②『ショーン・オブ・ザ・デッド』(2004)
「
上がり
何の話だろうと首を曲げ、追いかけたその視線の先は、ドアに立て掛けられた僕のショベルに向いていた。以前はどこのホームセンターにも売っていた金属製のそれは、確かにここ最近、酷使の影響が目に見えて出てきていた。クリーム色の塗装がところどころ剥げ落ち、スプーン状の先端部分は黒い
「そうですね……もう二ヵ月になりますから」
「
「いえ、特には」
友から託されたわけでも、親の形見というわけでもない。自分の〈初めて〉を惰性で使い続けているというだけである。
さて、この辺りにホームセンターは……いや、そんな大それた所じゃない方がいい。個人が経営している金物屋か、いや、田んぼの近くの家を数件回れば、同型の物が多分見つかるだろう。その中から、あれより状態の良いものを見繕えばいい。
そんなことを考えていると、
「ねえ、それ、持ってきて?」
先輩はそう言うなり、スタスタと先に行ってしまった。どうしてですか、と尋ねる暇もない。訳もわからず、ショベルを手に慌てて後を追う。玄関から真っ直ぐに進み、突き当りを右へ。
先輩は、地下シアターへと通じる金属ドア――ではなく、その隣の木製のドアに鍵を差し込んでいるところだった。そこは、
中は、広さ八畳ほど。左右の壁面には金属製の棚が据え付けられていた。
上に置かれているのは――バット、ゴルフクラブ、バール、手斧、
何のための道具を集めたものか、多くの人は一見しただけでは答えられないだろう。十日前だったら、僕にもわからなかったに違いない。しかし、今の僕にはわかる。そう、ここは、武器庫だ。
僕は視線を上から下へ、下から上に動かしながら、部屋の中央まで進んだ。
「こんな部屋があったんですね……」
「えーとね、流石に引かれちゃうかなーと思って、案内しなかったの」
先輩の判断は実に正しい。もし初日にここに通されていたら、即座に逃げ出していただろう。上映会を経て、今の僕には耐性ができていた。だが、
「好きなの、持ってっていいよ?」
「…………」
そう言われましても。
ざっと見ただけでも、相当な種類と数である。一見しただけでは、どう使うかわからない代物も多い。
例えばこの、ラベルが貼られた謎の瓶。理科室のガラス棚に並んでいるようなそれを、試しに一つ手に取って、光にかざしてみる。文系にして浅学な僕には、液体が入っている、くらいのことしかわからなかった。
「何が入ってるんですか、これ?」
「えーと、それはタンパク質を溶解する薬品だね」
「……サラッと恐ろしいことを言わないでください」
速やかに、丁重に、棚へと戻す。ケミカルな方面は却下。転んで割れて自分が溶ける、なんて間の抜けた結末は、断じて御免被る。
「これなんてどうかな。『デモンズ』でも大活躍だったよ」
「はあ……」
言われて渡されたのは、一振りの日本刀だった。両の手にずっしりとした重みが掛かる。そりゃそうか。つまるところ、細身の鉄の塊なんだから。日本刀は、数人斬ると脂で使い物にならなくなるなんて話を聞いたことがあるが、実際はどうなのだろう。いや、そんなことはどうでもいい。どうでもよくなるくらいに……かっこいい。
燃え立つ中二心を抑えられず軽く引き抜いてみると、水で濡れたような刀身が、ギラギラとこちらを見つめ返してきた。ヤバい。無意味に素振りをしてみたくなる。
しかしながら……どう考えても、僕の手に負える代物ではない。剣術どころか、剣道の経験もないのだ。抜刀時に、自分の手を斬るのが関の山だろう。ゆえに、これも丁重に棚に戻す。
「ダメかあ……じゃあ、遠距離攻撃系は?」
デパートの店員さんよろしく、先輩が掌を上に向けて棚を示す。示された先にあるのは、ボウガンが数種類……アーチェリーの弓……野球ボール……ダーツ? いや、確かに使いこなせば強キャラ感が出るだろうけども。
あれこれ眺めながら、僕はふと目に入った、腰のあたりの高さにあった段ボール箱を軽く開けた。
中身は、大量のレコードだった。
……なぜこんなものがここに? ジャンルはバラバラ。レコードショップの在庫処分品をまとめて購入し、そのまま放り込んだかのようだった。
「それを選ぶの?」
「はい?」
「レコード、オススメだよ」
「いやいや、どう使うんですか、これ」
「こうやって……」
先輩は言いながら黒い円盤を一枚取り出し、
「投げて、頭に当てるの」
フリスビーでも放るように腕を振った。
ああ、なるほどなるほど。うん、この先輩は何を言っているんだ?
「『ショーン・オブ・ザ・デッド』にそういうシーンがあってね。名シーンとして名高いんだよ」
「はあ……」
「あー、今日の上映会、『ショーン・オブ・ザ・デッド』でもいいかな。でも、あれは他のゾンビ映画をたくさん観てからの方が楽しめるし……んー……タイミング的にはー……」
先輩はしばらく
「それで、何枚持ってくの?」
「持ってきません」
先輩はどこか残念そうに、「そっか」と呟いた。なぜか少し、悪いことをした気分になった。
結局、僕が選んだのは、使っていたのとほぼ同じ型のショベルだった。色々と比べてわかった。攻撃力、守備力、携帯性、利便性等々を合計した総合得点だと、これがトップなのだ。
飛び道具は命中させる技術を持ち合わせていない。刃物や鈍器は、限られた動作しか選択できない。
探索に欲しいのは、特化型ではなく汎用型である。
ゆえにショベル。最強ではないが、最善の武器。
欠点は……致命的にカッコ悪いことだが、それくらいは甘んじて受け入れよう。
手にした真新しいショベルを、軽く振ってみる。使っていたものより柄の部分がやや長いが、違和感を感じるほどではない。
「使わせてもらいます。ありがとうございます」
「んーん。ここにある物が役に立つなら、それが何よりだから」
「それで……本当にこれは、ここでいいんですか?」
「うん。貴重な品だから。大切に保管しないと、ね」
貴重、か。
確かに僕の目にも、汚れ、錆び、古びたショベルは、新品の道具たちの中にあって、不思議と輝いて見えた。これからアイツは物騒な素人たちを相手に、
ドアを閉める直前、僕は心の中で「お疲れさん」と呟いた。
そして手にした新しい相棒に、「よろしくな」と呟いた。
廊下に出ると、先輩がやたら温かい目をこちらに向けていて――。
「えーと……もしかして、声に出てました?」
「うん」
「…………」
いい笑顔で頷かれてしまった。……ああ今日も、痛々しい黒歴史が増えていく。僕は言い訳の言葉も浮かばず、空いた手で両目を覆い、深く息を吐いた。
[②『ショーン・オブ・ザ・デッド』(2004) 了]
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