第30話 いろんな気持ち
ユリと飲んで語ったその翌日。
蘭太郎に会うために連絡してみようと試みていた私に、タイミングよく蘭太郎から電話がかかってきたのは、ちょうど店を閉めた直後のことだった。
あの日以来、久しぶりに話す私達。
私はかすかに緊張しながら電話に出た。
「……もしもし?蘭太郎?」
『春姫ちゃん。……久しぶりだね。元気だった?』
変わらない聞き慣れたいつもの声。
なんだかちょっとホッとするような……そんな安堵感みたいなものが、私の胸の中に広がった。
「蘭太郎……今夜、蘭太郎の家に行ってもいい?話したいことがあるの」
私がそう言うと、蘭太郎はすぐにこう言ったんだ。
『ーーーー僕も。春姫ちゃんに話しておきたいことがあるんだ』
「え……?」
淡々と話す蘭太郎の言葉に、かすかに違和感を感じながら私はうなずいた。
「う、うん。わかった。蘭太郎、仕事は?もう終わったの?」
『うん。今日は早めに終わって、もう家だよ』
「そっか。じゃあ……これからそっちに向かうからーーー」
そう言って電話を切ったあとも、私はなんだか妙な気持ちがしていた。
なんだろう……。
いつもの蘭太郎なんだけど……なにか違う。
なんだか胸がザワッとするカンジで。
それは、なんとなくあまりいいカンジのするものではなかった。
蘭太郎も話があるって言ってたけど……。
なんの話だろう。
私は、そんなモヤモヤする気持ちを抑えたまま蘭太郎の家へと向かった。
ピーンポーンーーーーーー。
インターホンを押すと、すぐに蘭太郎がドアを開けた。
ーーーーーーーーーーーーーーー
グツグツ。
ガラスのダイニングテーブルの上には、美味しそうに煮えているお鍋。
お味噌のいい香りを放ちながら、ゆらゆらと白い湯気を出している。
「ーーーさ、春姫ちゃん座って。ご飯まだだよね?お腹減ったでしょ?今日は、春姫ちゃんの好きな鶏団子鍋にしたよー。一緒に食べよう」
蘭太郎がニコニコしながら、受け皿やお箸を用意している。
「ほら、春姫ちゃん。なにボーッとしてるの。早く座ってよー。僕もうお腹ペコペコだよ」
いつもの蘭太郎の様子に、私はちょっとホッとした。
「うん……。ありがとう、美味しそうだね」
そう言いながら、私は久しぶりにいつものお決まりの席に座る。
さっきの電話の時、なんか変だって感じたのは……私の気のせいだったのかな。
「とりあえず、乾杯でもしよっか」
「ーーーうん」
私も笑顔でうなずいた。
「ーーー美味しい!蘭太郎の鶏団子、久しぶりに食べたけど、やっぱ美味しいね」
「ホント?よかった。昨日の夜から仕込んでおいたんだ。いっぱい作り過ぎちゃって少し冷凍したよ」
笑いながら和やかに鍋をつつく私達。
まるで、なにもなかったかのように……。
私はこの穏やかな雰囲気を壊したくなくて、なかなか話を切り出せずにいた。
でも……いつまでも呑気にお鍋を食べている場合じゃないよね。
言わなくちゃ……言わなくちゃ……。
そう思って、箸を置こうとしたその時。
蘭太郎が先にそっと箸を置いたんだ。
「ーーー春姫ちゃん。僕に話があるって言ってたよね。そろそろ聞こうかな、その話」
ドキン。
胸が大きく鳴った。
蘭太郎のひと言で、和やかだった空気がかすかに変わり、お鍋のグツグツという音だけがヤケに響いた。
「……蘭太郎も、私に話があるって言ってたよね。蘭太郎の話ってなに……?」
私が静かに聞くと、蘭太郎笑顔で言った。
「春姫ちゃんの話が終わってから話すよ。先に話して」
「……うん。わかった。あのね、蘭太郎……」
私は蘭太郎の方を真っ直ぐに見た。
「回りくどい言い方とか得意じゃないから、単刀直入に言うね。私ね……。蘭太郎とは、やっぱり幼なじみとして今までみたくいたいなって……」
飾らず、気取らず、居心地のいい関係で……。
「ーーーーーー谷崎さんと結婚するの?」
え?
予想もしなかった蘭太郎の言葉に、私は驚いて顔を上げた。
「結婚って……。なんのこと?」
「隠さなくたっていいよ。うまくいってるんでしょ?あの人と」
蘭太郎の顔が、なんだかかすかに皮肉っぽい笑顔に変わっていく。
蘭太郎……?
「春姫ちゃんの話はわかってたよ。やっぱり僕のことは幼なじみ以上には思えないし、春姫ちゃんは谷崎さんのことが好きーーー。そういうことでしょ?」
「蘭太郎……」
「春姫ちゃん、ウソつきだなぁー。あの大男のことは絶対好きにならないって言ってたのに。結局、僕の予想どおりになっちゃった」
「………………」
……なんて言えばいいんだろう。
返す言葉が見つからないまま、私は思わず黙ってうつむいてしまった。
そんな私に、蘭太郎は吹っ切れたような明るい声でこう言ったんだ。
「でも、もういいんだ。僕も春姫ちゃんのこと好きでいるのやめたから」
「え……?」
そして次の瞬間。
蘭太郎の口から信じられない言葉が飛び出したんだ。
「ーーーー僕、まりあさんとつき合うことにしたんだ」
一瞬、蘭太郎がなにを言ってるのかわからなくて。
私はポカンとしたまま。
だけど。
「僕が春姫ちゃんに話しておきたかったことっていうのは、そのこと」
そう言いながら、グラスを手に取って再びビールを飲み出す蘭太郎。
そんな蘭太郎にも、蘭太郎の言葉に、とてつもない違和感を感じたんだ。
『まりあさんとつき合うことにした』ーーー
蘭太郎、そう言ったの?
ウソでしょ?蘭太郎。
「……ちょ、ちょっと待って。どういうこと?」
私は一気に目が覚めたかのようにガバッと体を起こすと、身を乗り出して蘭太郎に問い詰めた。
あの女とつき合うって……なにそれ!!
「ねぇ、蘭太郎っ!」
「いいじゃない。僕が誰とつき合おうと。それに、その方が春姫ちゃんにとっても好都合でしょ?僕に気兼ねする必要もなくなるし」
ふいっと顔をそらしてビールを飲み続ける蘭太郎。
蘭太郎……?
なんだかいつもの蘭太郎じゃない。
おかしいよ。
「蘭太郎!ちゃんとこっち向いて。どういうつもり?なにがあったの?」
「なにもないよ。まりあさんが僕のこと一生懸命好きだって言ってくれるから。僕も嬉しいなと思っただけ。だから、つき合うことにしたの」
「ウソ!!蘭太郎、あんなにイヤがってたじゃんっ。谷崎に電話までしてもらったじゃんっ。それがなんでいきなり『つき合うことにした』になるの?おかしいでしょ!」
「関係ないじゃん!春姫ちゃんにはっ」
「え……」
蘭太郎の張り上げた声に、私の胸がズキンと痛んだ。
蘭太郎……ーーーー。
「僕がいくら好きだと言っても、春姫ちゃんは見向きもしなかったじゃないか。それが、今度は僕が誰かとつき合うって言った途端、なんでそんなに反対するの?僕は春姫ちゃんのなに?」
「……わ、私はただ、蘭太郎のことを心配して……」
「心配してくれなくていいよ。もう子どもじゃないんだから」
「だけど……。やっぱりどう考えたっておかしいよ。なんで急にそんなことになるわけ?ホントに好きなの?あの子のことっ……」
「気持ちは変わるんだよ。僕はもう春姫ちゃんのこと諦めたから。春姫ちゃんも僕のことはもう気にしないで谷崎さんと仲良くやってよ。……こうやって一緒にご飯を食べたりすることも、これからはもうあんまりないかもしれないね。今日は最後の鍋パーティーだね」
目の前で私に笑いかける蘭太郎が。
まるで知らない人に見えた。
一体、なにがどうなって蘭太郎がこんなことを言い出したのか。
私には全く理解できなかった。
ただ、妙な寂しさと悲しさだけが私の胸の中をぐるぐる渦巻いてて、苦しくて。
私はそれ以上なにも言えず、目の前の蘭太郎を見ることもできず。
黙ってバッグを取ると、そのまま玄関を飛び出したんだ。
バタンーーーーーーー。
扉の閉まる鈍い音。
その音が聞こえたと同時に、私の目から涙がこぼれた。
あんなに……あんなにずっと一緒に仲良くやってきた蘭太郎。
今までこんな風にここまですれ違うことなんてなかったのに。
壊れてしまった。
『好き』とか『嫌い』とかの男女の感情のために。
その絆が、壊れてしまった。
いとも簡単にーーーーー。
これからずっとこのままなの……?
こんなの寂し過ぎる……。
私が涙を振り払いながら駆け出そうとしたその時だった。
「春姫さん?」
後ろから私を呼び止める声。
振り向くと。
そこには、あの女ーーーーーーー。
まりあが立っていたんだ。
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