⑥『ZOMBIO 死霊のしたたり』(1985)


 はい。

 受験番号三十一番、八首やつくび市立八首やつくびひがし中学校の、新貝しんかいルルです。

 よろしくお願いします。

 はい。私は、御校の教育理念である「自己の探求心にじゅんじる」に深い共感を覚え、志望いたしました。

 私は将来、文学で身を立てたいと考えております。そのためには、多様な経験を積むことが不可欠です。それも受け身の姿勢では意味がありません。自己の興味に対して貪欲であり、それを深化させることが肝要です。

 御校の、安易に文系・理系とクラスを分断することなく、多様な学び、自主的な学びを促す教育システムを通じて、広く、そして深く、知識の大海に浸りたいと考えています。

 以上です。

 ……以上です。

 …………以上だと言っているだろう、城島じょうじま



「ああ、悪い」


 名前を呼ばれ、ハッと意識を取り戻す。向かいに座った新貝は腕組みをして、不満そうに眉をしかめていた。


「まったく。試しに聞かせてくれと言ったのは君だろうに」


「いや、まさかここまで完成度が高いと思わなくて」


 気づかぬうちにタイムリープでもしたのかと、新貝の背後にある黒板に目を向ける。うん、日付は間違いなく、蝉の声もまだ遠い七月二日。推薦入試はまだ半年も先である。なのになぜ、こうも淀むことなく志望理由を話せるのか。これがわからない。


「中三の夏だぞ。当たり前じゃないか。長船橋おさふなばし大付属を受けるというのに、君のように『模試の偏差値と通学時間的にはここかな』とか考えてる受験生の方がレアだろう。人生を舐めているとしか思えない」


「やめてくれ新貝……その術は僕に効く」


「やめない。そりゃ、君は大抵のことはできるが、逆に言えば大抵までしかできない。それは『大抵できた』ところで歩みを止め、突き詰めようとしないで放置するからだ。ゆえに、バランスはいいが突出したものがない。高校入試までならそれでもいいかもしれないが、このままだと高校、大学、就職とコマを進めるにつれ、ただただ平均値が縮小化していってどうしようもなくなるぞ」


 ぐうの音も出ない。

 滔々とうとうと述べられる新貝の言葉はどれもこれもが心当たりしかなく、僕はただただ亀のように体を縮こませた。

 新貝は大きく息を吐き、机を人差し指でトンっと叩いた。


「まったく、君は将来どうしたいんだ。このままだと……いや、これ以上は言い過ぎか。なあ、せめてそこに書いてあることくらい話せるようにしておいたらどうだ? 推薦入試を受ける受けないは別にして、現状の確認のためにも、だ」


 言われて、新貝蔵書による『高校入試 質問の定石!』をパラパラと捲る。

 志望理由から始まり、中学校での部活動について、ボランティア活動の有無、海外への渡航経験、得意科目不得意科目、体験授業に参加していればその感想などなど、眩暈めまいを覚える質問が列をなしている。ただ毎日をのらくら生きているだけの僕には、どれ一つ、満足に答えられなそうだった。


「新貝はこれ、全部答え用意してるのか?」


「まあね。試してみるかい?」


 そう自信あり気に言う新貝を見ると、敗戦がわかっていても戦いたくなるわけで。

 ゲーム、スタート。


「……『中学校時代の課外活動で、最も印象に残っていることは?』」


「はい。皇英こうえい社主催の文芸コンクールで最優秀賞をいただき、作家の三鳥みとり行道ゆきみち先生とお会いできたことです。表彰式の後、創作に関してお話をさせていただいたのですが、『若さに甘えることがないよう、精進してください』という言葉は胸に響きました」


「……『中学三年生になってから読んだ本で、感銘を受けたものは?』」


「はい。ヴィリエ・ド・リラダンの『未来のイヴ』です。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、発明家として現在も知られるエジソンを登場させ、彼が作り上げたアンドロイドが恋に絶望した一人の紳士に提供される、という筋です。昨今、AIの発達が社会的にも騒がれていますが、百数十年前のこの作品にも同様の主題が描かれており、文学の普遍性を再確認したという意味で印象的でした」 


「……『最近観たホラー映画で、感銘を受けたものは?』」


「……はい。『ZOMBIO 死霊のしたたり』です。敬愛するラヴクラフトの『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』を原作としているため視聴しました。原作はクトゥルフ神話と括られる諸作品の中でも最初期のものであり、マッド・サイエンティストによる死者の蘇生に焦点が当てられています。この原作にアレンジを加えながら描いたのが映画『ZOMBIO』であり、タイトルからもゾンビの姿が浮かぶかと思いますが、ここで登場するアンデッドは世間一般に想像されるゾンビでも、クトゥルフで知られるグールでもなく……って、そんな質問、その本には載ってないだろ。何でホラー映画限定なんだ。どんな高校だ。ぜひ入学したいじゃないか。……ああ、恐怖と混沌しか扱わない教育機関がなぜ現代日本には存在しないのか僕には理解でき…………コホン。いや、まあ、うん、そのー、なんだ。映画か。確かに、何か一つ考えておかないとな。脊髄せきずい反射で直近で観たものを答えかねん」


「直近で観たものだとマズいのか?」


「マズい。結構な打率でホラー映画になる。そんな答えを面接の場で求めている高校はそうそうない」


 学校側に、その場に応じた適切な回答。もちろん、相手がそれを気に入るか否かは運次第、か。さっき志望理由で、『TRPGのクリエイターになりたい』『ホラー作家になりたい』と言わなかったのは、そういうことなのだろう。まあ新貝の場合、話せるとなったらなったで、今のように暴走しかねないから結果オーライかもしれないが。

 年相応の無難な解答を、しかしその中に個性が求められるという矛盾は、僕にはひどく度し難く思われる。学力だけ、数字だけを査定してもらった方がまだしも気が楽だ。

 ……と考えている時点でダメなのだろう。

 新貝は決してそう考えない。「じゃあ、どんな答えが最適解か」を攻略本でも作成するかのように考えるのを好む。すべてに興味を持ち、すべてを突き詰める。

 それは僕とは真逆の、眩しく輝かしい生き方だった。暗がりをいつくばる僕は、いつ捨てられても文句は言えないだろう。

 僕は新貝に気づかれないよう、小さくため息を吐いた。


「……にしても、『ゾンバイオ』? だっけ。原作と全然タイトル違うのな」


「ん? ……ああ。アルファベット表記でZ、O、M、B、I、Oで、ゾンバイオ。売る、という観点から言えばタイトルを変えたのは正解だと思う。原題は地味だからね」


 『ZOMBIO 死霊のしたたり』――学生のダンは、同居人ハーバート・ウェストの奇妙な研究に付き合わされる。死体を蘇らせるという新薬の開発である。動物を使っての実験を終え、次の段階、人体実験を切望するハーバートは、ダンを脅して死体安置所へ向かうのだが――。


「198……5年の作品だったかな? なかなか面白かったよ。正直、小説自体が傑作とはとても言えない代物だから視聴を避けてきたし、期待もしてなかったんだが。ギミックのいくつかは、シナリオに使ってみるかもしれない」


 ラヴクラフト信奉者の新貝が「傑作とはとても言えない」と言うのだから、相当にマズい小説なのだろうし、「なかなか面白かった」と言うのだから、映画の出来は相当に良かったのだろう。

 にしても。


「ゾンビ映画、か」


「おや、含みがあるね」


「あー、いや、ゾンビっていうとどうも雑魚キャラのイメージが強くてさ」


 緩慢な動き、鈍い察知能力、頭を一撃すれば倒せる脆弱ぜいじゃく性……どう考えても、こいつらが少しばかりいたところで脅威きょういになるとは思えなかった。ぶっちゃけ、ホラーとしてはあらゆる意味で弱いと思う。

 僕がそう話すと、新貝は人差し指をピンと上に向けて、クルりと回した。


「何となくのイメージで話すのは君の悪癖だよ。『ZOMBIO』は君のイメージするゾンビものとはまた別物だし、もっと言うとここ最近のゾンビは……ああ、丁度いい。ゾンビついでに、一本観ておこうと思ってる映画があるんだ。この後、家に来ないかい?」


「行く」


 ”彼女”の自宅に誘われて拒否する男子中学生など、この世に存在しない。どんなZ級映画だろうが、新貝が隣にいれば、僕は相当に幸せなのである。


「仮にも受験生なんだから少しは迷ってくれ。心配になるぞ」


 そう苦笑する新貝が、楽しそうに、嬉しそうに見えるのは”彼氏”の贔屓目だろうか――なんて、そんなことを口にしたら、きっと新貝は心底呆れた顔をこちらに向けるだろう。


「言葉の割りには、楽しそうに見えるな」


 そして僕は、そんな呆れ顔を見てみたくて、痛いセリフを実際に口にしてみるのだった。

 すると新貝は――無言で立ち上がり、面接本を僕の手から取り上げると、それでコツンと頭を叩いてきた。

 その顔は予想とは違い、拗ねるような照れ笑いを浮かべていた。





[⑥『ZOMBIO 死霊のしたたり』(1985) 了]

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