推理小説研究会のとある一日

玄冬

第1話

 冒頭ではまず死体を転がせ。

 それは推理小説のお約束とも言える構成だ。

 となれば、現状はまさしく推理小説的と言えるかも知れない。

 なぜなら今、目の前には一人の女子生徒が倒れているのだから。

 その首元には青黒い指の形がはっきりと浮かび上がっており、何者かに首を絞められたことは明白であった。


「会長ッ!」


 夕暮れに紅く染まった教室。その中央で机と椅子の陰に隠れるように倒れた女子生徒。

 とっさに駆け寄った彼――坂口彗史さかぐちさとしは彼女の身体を抱き起こし、脈を確認する。

 少しして、悲哀の宿った表情と共に吐き出したのはたったの一言。


「……駄目だ、死んでる」


 慧史は彼女の身体をそっと地に下ろし、感情が行き場を求めるよう僅かに身体を震わせた。やがて、幽鬼のごとくゆらりと立ち上がった彼は口を開く。


「一体、誰がこんなことを……いや、誰だって構うものか」


 囁くような呟きは誰かに語りかけるような声色へと。感情の昂ぶりが自然と言葉に反映されていく。


「俺は絶対に許さない。会長を殺した犯人を。この謎は俺が解いてみせる」


 それは約定だ。命を落としてしまった目の前の彼女への手向け。

 舞台上の演者が観客席に向かって高らかに宣言するように、彼は力強く叫んだ。


「推理小説研究会の名に懸けて……!」



 ●



「――とまあ、こんな所かね、会長さん?」


 突如、それまでの重苦しい雰囲気とは一転。

 慧史は軽い口調で横たわる女子生徒へと問いかけた。

 すると、死んでいたはずの女子生徒はむくりと身体を起こし、こちらを向いて口元を緩める。


「すいり君も随分と演技派になってきたもんですねえ」

「毎度毎度、こうして死体発見役をやらされてるわけだからな。成長もするさ」

「そりゃそうです」


 得心した様子でくつくつと笑う女子生徒。

 肩辺りで切り揃えられた髪がサラサラと揺れた。


「いやあ、やっぱり死体役は楽しいです。こう何て言うか、臨死体験? しばらく死んだ振りをしてると、次第に本当に死んでしまったかのように思えてくるんですよ。目を開けてはいけない、身体を動かしてはいけない、ってしてると、実はもう動かそうとしても動かないんじゃないか、みたいな感じで」


 などと楽しそうに語る彼女の名前は、有栖川鳴ありすがわめい

 彼ら二人しか所属していない推理小説研究会において会長を務めている。

 ちなみに、『すいり君』というのは初対面時の彼女が俺の名前を『彗吏すいり』と読み違えたことに由来している。どうやらそれが気に入ったようで、そのまま現在まで使われてしまっているというわけだ。


「にしても、今日はまた随分とリアルな絞殺痕なことで。指の形がくっきりだな」


 慧史は彼女の首元に視線を向ける。そこには思わず目を背けたくなるような痕が出来ていた。

 当然、それは特殊メイクだ。実際にそんな痕があるわけではない。

 彼女の趣味である死体役の為に磨いた技術らしいが、その熱意をどこか違うものに向けた方が良いのではないか、と思わなくもない。


「良い出来でしょう? ちなみに、誰の指をモデルにしてると思います?」

「……俺、じゃないよな?」


 慧史の不安げな表情に対して彼女は悪戯めいた笑みで返し、


「内緒です」


 とだけ答えた。


「さて、それでは本題に入りましょうか」

「ああ。今回の事件の概要を説明して貰おう」


 鳴の首元の特殊メイクは既に外されており、本来のきめ細やかで綺麗な肌が姿を現していた。

 そんな彼女はコホンと一度咳払いをした後、紡ぎ始める――自ら演じる女子生徒が殺された事件の概要を。


「――男子生徒が一人、この教室を訪れましたが、扉も窓も閉じられており、どちらもしっかりと鍵が掛かっていました。その為、彼はこの教室の鍵を借りに職員室へと向かいます。けれど、確認してみると、鍵は既にどこかへ持ち出されてしまっているようでした。仕方なく彼は事務員の人に頼み、マスターキーで扉を開けて貰うことにしました。


「そうして、彼は教室の中へと足を踏み入れます。少し進んでから異変に気づきました。何と一人の女子生徒が、教室の中央にて整然と並ぶ机の影となるように、倒れているではありませんか。扉付近からでは死角となっていた為、入ってすぐに気づくことは出来なかったようです。


「彼の悲鳴を聞きつけ、先程の事務員がすぐに戻って来てくれました。二人は女子生徒の状態を確認します。

 女子生徒は亡くなっていました。その首元には何者かの指の痕がしっかりと残っており、絞殺されたことは明白と言えます。


「ふと彼は女子生徒の傍でしゃがみ、床に向けて手を伸ばしました。その唐突な行動を妙に思った事務員に手を開いて見せます。彼の手に握られていたのは何かの鍵。

 二人はすぐさま実際に確認し、驚愕します。なぜなら、それは間違いなくこの教室の鍵だったのですから」


 一つの事件を紡ぎ終えた鳴は一息つくと、こちらに片指を立てて首を傾げた。


「では、すいり君に問題です。女子生徒はどのような方法で殺されたでしょうか?」


 これはゲームだ。実際に起きたわけではない、空想の事件を舞台とした推理ゲーム。

 出題者は有栖川鳴、解答者は坂口慧史。

 事件の焦点は次の三つの内から自由に選択される。


 一つ。『誰が殺したかWhodunit

 一つ。『どのような方法で殺したかHowdunit

 一つ。『なぜ殺したかWhydunit


 場合によっては二つ以上選ばれる場合もあるが、基本はどれか一つだ。その方が事件の内容も定めやすく、完成度の高い内容になりやすいのである。

 今回、鳴は『どのような方法で殺したか』を選択した。それゆえ、犯人とその動機について考える必要は一切ない。推理する際、それらは未知のXという仮定で通す事が可能である。


 では、今回出題された事件で『どのような方法で殺したか』とは何を示せば良いのか。

 死因については既に絞殺と述べられている。出題者が語る言葉に偽りはなく、そこに疑いの余地はない。

 となれば、問題は締めの部分だ。この教室の鍵は死体である女子生徒の傍に落ちていた。扉が施錠されていたにも関わらずだ。


 密室殺人。鳴は死体を閉じた空間へと落とし込み、開く手段さえもその中に投げ入れたのだ。

 彼女の提示する論点とは、如何にしてこの空間を生み出したか、で間違いないだろう。

 だがしかし、その答えとして誰もが即座に思いつくであろう単純な方法が三つある。


 一つ目は、女子生徒の自殺。この教室の扉の片側は良くある内側から施錠できる仕組みだ。それゆえ、女子生徒が自殺であるならば、最後に内側から施錠するだけで良い。

 二つ目は、犯人Xがまだこの教室内にいる場合。例えば、教室の後ろにある掃除用具入れにでも隠れていれば、女子生徒の自殺と同じ方法でこの密室の説明はつく。

 三つ目は、事務員による犯行。この教室の本来の鍵がなくても、マスターキーならば開錠できることは判明している。となれば、それを持つ事務員が犯人であれば、何の問題もない。


 こんな風に三つの可能性で事件を説明できるわけだが、しかし、それでは何の捻りもない事件となり、ゲームとして面白くない。

 ゆえに、この事件がゲームとして面白みを持つのはこれからだ。


「問おう」


 慧史はやや芝居がかった口調で告げる。


「この教室は事務員が開錠するまで密室だったのか?」

「――はい。この教室は事務員がマスターキーで開錠するまで、扉も窓も全て施錠された密室でした。より正確に言うなら、事務員によって扉が開錠されるまでは外部からの干渉が完全に絶たれた状態でした。ただし、空気はその範疇に含みません」


 解答者は一つの権利を持つ。それは事件に関する問いかけを行う権利だ。語られた内容からでは不明な部分の確認が可能となる。

 出題者はその問いかけに対して答える義務はない。ただし、事件の根幹に関わらない限りは基本的に答えるのがゲームをフェアに進行させる為のマナーだ。

 そして、出題者が答えた言葉は全て絶対の事実となる。それは事件を不可解なものとするが、一方で重要な情報とも成り得るのだ。


「了解だ。続けていくぞ」

「どうぞ。さくさくいきましょう」


 二人にとって今はまだお手並み拝見と言った具合だ。慧史はこの程度の問いかけが鳴の生み出した事件の核心に触れるはずはないと確信しており、鳴もまたこの程度の返答で慧史が悩むはずはないと確信しているのだ。


「女子生徒の死因は自殺か?」

「――いいえ。女子生徒は自殺ではありません。犯人は女子生徒とは異なる肉体を持つ他者であり、彼女を殺害した後にこの場を立ち去りました」


「死体発見時、この教室内に男子生徒と事務員以外の人物は存在したのか?」

「――いいえ。女子生徒の死体が発見された時、教室内には男子生徒と事務員以外には誰もいませんでした。誰かが入れ替わりで出て行ったような事もありません」


「この事件は事務員の犯行か?」

「――いいえ。事務員は犯人ではなく、犯人の共犯でもありません。共犯とは意識的に犯人に協力することを指します。また、マスターキーは事務員以外に使用出来ません」


 そこで慧史は一度、問いかけを止める。


「当然のごとく、女子生徒の自殺でも誰かが隠れてるわけでも事務員が犯人でもないわけだ」

「そりゃそうです。そんなものが事件の真相であったなら、推理小説としては二流や三流なんてレベルじゃないでしょう」


 そんな事件を私が作るとでも?

 言外にそう述べている彼女に対して、慧史はニヤリと笑みを浮かべた。


「まあな。それじゃ面白くも何ともない。俺の知る有栖川鳴がそんな事件を作るはずがない」


 売り言葉に買い言葉。二人の間で高まっていく熱い感情。悪意のない純粋な闘争心がバチバチと火花を散らす。


「ついでにもう一つ、前もってサービスしておいてあげます」


 鳴は一呼吸の後、語る。


「――この教室の扉を開錠する為の鍵は二つに限定します。その二つとは、事務員の持つマスターキー、そして、男子生徒が手にしたこの教室の鍵です。他の方法でこの教室の扉の開錠、施錠は行えません。また窓に関しましても内側から人の手でのみ開錠、施錠が行える事とします」


 慧史はその情報を聞いて残念がる声を上げた。


「あ、くそ。窓を封じられたか。わざわざ空気について触れたのはそれを使えということかと思ったんだが」

「ほほぅ、音の共鳴を利用して窓の施錠をした、とでも考えていましたか? 空気が通っているなら音も通りますからねえ。ですが、残念。あれはすいり君が『この教室は実は真空状態だったんだ!』とか言い出さないようにする為ですよ。外部からの干渉を絶たれた密室と言っても、あくまで常識の範疇にある空間です」

「そんな俺がいつもとんでも理論で推理してるみたいな言い方はやめてくれよ」


 ……たまにじゃないか。

 などと内心では若干認めつつ、慧史はこれまで語られた事実をさっと整理して、思う。


「それにしても、今回は情報が多めだな。難易度も少し優しめじゃないか?」


 まだ謎が解けたわけではないが、これだけの情報があればそう時間はかかるまい。普段の鳴ならば今まで明かされた情報の内のいくつかは伏せていてもおかしくないだろう。

 解答者の問いかけに出題者は基本的に答えるのがマナーだが、お互いがそれなりに習熟しているのであれば、時には関係のない問いかけに対してもあえて黙るブラフは有効だ。

 二人の場合、解答者には推理の回数制限も時間制限も設けていない為、圧倒的に解答者が有利であるバランスを調整する上でブラフは良く用いられる。


 しかし、今回の鳴は素直に答えてくれるばかりか、追加でまだ確認していなかった情報まで与えてくれた。黙っていれば、少なくともその事実に関しては知らないまま推理を進めていたであろうにも関わらず、だ。

 出題者側は事件についてミスリードしてなんぼだ。解答者が推理を間違った方向に進めれば進める程、後に正しい方向へと戻す為に精神的な負担がかかるのだから。


 ならば、なぜ今回に限って鳴は素直に答えるのか。

 そこにどのような思惑があるのだろうか。


「そう思うなら、さっさと解いてみればどうです、推理が得意なすいり君?」


 鳴の煽りの言葉を受けて、慧史はひとまず事件の推理に集中する事とする。その過程で彼女の思惑も分かるかも知れない。


「任せろ。完膚なきまでに解き明かしてやる」



 ●



「ふむ……」


 慧史は天井を仰ぎながら教室内をうろうろと歩き回る。それは彼の思考に没頭する為の癖だった。

 鳴もそれを普段から見慣れている為、特に気にしていない。慧史の考えている様を楽しそうに眺めていた。


 現在、彼の脳内では判明した情報が同時展開されており、過去に読んだ無数の推理小説やこれまで鳴に出題された謎との照合、分析が行われている。

 知識とはまるで視界一面に広がる海のようだと思う。

 その精神は膨大な知識で構成された大海をかきわけて突き進んでいく。


 ――登場人物は三人。男子生徒。女子生徒。事務員。

 ――密室を構築する手段は男子生徒の発見した鍵と事務員の持つマスターキーに限定されている。外部からの干渉が不可能である以上、扉を開けることが出来るそれらを使用しないわけにはいかない。


 ――しかし、事務員は犯人ではなく、事務員以外にマスターキーを使用することは出来ない。ならば、鍵は男子生徒の発見したものが用いられた?

 ――いいや、一つの可能性に囚われるな。全ての可能性を想像しろ。


 ――あらかじめ教室の鍵で施錠して生み出した密室内に鍵を戻すことは可能か不可能か。

 ――犯人でも共犯でもない事務員に鍵を閉めさせる方法は存在するか否か。

 ――不明瞭な文章の違和感。

 ――彼女の思惑の在処。


 そして、慧史は辿り着く。鳴の生み出せし謎の最奥へと。


「……なるほど、な」


 そう呟いて立ち止まった彼は、天井に向けていた視線を鳴へと向け直し、告げる。


「視えたぞ、この謎の答えが」

「へえ」


 愉しそうに笑みを浮かべる鳴。余裕綽々と言った様子だ。


「さてさて、すいり君は一体どんな推理をしたのでしょうか?」

「その前に少し確認したいことがある」


 これから問いかける内容は恐らく、この事件の核心となる事柄であろう。

 果たして、彼女はどう答えるのだろうか。肯定か否定か、はたまた返答拒否か。


「どうぞ」


 促された慧史は問いかける。


「女子生徒が殺されたのは、今日か・・・?」

「…………ふふ」


 鳴はそれまでの問いかけと違い、即答しなかった。口元に微かな笑みを浮かべただけだ。

 少し考える素振りを見せた後、彼女は答える。


「――女子生徒が殺されたのは昨夜十九時頃・・・・・・となります」


 それは未だ語られていなかった事実だ。

 女子生徒の死体が発見されたのはこの放課後。しかし、犯行が行われたのは昨夜。そのタイムラグが事件の重要なポイントとなる。


「もう一つ」


 慧史は続けて、もはや自らの考えている事件の真相そのものとも言える問いかけをする。


「昨夜、最後にこの教室の施錠を行ったのは事務員か?」

「返答を拒否します」


 即座にピシャリと言い切られた。その問いかけに対して答える気はないという強い意志が感じられる。

 だがしかし、肯定も否定もされないというのは分かり切ったことだった。なぜなら、彼の考えが正しければそれはこの事件の根幹に触れる問いかけなのだから。彼女が思惑通りに進める為にはそれに答えるわけにはいかないのだ。


「十分だ。これで必要な情報は出揃った。そろそろ解決パートへいくとしよう」

「良いでしょう。では、聞かせて貰えますか、すいり君の見つけ出した真実を」

「ああ」


 慧史は頷き、自らの推理を語り始める。


「――事件発生は昨夜の十九時頃。この教室にて犯人Xは女子生徒の首を絞めて殺害。その後、犯人はすぐさまこの場を逃げるように立ち去った。突発的な犯行だった為か、電気をつけたまま扉の施錠もせずに。教室の鍵は犯行の際に犯人もしくは女子生徒が落としたんだろう。


「そして、数時間後、事務員が見回りの為にこの教室へとやってきた。事務員は各教室の施錠を確認しなければならない。当然、開いていたこの教室をチェックするわけだが、流れ作業的に行っていた事務員は入口から中をざっと見回して異常がないことを確認すると電気を消し、マスターキーを用いて扉を施錠してしまった。入口付近からは見えない位置に女子生徒が倒れているとも知らずに。


「こうして、事務員は意図せず犯人の手助けをしてしまい、偶然によってこの不可解な密室が生まれてしまった」


 慧史は自らの推理を語り終える。

 実際に鳴が設定した事件内容とはズレがあるかも知れないが、大まかな筋書きが合っていれば問題はない。重要なのは『どのような方法』で事件の状況が生み出されたか、だ。

 今回で言えば、事務員が意図せず教室の扉を施錠した、という点にある。これなら事務員は犯人でも共犯でもない為、既に語られた事実に抵触することはない。


「何か間違いはあるか?」

「…………」


 鳴は俯き加減で黙り込んでいた。そこに先程までの余裕げな表情は存在せず、僅かに唇を震わせて悔しそうに見えた。

 彼女に反論がなければ、今回、彼女の生み出した謎はこれにて完全に解き明かされた、ということになる。

 最後の確認として、慧史は問いかけようとした瞬間。


「ないならこれでこの事件は終了――」

「――本事件において、事務員のマスターキーはこの教室の施錠に使用されていない」


 鳴は語る、慧史の推理を根幹から打ち砕く新たな事実を。


「なん……だと……?」


 彼は驚愕に表情を凍らせた。対照的に、顔を上げた彼女の表情にはいやらしく邪悪な笑み。

 それを見て悟る。彼女が俯いていたのはただ笑いを堪えていただけだということを。


「おや、どうしましたぁ? まさか勝ったと思いましたか? 今ので謎が解き明かされたとでも?」

「ぐ……」


 次はこちらが黙り込む番だ。彼女が流暢に並べ立てる言葉をただ受け止める。


「また一から推理を練り直しますか? それとも、諦めますか? どちらにせよ、間違えた推理を自信満々に語ったなんて悔しいですよねぇ?」


 解答者は例え推理を間違えても、諦めない限りは続けられるルールとなっている。だがしかし、一度推理として披露した以上、失敗すれば精神的な損失は大きい。

 鳴の必要以上の煽りはこちらの敗北感を増大させることでより悔しがらせる意図を持つ。そうして、解答者の心を屈服させた時、それは紛れもない出題者の勝利となるのだ。


 しかし、慧史は彼女の言葉を受け止めた上で、不敵に笑みを浮かべた。


「……ははっ」

「な、何がおかしいんです?」


 こちらの態度を不審に思った鳴はやや狼狽え気味でそう口にした。先程までの勝ち誇った表情から一転、彼女の驚く顔を見れたことで意趣返しとしては十分だ。慧史はあえて大人しく彼女の言葉を受けていたに過ぎない。


「何を勘違いしている。俺の推理はまだ終わっちゃいない」

「私はすいり君が紡ぎあげた推理を新たな事実で否定しました。にも関わらず、それに抵触しない異なる推理が可能だと言うんですか?」


 鳴はこちらに疑わしげな視線を向ける。


「もちろんだ」


 それに対して慧史は力強く頷き、


「むしろ、そういう風に作ったのはお前だろうに」


 と付け加える。

 既にこの事件の構造は全て理解している。そう伝える為に。


「……なるほど」


 彼女はどこか嬉しそうに頬を緩めて呟いた後、こちらに問いかける。


「では、聞きましょう。マスターキーが使用されていないならば、どうやってこの密室を構築すると言うのですか?」

「マスターキーが使用出来ないなら、この密室を構築する為に使用出来るものはたった一つ。それはこの教室の元々の鍵だ」


「ですが、それは密室の内側にあったはずです。外から施錠して中に戻せるというんですか? 外部からの干渉が絶たれた空間の中に?」

「可能さ。それも単純な方法でな」


 彼女の口から語られた事件の概要。それは偽りない絶対の事実で紡がれた物語。

 しかし、妙な言い回しが行われている部分が一か所あった。


『ふと彼は女子生徒の傍でしゃがみ、床に向けて手を伸ばしました。その唐突な行動を妙に思った事務員に手を開いて見せます。彼の手に握られていたのは何かの鍵。』


 本来ならもっと分かりやすく簡潔にまとめれば良いであろう描写。だが、なぜか回りくどく不明瞭に描かれている。まるで元々その場に鍵など落ちていないかのように。


「教室の床に鍵が落ちていたとは一切語られていない。あくまで男子生徒が拾う素振りをしただけ。つまり、男子生徒は初めから手の中に鍵を隠し持っており、それを事務員に見せただけだったんだ」


 これがこの事件に潜むもう一つの真相。

 慧史は先程とは異なる推理を語り始める。


「――事件発生は昨夜十九時頃。この教室にて犯人である男子生徒は女子生徒の首を絞めて殺害。その後、電気を消した彼は教室の鍵を使って扉の施錠を行い、そのまま帰宅。


「そして、次の日、彼は何食わぬ顔でこの教室を訪れ、施錠されているが職員室に鍵がない、ということで事務員に扉を開けて貰い、女子生徒の死体を発見して悲鳴を上げる。声を聞いてやって来た事務員と共に死体の状態を確認する途中、持っていた教室の鍵を手に隠し持ち床から拾う素振りの後、事務員に見せた。


「こうして、男子生徒はあたかもその鍵は初めから施錠された教室の中にあったかのように見せかけたんだ」


 慧史は続けて、彼女の思惑について語る。


「そもそも、この事件には二つの真実が重なり合って同時に存在していた。先の推理も間違っていたわけじゃない。初めから、俺がどちらかに気づいても、それを否定する事実を述べもう片方を真相とする、ロジックの差し替えが可能な構造になっていたんだ。片方に気づいただけでは推理の失敗として敗北感を味わうことになる。後に気づいたところで手のひらで踊らされていたという気持ちは消えないだろう。つまり、この事件を完全に解き明かすには、同時に二つの真実に気づかなければいけない」


 随分と意地の悪い問題だとは思う。しかし、決して卑怯だとは思わない。

 一つの事件に二つの解決法がある。それは現実でも推理小説でも決して起きえない現象。想像によって生み出された架空の事件を推理するこのゲームだからこそ可能となる手法だ。

 それゆえ、その美しい構造を素直に賞賛こそすれ、批判する必要など存在しない。


「以上が俺の推理の全てだ」

「…………」


 再び黙り込む鳴。

 まさかまだ他にも真相が存在しており、先程と同じように新たな事実を語ろうと言うのだろうか。

 既に自らの推理は全て語り尽くしてしまったので戦々恐々としていると、やがて彼女はクスリと笑みを漏らした。今度はそこに先程のような邪悪さはない。


「あはは、完敗です」


 そう言って両手を掲げて降参のジェスチャーを取る。けれど、満足気に彼女は笑っていた。

 ほっと一安心した慧史も同じように頬を緩める。先程までの緊張した雰囲気から一変、和やかな空気が流れた。


「まだ他にも隠された真相があるのかとはらはらしたじゃないか」

「今回、こちらが想定したのはさっきの二つだけですよ。密室の構築において、元々の教室の鍵を使ったパターンと事務員のマスターキー使用したパターンを一つずつ。他にも出来ないことはなかったんですけどね。例えば、女子生徒は二重人格であり、もう一つの人格に殺された、とか」


「女子生徒を殺した犯人は異なる肉体を持つ他者、とわざわざ明言したから気にしなかったが、そんなパターンも考えてはいたのか」

「はい。とは言え、あまり広くし過ぎるのもフェアじゃないですからね」


 彼女は一度大きく伸びをした後、


「それじゃ部室に戻りましょうか」


 と告げた。慧史は頷き、共に廊下へと出て推理小説研究会の部室へと足を向ける。


「いやあ、今回も素敵な一時でした。一生懸命作った謎を誰かに解いて貰えるというのは幸せなものですね」


 それは彼女が日頃から言っていることだった。絶対に解けない理不尽な謎を提示することは可能だが、解けるように出来ている謎を真剣に考えて解いて貰うことが自分は好きなのだ、と。

 そんな彼女の考えを知っているからこそ、慧史は提示された謎に対して全力で取り組める。


 慧史は彼女の作る謎は解けるように出来ていると信じて挑み、また鳴は彼なら自分の生み出した謎を解いてくれると信じて考える。

 彼らの間にある信頼関係は恋愛や友情という言葉では言い表せない。けれど、それらに決して劣ることのない強固な関係と言えるだろう。


「もし私が本当に誰かに殺された時は、ちゃんと今みたく謎を全て解いてくださいよ?」

「冗談でもやめてくれよ。架空の事件を推理するから良いのであって、実際の事件に出くわすなんてたまったもんじゃない」


「えぇ、そっちの心配ですか? 私が殺されるって部分は?」

「どうせ会長のことだからひょこっと起き上がるだろうに」

「そんなゾンビじゃないんですから」


 二人は楽しそうに語り合いながら廊下を歩いて行く。

 放課後は始まったばかりであり、本日の推理小説研究会の活動はまだまだこれからだ。

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