第40話 ありがとう

「ーーーーー今日は、ありがとう。もう一度あなたに会えて、ホントによかった」



喫茶店を出てから、私はマザコン男に笑顔で言った。


「いいえ。僕の方こそ、春姫さんにまたお会いできてとても嬉しかったです。……春姫さん、谷崎さんと幸せになって下さいね。僕も、もっと空手を練習して強くなって、他にもいろんなことをがんばって、自分に自信を持てるような人間になりたいと思います。

そしていつか……春姫さんのような素敵な女性と巡り逢えたらいいなと思います」


「ーーーきっと現れるよ。私なんかよりもっともっと素敵な人が。だって、あなたはとっても優しくて。とっても素敵な人だから」


マザコン男が、ちょっと目を潤ませながら嬉しそうにほほ笑んだ。



マザコン男。


ちょっと見ないうちにずいぶんいい男になったよ。


まぁ、『ママぁー』なとこだけは直さないと、当分彼女はできないかもしれないけどね。


私は心の中でちょっとクスッと笑った。



「じゃあ、元気でね。勇雄くん」


「え」


〝マザコン男〟から〝勇雄〟にちょっと昇格かな。


もう、会うこともないかもしれないけどね。


初めて名前を呼ばれたマザコン男は、ちょっと照れくさそうに嬉しそうに笑った。


そして。


「春姫さんも、お元気で」


「うん」


私とマザコン男は、笑顔で軽く手を振って別れた。


なんだか清々しい気持ちだった。


気がつくと、いつの間にか白い粉雪がパラパラと振っている。


綺麗……。


私は少しの間、ぼんやりと空を眺めていた。


そして、冷たい空気を胸いっぱいに吸った。


さーてと、なににしようかな。


アイツへのクリスマスプレゼント。



あれこれ考えながら、私は元気よく歩き出した。





ーーーーーーーーーーーーーーーー




カラン、カランーーーーー。


「ありがとうございましたーーーー」


店を出ていくお客さんの背中に笑顔で声をかける私。


今日は、朝からひっきりなしにお客がやってくる。


そのお客さんのほとんどが誰かへの贈り物選び。


そう、だって明日はいよいよクリスマスイブだから。


店内にはいつもの雑貨はもちろん、クリスマスのカワイイ雑貨もいっぱい並んでいる。


Candy Boxは、今や『裏通りのカワイイ雑貨屋さん』と人気急上昇で、ちまたではちょっと有名なお店になってきたんだよ。


なんと、この前ファッション雑誌の取材もきて、私もちょこっとだけ載っちゃった。


すごいよねー。


嬉しいよねー。


谷崎は相変わらず忙しく、店に来たり出て行ったりといつものカンジ。


ホテル業務の方もなんだか忙しいみたいで、バタバタ飛び回ってるよ。


でも、明日はクリスマスイブ。


2人で朝からデートの約束してるんだ。


忙しいけど、明日を楽しみに今日も1日がんばるよ。


それに。


こうやって、たくさんのお客さんが『カワイイ』『カワイイ』と喜んで商品を買っていってくれることが、ホントに嬉しいんだ。


だから、この忙しさも嬉しい悲鳴。


私の笑顔は、営業スマイルではなく自然とこぼれるホントの笑顔だった。



こうして、あっという間に時間が経ち。


気がつくともう閉店時間になっていた。


最後のお客を見送り、私はリモコンで有線のスイッチを切った。


店内がしーんと静まり返りようやく肩の力が抜けた。


「ふぅーーー……」


私は首をポキポキしながら大きく体を伸ばした。


今日も忙しかったなぁー。


さてと、表の看板のスイッチを消してくるか。


そう思って、私がカウンターから出てドアに向かおうとしたその時。



カラン……。


ドアの開く音。


「あ、すみません。もう閉店なんですよー」


笑顔で駆け寄った私は、その人物を見て思わず立ち止まってしまった。


だってそこには……。



「蘭太郎ーーーー」



ずっと連絡を取っていなかった、あの蘭太郎が静かに立っていたんだ。


突然のことになにを言っていいかわからず、ただポカンと突っ立ったままの私。


すると、蘭太郎がちょっと照れくさそうに、でもいつものあの優しい笑顔で静かに歩み寄ってきた。



「春姫ちゃん。久しぶりだね。元気だった?」



久しぶりに聞く蘭太郎の声。


まるで何年も会っていなかったかのように、懐かしく感じる。


う……。


なんだか、胸に熱いものが込み上げてくる。


「うう……。ら、蘭太郎ーーーっ」


なにかの糸がプツンと切れたかのように。


私の目から、一気に涙が溢れてきたんだ。


そしてそのまま私は蘭太郎に飛びついて、ぎゅっと抱きしめた。


「もぉぉっ!蘭太郎っ。寂しかったよ!」


私の素直な気持ちだった。


蘭太郎は、やっぱり私にとっては弟のようで親友のような存在で。


谷崎を想う『好き』の気持ちとは違うけど。


それでも、私にとってたった1人の大切な幼なじみの蘭太郎なんだよ。


大好きな蘭太郎なんだよ。



「会いたかったよーーーーーーっ」



私は、色気もなにもないひどい泣き顔で蘭太郎にしがみついた。


そんな私を見て、蘭太郎がケラケラ笑い出した。


「春姫ちゃん、そんなに泣かないで。そして鼻水出てる。はい、ティッシュ」


「う……あ、ありがとう……」


ブーン!


勢いよく鼻をかんだ。


そして、私の涙もようやく止まって少し落ち着いた頃、蘭太郎が静かに切り出した。



「……春姫ちゃん。いろいろ心配かけちゃってごめんね。でも、僕はもう大丈夫。やっぱり春姫ちゃんとはこうして……ちょっと頼りない弟と、ちょっとおてんばなお姉ちゃん……ってカンジで。それでいて大の仲良しの幼なじみーーーっていう関係がいちばん居心地がいいってことが、僕にもわかったよ。

今でも春姫ちゃんのことは大好きだよ。でも、僕もいつか誰かといい恋ができると思う。春姫ちゃんが、谷崎さんのことを『好き』って思うような気持ちで」


蘭太郎の笑顔。


ウソでも偽りでもない、いつものあの蘭太郎の笑顔。


「蘭太郎……ありがとう……」


「お礼を言うのは僕の方だよ。ホントはまりあさんのこと好きじゃないのに、自分の気持ちにウソついてつき合おうとする僕を真剣に止めてくれたでしょ?僕、嬉しかったよ。

ーーーありがとう。でもね。結局、僕達つき合わなかったんだ……」


気まずそうに髪の毛を触りながら下を向く蘭太郎。


そんな蘭太郎を見て、私はちょっと笑いながら言った。


「知ってたよ」


「え?」


驚いている蘭太郎。



「ーーーーー実はね。この前、街中で偶然マザコン男に会ったんだ。その時に少し話したの。それで、蘭太郎達の話にもなって。2人はつき合ってないってことも聞いて……。あのマザコン男が、妹のことで蘭太郎に直接電話して謝ったんだってね」


蘭太郎が静かにうなずいた。


「……春姫ちゃん、まりあさんのお兄さんに会ったんだね」


「うん。みんなに迷惑かけたって何回も謝ってた」


「そうなんだ……。でも、僕も悪かったんだ。どうにでもなれみたいな投げやりな気持ちで彼女とつき合おうとしてたから……。まりあさんに、春姫ちゃんと谷崎さんがうまくいかなくなってもいいのか?みたいなこと言われて……。僕がまりあさんとつき合うことで2人がうまくいくなら……それならーーーって思ったのも事実だけど。でも……。僕のしようとしたことはやっぱり間違ってたんだ。それでまりあさんを傷つけてしまったのも事実だ……」


「……やっぱり優しいね、蘭太郎は。あの子からはそれ以来連絡はないの?」


「おつき合いすることを白紙に戻しましょうってことになってーーー。その時は、まりあさんも黙ってなにも言わずに僕の元を去ったんだけど……。その後、一度だけ電話がきて。『困らせてごめんなさい。春姫さんによろしく』ってーーー」


「そっか……。まぁ、ちょっと手段を選ばない強引なところはあったけど……。きっとホントに好きだったんだろうな……ーーー」


好きだったんだろうな……ーーー。


蘭太郎を見つめる彼女の眼差しを思い出す。


「……どうしても蘭太郎に振り向いてほしかったんだろうね……。でも、きっと今はあの子も蘭太郎の気持ちもちゃんとわかってると思うよ」


「うん……」


「あの子は大丈夫だよ。バイタリティあるもん。きっとまた誰かに恋して熱烈アタックだよ。でも、まぁ今回の件でいろいろ学んだだろうから。次好きな人ができても、もうその人の会社に電話したり待ち伏せしたりはしなと思うけどね」


あたしがちょっと笑うと。


「……そうだね」


蘭太郎も静かにほほ笑んだ。


「小説は……今も書いてるの?」


「うん。書いてる。春姫ちゃんも言ってたように、僕はまずコンテストで入賞したい。それが僕の夢だからね。まりあさんは、『パパとママに頼んで本にしてあげる』って言ってくれたけど。春姫ちゃんも心配してくれてたみたいだけど。僕は最初からそんなつもりはなかったよ」


蘭太郎がにっこり笑った。


「なんだ……。そっか。そうだよね……」


蘭太郎がそんなことするわけないもんね。


私はホッとして思わず笑ってしまった。


「谷崎さんとはうまくいってる?」


「ーーーうん」


うなずく私を見て、蘭太郎は穏やかに嬉しそうにほほ笑んだ。


「……なんだか蘭太郎、ひと皮むけてまた一段といい男になったね。……なーんて、私が言うセリフでもないか」


笑い合う私と蘭太郎の間には、あのいつもの居心地のいい空気が流れていた。


幼なじみの私と蘭太郎。


仲良しの蘭太郎。


「まぁ、そういうわけで。〝幼なじみの蘭太郎〟としてこれからもよろしくね。ということを伝えたくて。今日、春姫ちゃんに会いに来たんだ。また、そのうちみんなで飲もうよ。谷崎さんも一緒にさ。あ、心配しないで。もう絡んで途中で帰ったりなんてことしないから」


蘭太郎の言葉に2人で笑った。


「ありがとう、蘭太郎」


「あ……。明日はクリスマスイブだね。ちょっと早いけど、メリークリスマス!じゃあまたね」


蘭太郎が笑顔で店を出て行った。



メリークリスマス。


ありがとう、蘭太郎ーーーーーーー。



私はあったかい気持ちに包まれたまま、窓の外をしばらく見つめていた。







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