気分」
ふたりが声を合わせて、せーの、と力を込めて門を押し開けようとした――そのときだった。
「残念だけど、おさらばされちゃ困るんだよね」
唐突に響いた声にびくりとして振り返り、私は息を詰めた。歩み寄ってきた相手はにやりと唇を歪めると、
「また会えて嬉しいよ、長壁伊月さん」
双子の片割れだった。いつの間にか、この墓地に侵入していたのだ。
彼女は傷のある頬に指を滑らせるような仕種をし、「ずうっと、あんたのことを捜してたんだよ。また一緒に遊びたくて、あんたを追っかけて向こう側にまで行ったのに。子守唄、聞いてくれなかったよね」
その恍惚とした口調に背筋がぞわついた。電車での記憶が鮮明に甦ってくる。やはりあのとき、私は人形の子守唄で眠らされそうになったのだ。
「私をどうするつもり?」
「ただ一緒に遊んでいたいだけだよ。いつまでもね――私はあんたのことを忘れない。どこへでも着いていって、傍にいて、歌をうたって」
「私は取引に応じない。人形にはならないよ」
ふふ、と双子の片割れは薄笑いし、
「嘘だよ。本当はなりたいんだ。人間でいるよりずっと楽しいよ。今に判る」
「俺たちの主は、おまえの戯言になんか耳を貸さないぞ」とシャドウェルが割り入る。
途端に双子の片割れの首がぐるりと回転し、シャドウェルを見据えた。表情が一瞬にして消え失せ、酷薄な顔つきになる。彼女は低く恨みがましい声で、
「おまえ、私の歌の邪魔をしたよね。せっかくの遊びを台無しにした。憎らしい、醜く太った道化師が」
「俺はシャドウェルだ」と動じることなく彼は言い返した。「なんとでも莫迦にするがいい。俺の持ち主は、俺を素敵だと言ってくれた。その一言の記憶だけで、俺は誇りを持っていられる。おまえごときがなにを抜かそうと、痛くも痒くもない」
「デイジーの人形、よく聞きなさい。私たちがいる限り、この人には指一本触れさせない」
ポーリーとシャドウェルが前に進み出る。双子の片割れは無表情のまま幾度か頷き、やがて、
「可愛くない奴ら」
ポーリーが鋭く、「伊月、下がってて」
双子の片割れの軀が蒼白い靄に包まれ、やがてぼやけはじめた。人形のシルエットが見る見るうちに薄れていき、十秒ほどで完全に溶け去ってしまう。彼女を呑み込んだ靄だけが、ただ蝋燭の炎のように、ゆらゆらと揺らめいているばかりだ。
「消えちゃった――?」
「惑わされるな。奴の魔術だ」
シャドウェルの警告とほぼ同時に、靄が生き物のように蠢いて変形を始める。曖昧に揺れ動いていた蒼白い粒子が収束し、人の形を成しつつあった。頭身の低い少女の人形から、長身で痩せこけた、亡霊じみた姿へと。
眉も頭髪もない骸骨のような顔立ちは、男のものとも女のものとも判らない。黒く切り込みを入れたような昏い眼に、ぼんやりと泛びあがった冷たい瞳。ところどころがひび割れ、内部の空洞を覗かせた胴体は人形のものだが、機械と融合したか、あるいは骨が変形したかにも思える突起が、鎧のように手足を包んでいる。
異様な変身を遂げた双子の片割れが、靄のなかからゆっくりと歩み出した。残滓がその軀に纏わりつき、冷え冷えとした妖気を発散しているかに見える。
「ずいぶんと悪趣味だね」と言い放ったポーリーは、いつの間にか大振りな刃物を手にしていた。自身の身長ほどもあるそれを軽々と頭上に構え、鈍い輝きを放つ切っ先を寸分の狂いもなく相手の眼に向けている。剣道でいう上段霞の構えに似ているが、持ち方が私の知っているものとは違った。ポーリーの大剣の持ち手にはふたつ輪が付いていて、彼女はそれぞれを両手で握り込んでいるのだ。変わった武器があるものだ、と思いかけた。
じゃきん、と金属を擦り合わせるような音と共に、大剣が二本になった――いや、そうではない。ようやく正体が知れた。ポーリーの武器は巨大な鋏なのだ。蟹が外敵を威嚇するように、鋭い音を立てながら連続して開閉している。
双子の片割れが纏う靄の色がどす黒く変じた。
彼女はゆっくりと、蒼白く長い右手を伸ばし、薙ぎ払うような動作をする。それに呼応するように、黒々とした微細な粒子が生き物のように蠢いて、ポーリーに襲いかかった。
しかしその一瞬のあいだに、ポーリーは軽やかに身を躱し、同時に鋏の刃を大きく広げていた。一息に相手の間合いに飛び込むと、いまだ伸べられたままの腕を、鋏で正確に捉える。すれ違いざまの一閃。
どさ、と音を立てて、双子の片割れの腕が地面に落下した。ポーリーはすぐさま体勢を立て直すと、軀をねじりながら、閉じた鋏を槍のように突き出した。その切っ先は狙いを違えず、まっすぐに相手の右眼に突き刺さった。
僅かに静寂があった。ポーリーが鋏を引き抜くと、ばらばらと破片が散らばって、右腕の残骸の周囲を飾った。
ぱっとポーリーが飛び下がって、鋏を構え直した。その斜め後ろに陣取ったシャドウェルが、腰を落とした姿勢を取っている。
右眼を中心とした頭蓋の右上四分の一ほどを欠落させた双子の片割れが、咽の奥から長々とした声をあげた。女の悲鳴に聞えた。彼女はよたついて、自らの脚で地面に落ちた己の片腕を踏み毀した。ぐしゃり、と厭な音が響き、手首から下の部位が粉々になる。
指の反り返った掌だけが残った。
「火吹きの芸をお目にかけよう」シャドウェルがぱちん、と指を鳴らし、人差指を突き立てた。その先に、鮮やかな紫の炎が灯る。
シャドウェルは太ったお腹をますます膨らませながら息を吸い込み、勢いよく吹いた。伸びた炎が双子の片割れを呑み込み、その軀を炎上させる。火に焼かれながら彼女は身をくねらせ、やがて、ぱき、ぱき、と硬い音を発しはじめた。
高音に耐えきれず、人形の軀に亀裂が入りはじめているのだ。もともとあったひび割れがさらに大きくなり、砕け、彼女は徐々に人形の形を失っていく。
ひゃひゃひゃひゃひゃ……と最後に彼女は声を高くした。その奇妙な断末魔もやがて小さくなり、消えた。
沈黙。
「どうだ」とシャドウェルが私を振り返った。「君の役に立ったろう」
ポーリーもようやく構えを解いた。鋏を片手にぶら下げたまま、くるりと一回転する。廻り終えたときには、もう鋏は消え失せていた。
「久しぶりに使ったよ。錆びてなくてよかった」
「ふたりとも――強いね」
やっとのことで私は発した。事実、驚いていたのだ。道化師と墓守の人形が、こうも戦闘的な能力を発揮するとは。
ポーリーは少し得意げに、
「持ち主の願いに応じて、人形は変容するんだよ。持ち主の遊び方に、持ち主の与えたキャラクターに、私たち人形は応じようとする。持ち主が小さな女の子なら、カウボーイ人形がおままごとをしたり、宇宙の戦士がダンスをしたりするようにね。あなたが私たちにあいつをやっつけてほしいと願ったから、私たちは戦えた」
「人形とは常にそういうものだ。持ち主が君のように清らかなら、人形も清らかでいられる。持ち主が邪悪なら――」
シャドウェルは悲しげに、崩れ去ってほとんど原型を留めていない双子の片割れを見下ろした。
「――邪悪になり果てる。人形は持ち主の内面を映す鏡のようなものなんだ。最初から邪悪な人形などいない。所有者の情念が、祈りが、呪詛が――人形を人形たらしめるのだから」
私も視線を落とした。人形のなれの果てを、しばらく見つめていた。
煙。
シャドウェルの放った炎の名残かと思ったがそうではなかった。双子の片割れの残骸から、黒い霧が立ち上り、生き物のように蠢いていた。一本、二本。尾を曳くように飛び廻り、やがてその先端部が変形して、顔を形作った。
どす黒い、デスマスクのような、ポーリーとシャドウェルの顔。
「急ごう。友達を助けに行くんでしょ」とポーリーが私に笑いかける。シャドウェルも頷いた。この新たな異変に、ふたりとも気づいていないのだ。
彼らの眼には映っていない。
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